SPECIAL INTERVIEW #02

向かう先は、生命

リュータロー /猟師力学者(りょうしりきがくしゃ)

加工済みのパック食材が手軽に入手でき、自ら鶏を絞めることはもちろん、丸ごと一匹の魚を捌く必要性もないまま、日常生活が不自由なく送れる現代社会。一方では、食糧廃棄が問題になるほど巷には食べ物が溢れかえっているのに、猪や鹿は山を下りて作物を食い荒らす「害獣」として指定され、駆除狩猟が行われている。だが、駆除された動物の一部の肉は利用されても、毛皮などの多くは処理に時間や手間がかかるため、捨てられている。生命を奪う工程は、かつては日々の営みの中で垣間見られたが、今では消費活動から遠く切り離されている。生命と食のつながりが薄れた今、私たちは生命と、そして死と、どう向き合っていけばよいのだろうか。生命の現場には私たちの忘れた何かが息づいているのではないか。
今回は、日本に古くから伝わるくくり罠の手法を用いて狩猟をし、猟で得た鹿の生命を丸ごと活かすためにドラム作りも手掛けるリュータロー氏にお話を伺った。

ー 猟師になる前はどんなことをされていたんですか?

 絵を描いたり、木工をしたり、花屋で働いたり、いろいろやってた(笑)。建築のように触れたり、自分が入っていけるものは好きだった。中学、高校と絵を描いてはいたけど、人をデッサンしてると、描いてるうちに雰囲気が変わっていくから、その人の気配を切り取ることができない。「心ここにあらず!」とか、「さっきまで楽しげだったのに暗くなってきたな」とか(笑)。絵を描いても触ることができないから、そこにおもしろみを感じなくなって、触れるほうが良いなと植物や動物に興味が移っていった。

ー 最初は駆除の必要性から猟を始めたそうですね。

 そうです。でも、(駆除)狩猟はいつか、無くなった方がいいと思っているし、駆除しなくてもいい状態が来るなと感じてる。例えば「雑草を駆除しよう」と思って刈っていると、お互いにとって良くない。「勝手なことして、ごめんね」とか言ってすると、全然違う結果になると思う。戦うとやっぱりムキになってしまうし、駆除だと思ってやると終わらない。まだ、人間が鹿などの共通言語をわかっていないから、今は被害にあっているけど、コミュニケーションが成立すれば、お互い関わり合わずに済むようになる。今は、彼らのネイティブなところにルールを教わっている状態。

ー 現在はどんな風に猟をしているのですか?

 猟期に狩猟しているのは、鹿、猪、(稀に)アナグマ、イタチ、テンなどです。罠に掛かって逃がそうとして暴れる場合は仕留めることがあります。猟をする時は基本的に罠を使って、銃を使わずに槍で仕留めます。相手が興奮している時は、血が巡った状態でとどめを刺されるから血の味が強くなる。仕留める瞬間がどういう状態かはやっぱり大事だと思う。花を摘む時だって、「きれい」と思って摘んだ方が良い。だから、イノシシの場合は30分、鹿も20分くらい相手が落ち着くのを待ったりするかな。槍は2メートルあって、落ち着いた頃に槍をクッと上に上げると、相手も上を向くから、その時に突く。相手に寄り添うように上から体重をかけると、血が抜けて体温が下がっていくのを毎回感じる。そうするとストレスがないのでお肉自体も美味しいし、皮も傷が少なくてきれいに使える。いろいろ試して失敗もしたけど、今となればすごく理想的な猟だなと思う。

ー 仕留め方でお肉の状態が変わる以外にも、鹿によって個体差はありますか?

 もちろん。季節によっても変わる。夏鹿と呼ばれる鹿は、春に山野草の新芽を食べて、それがお腹の中で消化されて全部肉に変わる時期が夏。その時期の鹿のお肉は、薬のような、山野草が凝縮されたものを食べているような感覚がある。お花ばかりを食べている鹿は、フラワーエッセンスみたいにレメディ的だよね。そういう違いはすごくある。

ー ドラムを作ろうと思ったきっかけは何ですか?

 6年前の22、3才の頃に獣肉処理施設に勤めながら狩猟をしていたんだけど、当時ジビエが人気になってきて、鹿の体重の半分を占める肉の部分は流通していた。だけど、食べられない血液、内臓、骨、皮を活かせずに捨てることがとてもストレスで、いい有効利用の仕方が見つからなければ、猟をやめようかと思っていたくらい。そんな時、友人から淡路島でドラムを作っている人がいることを聞いて、ピンときて、その1週間後には淡路島にいた。
 師匠はケミカルなものは何も使わないで海水で皮をなめして太鼓を作っていて、素晴らしいと思った。それから弟子入りして、寝食を共にして太鼓作りを教わり、いろんなことを伝えてもらった。初めて会った時、なぜか「縄文スピリットってなんやと思う?」っていきなり聞かれて、「自分でやることですかね」って咄嗟に答えてた(笑)

ー この問いに対しての答えは、今も変わっていないですか?

 今の答えは、なんだろう・・・・・・やっぱり物事を「分けないこと」かな。自分のおじいさんが自然にやっていたこと。おじいさんも狩猟をしていて、食べることや作ること、生活の中であらゆることを分けてなかった。例えば、五右衛門風呂の火の番をしながら、裏山で取ってきた土でひねった椀を焼いたり、刃物の焼き入れをしたり、農作業や生活の中で使うものを全部作ってた。だけど近所の人は、「薪で生活していて、刃物や土器を作る時間がどこにあるの?」と不思議に思ってた。自分にとっても、食べることとドラムを作ることが、自分のなかですごく一致していて気持ちがいい。宗教とか医学とか分けられちゃったものを全部、一緒くたにやることなのかな。

ー 鹿の生命は、どんな風にドラムに活かされているんでしょう?

 木枠に張っている鹿の皮は、海水で洗い、ヌカで発酵させてなめす。菌が生きてるから、匂いはほとんどしない。木と皮の接着には、鹿の内臓や皮の端材でつくった鹿のニカワを使う。ニカワは木や皮と一緒で、気温や湿気によって膨張と収縮をするから、ドラム全体で呼吸しているような感じ。皮と木がセパレートされた状態ではなくて、木にニカワが染み込んで、皮→ニカワ→だんだん木っていうグラデーションで一体感が生まれ、それが太鼓になる。今までに太鼓を叩いて送り出した人が何人かいるんだけど、「二ヶ月経っても、あの振動がまだ身体に残ってる」と、わざわざ電話をくれた人もいた。日本の水や土、空気と調和する音というのを、日本の動物でどうしても作りたかった。

ーシャーマンドラムといえば円形の片面太鼓をイメージするのですが、リュータローさんの手掛けるドラムはその形も独創的です。

 立体や多面体が好きで、最初に作ったドラムは七角形だったんだけど、7は、奇数の中でも振動が多くて不安定な音。ドラムは角の数によって音が違う。角ばらせると響きに秩序が生まれる。奇数だと倍音がすごいあるし、偶数だと音が抜けていく、素直な音。円は、偶数の音に近いけど、カオスなものがドンと出る感じ。7は10までの数の中で、360度を割り切れない唯一の数字で、七角形は、平面では計算できないズレが生じるけど、折り紙や多面体では成立する。三次元で初めて成立する形だから、その音を聞いてみたいと思って作った。
 形が教えてくれることってすごくあって、今、五角形のドラムを作っているんだけど、これは骨盤に見えるんだよね。組み合わせると十二面体になる。正十二面体という形は実は縄文土器にも通じてる。

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ー 縄文土器というと?

 火焔式土器がそうなんだけど、三層四方向で十二面体という形を取っていて、正十二面体から五角形を取り除いたら、星型の内部構造だけになっていて、十二方向に均等に爆発してる。三層というのは、火焔式土器の下はストレートで、地面から精気が立ち昇る。その昇ってきたものが真ん中の層で対流して、上に四散していく。「派生—胎動—産出」という三層に加えて、それが四方向に広がっていく。これは多分、爆発するように、均等に、生命が地上に溢れかえりますように、という願いが込められていたんだと思う。そして、それを鍋として使って、狩猟で得た動物を煮炊きして食べて、「派生」したところから「産出」、つまり生まれるから、きっと向こうの国に送れる。鍋なんだけど、送るための祭具でもある。それによって生命が地上に溢れかえりますようにと送り、また巡ってくる、シャーマニズムの時の輪というか、輪廻みたいなものが全部そこに入ってる。この五角形のドラムも骨盤みたいだから、まさに「胎動」だなって。
 形に起こすと、言語以前の感覚がそこにある感じがして。例えば、土器は火と土を使っているから、作り手が火と土にどういう畏敬の念をもっていたのかというのを、違う民族同士で言葉が通じなくても、土器を交換し合って、「お前はこういうことを思ってるのか」と触覚的にやりとりしていたんじゃないかな(笑)。頭より先に、多分、身体が知る。だから、人の触れ合いというけど、もっと物理的に、その人の作ったものや建築、その人が自分の外側に作ったものを触って理解し合うことの中には、宗教や科学、いろいろなものが入ってると思う。

ー 手掛けているドラムにも、鹿や自然界への思いが込められているということですね。

 動物を獲った後に踊ったりする。自分の喜びや、そいつともう会えないということ、いろんなものが複雑に胎動して、でも言葉にしないでおくと、それが踊りになる。ある面から見たら、動物を殺して踊り狂って喜んでいるとも見えるし、別の面から見たら、祝詞の代わりに踊る、ひとつの鎮魂だという捉え方もある。自分がどういう考えで狩猟しているかを誤解されるのが少し怖かった時期もあったけど、ドラムという手段を手に入れた。「狩猟してます」と言って、ドラムを渡して触ってもらうと、多分わかってもらえる。だから、自分にとっての縄文土器に近いかもしれない。しかもそこに響きがある。
 考えとか思考とか信念みたいなものは、二次元的で平面的な性質を持っていると思う。それが一元性のものから降りてきた時に、二次元で止めてしまうのではなくて、物理的に三次元に起こすようにすると触ることができる。考えを形にすることがすごく大事だと思う。太鼓のように、目に見えない、手で触れない響きを持っていたら、さらにすごく伝わるんじゃないかな。俺が言葉を使わなくても、動物を仕留めて、ドラムを作っているということだけで何か伝わるものがある。

ー 世界各地のシャーマンがドラムを使いますが、ドラムの役割をどんな風に感じていますか。

 師匠は、人を助ける人のことをシャーマンと呼んでいて、ドラムはシャーマンを守る盾なんだと言ってた。俺は音楽には興味がなく、「ドンッ」っていう一音の響きにだけ興味があった。それを追求してる感じ。「生命にとって大切な音」って何だろうと考えた時に、心臓の鼓動が基準だった。だから、どうせ動物の生命を使うなら、心臓に近いものを作りたいと思った。危機感で心臓がバクバクしているのも生命の音だし。覚えてないけど、胎内にいた時に響いていて、今も多分聞こえているはずのハートビートに近いものを作りたい。だからドラムを叩く時に演奏という感じにはならないし、自分の心臓の音をみんなに聞かせる感じ。
 焦った時や危険な時に心臓がバクバクするのは、心臓に悪いというけど、実は悪くないと思う。今まで自分が経験したことのないことを細胞が記憶しようと、心臓で身体に刻み込んでるような感覚がある。そういう時に、自分の細胞が作り替えられてると思う。
 環境は自分の分身だと思うから、物を作り、環境を変えるという意味で、鹿とアナグマをすごく大切にしてる。アナグマは自分で巣を建築していくんだけど、入り口を2個、3個と増やしたり、平らなところをボコボコにしたり、どんどん複雑にしていく。そこに身体が慣れてしまったらその巣を放棄して、新しい巣を作る。身体の動きは環境に支配されるから、意図的に自分の環境を作り替えて、自分の感覚を新しく作り直してる感じがあるんだと思う。アナグマはそういうことを沢山やってるから進化の方向に向かってる気がするんだよね。自然を自然のまま使うんじゃなくて、環境とやりとりをしながら作り替えてる。
 自分の部屋の壁をクモが這っているのを見て、「コイツは俺よりこの部屋を使えてる!」と思って、それに負けたくなかったから自分の部屋を作り替えた(笑)。俺が使えていないスペースがあまりに多すぎたから悔しかったのかな。

ー 使い切りたいタイプなんですね(笑)

 そうそう(笑)。自分の外側を使い切るということは、自分自身を使い切ることとイコール。だから、どうしても使いたかった。自分の部屋の壁全面をボルダリングできるようにして、天井をぶち抜いて、4メートルの高さの梁に漁師さんから教わって編んだネットを張って、寝床にした。さらに床に畳を一枚だけ置いたり、木を輪切りにしたのを置いてみたりして。

ー 自分に仕掛けてる(笑)

 そう、罠(笑)。でも、そうやって暮らしていくと、生活の中で「慣れ」と「麻痺」は同じことだと感じた。生活してると、何でもなくなってきて、身体が勝手に動いている。気づいたら、夜中、トイレにいる(笑)。そういうことが当たり前に起きてる。それは環境とやりとりしているってこと。もし、良いものだと思ったら、特別なもの、日常から離れたものにしないで、生活の中にどんどん取り入れた方がいいと思う。そうしたら絶対に忘れないから、それを「ボルダリング」と呼ばずに「部屋」と呼ぶことにしようと (笑)。

ー 物事を「分けない」ということと同じですね。

 嫌だ嫌だと言ってても、頭じゃなく身体から生活は始まっちゃう(笑)意識で始めると、「今日やりたくないけど、決めたからやんなきゃ」と、どんどん機械的になっていくけど、身体から入ると皮膚感覚で「こうしよう」という気づきが多い。だからこそ森の建築家のアナグマを尊敬してる。環境を作って、その環境とやりとりしていると、この身体と、この身体を動かしているものとの相互作用が生まれて、1人じゃなくて環境と生きてるっていう感情が芽生える。
 例えば、正六面体の四角い部屋は空気が循環しない。角にホコリが溜まりやすいようにそこが空気のデッドスペースになる。部屋で深呼吸をしようと思ったら、角に三角形のパネルをはめたりして、球に近づけていく。それで本当に空気が回ったら、自分の肺を治していることと同じ。外を直す、建築するというのは身体を治すことで、マクロとミクロが一緒に起こっているフラクタルというのがすごく理想的。多分アナグマはそれをやっているんだって俺は勝手に思ってる。環境と喧嘩したり、逆に空間と恋愛が起きて「ここ好き!」ってなったり、ワクワクしていて、歓びを知っているんだと思う。それがアナグマの美味しさにつながってるんじゃないかな。あまり意識はしたくないけど、家畜は好きな時に起きて、好きなものを食べて、好きな恋愛をしないから、やっぱり歓びが少ないと思う。もともと歓びを持っていないと、食べられる歓びも持たない。肉を食べることは悪いことだと思わないんだけど、肉を食べることが悪いって思いながら食べると、お互いにとって良くないと思う。食べる歓びと食べられる歓びをお互いが知ってると良いんだろうな。

ー 歓びについて詳しく教えてください。

 猟のたびに向かい合う相手の歓びの広さにすごく驚く。野性の鹿は3歳から5歳、どれだけ長生きでも10歳は超えない。だけどすごい凝縮されたネイティブなものを持ってる。鹿なら身体が山川草木と調和していて、角をアンテナとして使ってやりとりをしている。猪なら地面が意識を持って動いている様な、山を相手にしている感覚。そこに辿り着くまでの生命の物語が視えてくる。土地とやりとりする凝縮された「いのちそのもの」と向かい合っていると、相手が5年しか生きていなくても、歓びの幅がすごくあるのに気づく。俺の中の歓びも多分向こうは見てる。刃物を見て、俺が刃物を作っていないこともわかってるし、刃物の鍛えを見て、それが怖いということもわかってる。いろんなもの一つ一つにすごく興味を持ってる。でも、すぐに次のことに意識が移って、執着がない。

ー 子どもみたいですね。

 そう、歓びを知っているというのは、そこかもしれない。もちろん周りの音や気配に身体全体で意識を使って、すごい警戒する。何もせずに食べられたいわけじゃない。自分の全てをかけて抗った末に、どうしようもできないっていうところで食べられたいというのは感じる。そこに歓びがある。これから自分が知っている宇宙と違う宇宙に取り込まれるという感覚はすごく伝わってくる。その時イワシの群れみたいになっているのかもしれない(笑)。見つめ合って、お互いの意識がミックスするような感じがある。
 食べられる歓びって言ったけど、死ぬ概念がないというか、ネガティブなところを見ようとしないんじゃないかって思うぐらい、死のことは考えてない。子どものようで、死の直前なのに、好きな鹿のフェロモンが漂ってきちゃったら、その鹿のことを考えたりするんだと思う。あと、単純に言ったら、昨日の自分と今日の自分が同じっていう自己同一性を持っていないと思う。例えば、くくり罠で捕まえる時に、基本的には前足にかけるんだけど、下手な仕掛け方をすると後ろ足にかかってしまうことがある。そうすると、足をちぎって逃げる奴が出てくる。そういうのを「三つ足」と呼ぶんだけど、そういう動物に会うと、三つ足を使いこなして生きている。「俺は生まれた時からこれ!」「今日からこれ!」という感じで最大限に適応して生きている。

ー 受け入れ続けている感じですね。シンプルにただ「生きている」。

 うん、ただ持てるものすべてを使って抗っていると思うんだけど、起こってしまったら、それはそれとして生きる。そこに全くネガティブさを感じない。死を死にしていないって、毎回思わされる。何を失ってもいいから・・・・・・ただ生きているってことだけだよね。生きるためにはお金や家が必要で、とか考えない。現実が変わっても、そのままで生活しているのを感じるかな。

ー 仕留める瞬間や生命の形が変わる瞬間をどう受け止めていますか?

 うーん。それは…どうだろうな……ずっとそこは言葉にできずにいるんだけど、相手か自分かわからなくなる感覚は結構よくあることだと思う。やっぱり意識が同じところにいく。俺が太陽を気にしたら、向こうも気にするし、自分が警戒心をもって近づくと警戒する。なぜか猟をしてる最中に「天気良いなー、あの人元気かな?」とか急に友達の顔が浮かんだりする瞬間があって、そうすると向こうもそう思ってたり。最初の猟の時、ただ本当に美しくて。鹿は風呂入ってないし、脂で濡れているし、毛も汚れているんだけど、脂が太陽に当たって虹色に光っていてきれいなんだよね。すごく洗練されてた身体をしてるし、その柔軟性だとか、全部見えてくる。それに見とれているうちに、すごく時間が経ってた。
 罠にかかっているし、自分は槍構えているし、「何だこのシチュエーションは」ってなってきて、「俺は何だ?!」みたいな(笑)ただきれいだから、ずっと見てるんだよね。だけどその時に相手が受け容れてくれた感じがある。最初からリラックスしてるだけでいいのかと言われたら、そうじゃないんだよね。縄文土器の「派生—胎動—産出」のストーリーと同じように、緊張の出逢いから、段々リラックスしていって、お互いにいろいろ考えたりするストーリーがある。多分それは走馬灯で、俺も獲るたびにそれを見て、共有してるのかもしれない。最初の猟の話に戻ると、ヨコを向いた瞬間に、「今だ」って思っていないのに、先に手が動いた。槍が引き寄せられたというか、相手が受け入れてくれたのかもしれない。だから毎回、「獲った」と言い切れないところがある。でも、獲ってるんだよね……逆にそいつが引っ張って、刺したのかもしれない。捧げてくれたのかもしれない。そういうことが同時に起きている気がする……って、今はじめて言葉にして思った。

ー 「死」とはなんだと思いますか?

 一度会って、関係を持つということがすごく大事な気がしてる。亡くなったおじいさんのことをよく思い出すんだけど、そういう時はおじいさんが近づいている気がする。死のイメージは「変化が起きない」ことっていうのがあるけど、今、自分がおじいさんと喧嘩をしてもいいと思う。相互作用の中で環境を変えながら「生きている」という今の状態があり、「死」は別のもっと深いレベルで相互作用しつづけているという気がする。だからそれって、死んでると言えるのかなと思う。
 「死」はないと思う。生まれる=発生は、どんどん発生していて、どんな些細なことも宇宙に記憶されていると思う。そして一度やったことは、二度と起きないようになっていて、新しいことが増えて、無限につながっている気がする。例えば中国の始皇帝の時代に強い将軍があらわれて、10年経ったらもっと強い将軍があらわれて、どんどん最強が更新されていく。だから自分自身も新しいことに向かったり、やったことのないことをやってみようという気持ちでいた方が良いと思う。その時は怖いから、心臓が「ドクン」とするんだけど、すごく「生まれた!」って感じる。その「ドクン」と同時に惑星が一個生まれたり、森に新種の動物が現れた瞬間がリンクしているかもしれない。

ー 今後、どんなものを形にしていきたいですか?

 科学的にシャーマニズムをやってみたい。それが今できるタイミングかなと何となく思ってる。心臓の鼓動は自分で叩いているわけではないから身体から叩いて貰っている。この有機体と身体を動かすもの(建築的環境)を使用して、身体だけではできない進化(退化・変化)を雰囲気や環境とともに共同で作っていくことが可能なら、先ずは親から、土地から地球から与えられた有機体の感覚を発見・発明したい。有機体—人間が環境を建築して、新たな環境が有機体を建築していくということは、生活環境の中に聖地があり、聖地作りをすることで、有機体を聖地にするということ。実生活の中で分散してしまったり、分け隔てられた身体や“ワタシ”と呼んでいるものに明確な方向性を持たせるということ。
 僕はこの有機体と環境、生活の全てが“生命”へ向かう様に建築的環境を作っています。そしてそれ自身が、生命の構築でもあると考えます。この話は言葉が入っていくのが難しい。例えば 水平の身体感覚を建築したければ、部屋の床を凸凹にして傾いた家に住めば、意識せずとも暮らしているうち身体が水平感覚を建築する様に、とても体感的です。だから、言葉にしたり、何か作ったり、形にすればするほど、それがどんどん濾過されていくけど、どこまでやっても形にできない曖昧な所はなくならない。シャーマニズムも、サイエンスも、どんどんごっちゃにさせて、はっきりさせていって良いと思う。それでもきっと、曖昧な地点は残り続ける。だからそういうことをせっかくだったらやってみようと思う。それと狩猟と。自分の中では、その二つは立体的に同じことをやってる感じがある。本当、多面だよね。一つのものを見ているんだけど、全部角度が違うだけという状態が起きてる。向かう先は、自分の中に持ってる“生命”。すごく漠然とした言葉なんだけど、ドラムも、立体も、そこに向かっている。今、岡山県の阿波村を新たな生活の拠点と決めた。身体の目覚める環境で次の段階に進んでいく。


リュータロー   Ryutaro

1988年生まれ。岡山県瀬戸内市在住。獣肉加工処理施設で食肉加工に携わったのち、猟師として独立。工房アマヒコ主宰。くくり罠猟で仕留めた鹿で、儀式や治療などスピリチュアルな用途で用いるためのシャーマンドラム(フレームドラム:片面太鼓)を制作するほか、多面体、ドラム制作ワークショップの開催や麻柄ドームハウスの建築などを手掛ける。その興味の対象は「狩猟」という枠に留まらず、縄文文化、量子力学、神聖幾何学、先住民の暮し方、エネルギーなど、多岐に渡る。

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