SPECIAL INTERVIEW #16
よみがえれ、いのちのリズム。
建築家 / 村山雄一

埼玉県飯能市にあるトーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園。

ここは、子どもたちの生きる力を大きく引き出し、同伴する大人にとっても、どこかに置き忘れてきた大切ななにかを思い出させてくれる場所だ。

公園内にある4つの建物を設計した建築家・村山雄一(たけかず)氏を訪ねた。


回遊できる「村」として

 山があり、崖があり、ムーミン童話の世界のように谷があり、木々の緑の中を小川が流れ、小道が、土が、橋がある。そしてまるで夢の中にいるような、不思議な建物が点在している。総面積は7.6ha(ヘクタール)だからさほどの広さはなく、むしろコンパクトな印象だが、これが子どもたちでも隅々まで敷地内を踏破できる絶妙のサイズであることを強調しておきたい。

 「“もう帰ろうか”というと子どもは泣き出すんです。手を引かれて泣きながら帰る子の姿をたくさん見てきました」 村山雄一さんは目を細めてそう語る。トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園。その名のとおり、あのムーミンのファンタジーで知られるフィンランドの世界的作家公認の公園だ。この公園は「異なる2つのものの融合」をテーマにしている。ここに広がる自然と人間。互いに個性の異なる子どもたち。価値観の違うそれぞれの親たち。それらが「同じ」になって溶け合うのではなく、違いを認め合ったまま、仲良く、公園と建物を楽しめる場所である。

 「当初の公園側が設計した建物は、多目的空間を一つにしたものでした。しかし飯能市役所の方が『もっと日本独特のユニークなものを作りたい』『江戸時代からの杉とヒノキの産地である飯能なのだから、木造でやりたい』ということで、私に声がかかりました。当時私は福岡と広島で幼稚園を作り、それが雑誌で紹介されているのを役所の方がご覧になってのことでしょう。公園側の設計を見て私が最初に思ったのは、『一ヶ所にまとめてはだめだ』ということでした。だから3つのそれぞれ用途の違う建物に分けてそれらを点在させ、その間を回遊するように設計しました。それは1つの村を作ることでもありました」

 大地を割って地上へ頭をもたげたような「子ども劇場」は、地下に降りていくと地下水を利用した池のある休憩の場とトイレ、それに公園の管理事務所になっている。「森の家」はトーベ・ヤンソンのことやムーミン童話の本、資料が詰まっていて、木の産地として知られる地元・飯能市の西川材をふんだんに使った建物となっている。

 そしてテーマを最も良く体現しているのが、地面から大きなキノコが2つ生え出したように見える「ムーミン屋敷」(現在は「きのこの家」に変更。設計当初の呼名は「ムーミン屋敷」)だ。2つのキノコついては次に語ろう。


異なるものの融合した形。ムーミン屋敷(きのこの家)。写真家:永田陽一。

異なるもの(2つのきのこ)が1つになった「きのこの家」。まるで規則性のない自由な窓やユーモラスな階段、手すりに目を奪われる。

あなたと私
私とあなたで、私たち

 「『ムーミン屋敷』の原作はトンガリ帽子の円柱の建物になっている。だけど、建物を木造でつくるとなると法規に高さ制限があって、それだとずんぐりむっくりに見えるので、苦労して1つの円柱の建物を2つに分けることにしました。分けると少し細く見えてプロポーションが保てるんです。

 トーベ・ヤンソンの短編『春のしらべ』を読んでいるうちに、2つの別れた円を大きいものと小さいものにしようと思いつきました。そして上階では逆転して今度は小さいものと大きなものにしようと決心しました」(2つのとっくりの1つを逆さにして、その2つを抱き合わせるという発想を得た)

「2つに分けるという発想が最初にあったわけではない」と村山さんは言う。お互いが独立しながら1つに融合した形だ。

 「春のしらべ」にも登場するスナフキンは、ムーミン谷にいない時はいつも一人で世界中を旅している。リュックサック一つで身軽に移動するその姿には誰もが羨望のまなざしを向ける自由人だ。春の訪れを感じ、ムーミン谷へ帰る途中、あたらしい歌が自身の内部から生まれそうな予感とともに、機嫌よく、野外で自ら焚いた火の傍で質素なスープの食事を摂っている(つまり皆のあこがれの的であるスナフキンは大きな存在)。するとそこに、みすぼらしい小さなはい虫がやぶの中から姿を現してくる。その虫には名前が無く、スナフキンから名前を聞かれたことに対し「これまで、ぼくに名まえをきいたものなんか、ありやしません」と感激する。スナフキンは「たとえばティーティ=ウーじゃどうだね。ティーティ=ウー、はじめはあかるくて、おわりはすこしかなしそうに終わるんだ」と、はい虫に名前を付けてやる。(はい虫はここでは小さな存在。)ところが一方のスナフキンは、すぐそこまで浮かんでいた歌の調べが小さなはい虫に邪魔され、せっかく浮かんできた歌の調べがどこかへ行ってしまい戻ってこなくなって不機嫌になってしまう──。

 面白いのはここからだ。翌日、旅を続けるために旅立ったスナフキンはどうしたことか歌の調べの創作のことなどどうでもよく、そのはい虫にまた会いたくてたまらなくなり、来た道を元に戻ってきて、はい虫の名前を呼ぶようになるのだ。自分の名前を呼ばれたティーティ=ウーは、スナフキンに向かってこう宣言する。

 「ぼく、かあさんの家をでて、あたらしい家をつくりにかかったんです。君なんかの相手になっておれない」と。

 ここで今まで大きな存在(スナフキン)と小さな存在(はい虫)が逆転し、小さな存在と大きな存在の2人になる。そして「よし解った」というスナフキンの言葉をもって異なる2つの存在が融合する。

 村山さんは語る。

 「建築技法上の要請として2つの建物に分けるということをしながら、あくまで1つの家として融合させる。これは矛盾と言えば確かに矛盾ですが、異なる2つのものが1つになるという本質的な形ができる場所にもなっていると思います」


子ども劇場。えっ、これが扉? 窓? 自由すぎるデザインに驚嘆

 3つの建物、とりわけ「きのこの家」を見て、体感して誰でもすぐに了解できるのは、ここには直線というものがない、という事実だ。屋根も、壁も、階段も、ほとんどの人が住まいやオフィスでは経験し得ないような豊かな曲線で構成されている。

 そして、なんといっても窓! なんと自由で、意外で、楽しくて温かいのか。ここでは少なくとも2つのことが起きると思う。すなわち、窓というのは、建物の壁にうがたれた穴で、そこから光が入るという、あまりにもあたりまえすぎる原初的な認識。もう一つは、日々の暮らしの中で、窓が四角で当たり前と思っているが実はそこには必然性や根拠などまるでないことだ。

 「スタディ模型を製作中に四角い窓はこの建物には似合わないと思いました。四角というのは垂直と水平でしょ。よく考えたらそれ、おかしいんです。四角である必要なんてまったくない。それでいろいろ考えて、今あるような窓になりました。私がこういう窓を作るようになったのは、この公園に係わって以降です。普通の住宅にだってああいう窓を作っていい。もちろん、従来の窓に比べてお金はかかります。しかし、そういう窓が内部の空間にもたらす豊かさを重視しなければなりません。だから、残りは全部四角でもいいから、せめて1つの窓だけでもそうしてあげるとか、考えたいですね」

 窓のカタチが四角でなければ、光の入り方が違う。窓の角が矩形になっていないことで、室内の空間の角度とぶつかることがなくなり、独特のリズムが生まれる。そしてリズムといえば、観音開きの窓は左右で大きさもカタチも異なることで(左右均等があたりまえ、という先入観は粉砕される! しかもとても楽しく生まれるリズムがある。

 他の建築現場でこのような左右違った形の観音開きの窓を設計していたら「建具屋さんが『こんなのだいじょうぶかな?』と半信半疑で作っていました。ところが取り付け終わったら、実感を込めて『こういうの、いいな』って言ってくれたんです(笑)」


「森の家」の扉の把手。「天と地」がテーマゆえ、上下に組んである。

左右均等でない「仲よし」(きのこの家)

 ここで窓に関しての、村山さんご自身の文章を紹介しておきたい。窓というものが人の生活をいかに深いものにできるか、理解できるはずだ。


 設計者は窓のひとつとっても、部屋の内部にあって考えることの大切さを実感した。考え抜くということだ。その時、物事を無機的に考えるのではなく、建物を人の住まいとして有機的に考えることが大切である。そしてこのことが生命衝動となるよう努力する。思考することの一歩前進した段階と言える。すると知性で捉える思考より高いところに至るのではなかろうか。物事を生命化するという普通の人にはマネのできないことが可能となるのではないだろうか。


川があるから橋がある。そして、籠れる小さな部屋がある

内側から湧き上がる建築

 村山さんは、建築を外観から作らないことで知られる。いったいどういうことだろうか。

 「大学で建築を学んでいた頃は外から見たエレベーション(外観を表す立面図)に凝っていたけど、実際に自分で仕事を始めてからはそうでなくなりました。

 例えば外側から見る場合は、全体から見てかっこいい窓をつけたがります。しかしそれは実際に内部空間のことを考えていない無責任な設計なんです。私はビルも手がけましたが、よくある連窓ではなく、個々の独立したポツ窓を提案したことがありました。すると『そんなことしてもらっちゃ困る。だいいち、連窓のほうが光がたくさん入って電気代もその分安くなるんじゃないか』と否定されました。その日は天気の良い日で、言われたのも連窓のオフィスでしたが、フロアにはすべてライトが点いていました。私は言いました。『これは何ですか? こんなにいい天気なのに全部電気点けてますね』。相手は苦笑いして、『社員教育がなってない』とか言ってましたが、要は光に無神経なんです」

 外からではなく、内側から湧き上がるチカラで建物をつくる。それは生命というリズムの声を聞き、寄りそい、共に生きようという姿勢そのものである。内側から吹き上がるチカラがあるから、「きのこの家」は、村山さんが作る建築は屋根にふくらみが感じられる。

 「人間のアタマも丸いでしょ? ペチャンコだったらおかしい。河童みたいだ(笑)。アタマは内部からのチカラでできているから丸いんです。天井が平らというのは外側からのチカラ。抑圧です。いまほとんどの住宅の天井はそうなっていると思いますが、そういう平らな空間の中で暮らすのと、ふくらみの中とでは、自ずと生き方も変わるはずです」 思えば四角というもの、平面というもの、直線というもの、これは数学的な「概念」に過ぎない。自然界にはほんとうはどこにもまっすぐなものなど存在しないのだ。

 村山雄一さんの建築こそは、そのことを静かに教えてくれる。


村山雄一 むらやま・たけかず

1945年北京生まれ、佐賀県出身。早稲田大学理工学部 建築学科卒業後、76年に一級建築士免許を取得。その後、旧西ドイツに渡り、ルドルフ・シュタイナーを研究。その間、ヨーロッパ各国をスケッチ旅行、ギリシャ、トルコ、エジプト、インド、ヒマラヤにも及ぶ。西ドイツ、オーストリアの建築事務所勤務を経て84年に帰国、横浜に村山建築設計事務所を設立。

■村山建築設計事務所
http://www.murayama-arch.com/


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