Special Interview #21

イエローストーンでオオカミから学んだこと

オオカミ研究家 / エリ・ラディンガー

「野生のオオカミを見て心を動かされない人はいない。心の奥の、まだ損なわれていない部分に触れるのだ」
――著書『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』(築地書館)で、エリ・ラディンガーさんはそう述べている。
弁護士のキャリアを後にしてドイツ・ヘッセン州からアメリカに渡り、イエローストーン国立公園でのオオカミ再導入に関わった。
オオカミ研究の第一人者であるラディンガーさんに、自然と人との関わりやオオカミの知恵と魅力についてうかがった。


弁護士からオオカミ人生へ

 私はルフトハンザ航空のフライトアテンダントとして働いていた時期があって、仕事を通じて世界各地を旅して訪ねるのが楽しみでした。でも、もっと知的にチャレンジングなことがやりたいと思い、法律を勉強しました。
正義感が強い自分に向いているだろうと思ったのです。大学では航空法を専門にしましたが、
その分野で就職することはできませんでした。
それで自分の法律事務所を立ち上げ、契約、離婚問題、交通事故、刑事事件など、よくあるケースを引き受けていました。

 情熱と理想に燃えて弁護士になったものの、現実は考えていたものとはまるで違い、ストレスがたまりました。
私は優れた弁護士が必要とする距離感と非情さに欠けていたのでしょう。
残りのかけがえのない人生もこの職業を続けたいかと自問しました。

 新しい仕事を探し、ジャーナリストとしてアメリカに渡り、オオカミをはじめとする野生動物や自然について
執筆するようになりました。ヨーロッパよりもずっと広大で、自然の中の人間の数が少ないところに引きつけられたのです。
オオカミ行動研究実習生に応募した時に、オオカミのリーダーの面接がありました。そこで顔を舐められて採用され、
私のオオカミ人生が始まりました。

 その後1995年、イエローストーン国立公園にカナダのオオカミが再導入(*)された時に、そのプロジェクトに参加しました。
公園北部、標高2500mに位置するラマー・バレーで、複数のオオカミ家族を観察し、
生物学者に報告するのが私の任務でした。この時以来、1万回を超えるオオカミとの出会いを経験しています。

(*注記:オオカミが絶滅した地域に、人為的にオオカミの群れを作り出すこと。イエローストーン国立公園では1926年に政府によりオオカミが根絶されたが、それによりシカ類が急増し、生態系に悪影響が出た。80年代にD.ミーチ博士が生態系にオオカミの再導入を提唱。92年に絶滅危惧種法制定に続き絶滅危惧種に指定され、95年に再導入された。)

 人がやりたいことに踏み切れないのは、恐れがあるからでしょう。
慣れ親しんだ環境を離れ、やり方を変えることに恐怖を感じたら、生きる時間は限りあるものだということに気づくべきです。
自分の夢をかなえて新しい冒険を始めるのに、遅すぎるということはないのです。
人生の終わりを迎える時にやらなかったことを後悔するのは、私は嫌です。人生はそれ自体が贈り物ですから、
思い切り生きた方がいいと思います。やりたいことがあるなら、チャレンジしてください。
もしかしたらうまくいかないかもしれませんが、やってみなければわかりません。
失敗というのは、挑戦すらせずに諦めることです。私は後悔したことは一度もありません。
過去を振り向かないことも、オオカミから学びましたから。

自然には独自のリズムがあって、 私たちが急いでいることなど気にしません。


自然の時間と待つ能力

 野生動物の研究になくてはならない性質は、待つ能力です。オオカミが目を覚ますまで、
時には氷点下30度の戸外で4時間待つこともあります。
自然には独自のリズムがあって、私たちが急いでいることなど気にしません。
私は何でもすぐに片付けたい性分なので、イエローストーンで時間という概念を定義し直しました。

 ナラの樹は300年かけて生き、300年かけて死ぬ…。世界は私のことなど気にかけず、全く違う時間枠で進行しています。
化石化した5000年前の木や、巨大なマグマを目の前にすると、自分がちっぽけな存在に感じられます。
でも決して無意味な存在ではなく、あらゆるものを擁する巨大なプランの一部だという気がして、気持が楽になるのです。
私たちが自然に癒しを求めるのは、生きるとはどういうことかを感じ取り、今を生きることを学ぶためではないでしょうか。

 オオカミの狩りには経験に裏打ちされた技術と知識が必要で、その試みは8割が失敗に終わります。
でもオオカミは目的が達成できなくても気にしません。人間はうまくいかないと往々にして、自尊心が傷ついたり、
失敗は許されないと思い込んだり、他人と能力を比較してイライラしたりします。
忍耐の基礎は生命の自然のリズムを受け入れて、人間が作り出したプログラムに過剰に順応しようとしないことです。

オオカミはなぜ真剣に遊ぶのか

 オオカミは子どもも大人もよく遊びます。湖や川の氷をみんなで滑って砕いたり、かくれんぼしたり。
棒切れ、骨、人間が残した帽子などをおもちゃにするのも得意です。遊びは互いにコミュニケーションし、体を鍛え、
社会の結びつきを深めるためのトレーニングでもあります。
子どもは遊びから、例えばどの程度まで噛んでいいか、どんな態度なら群れのメンバーに許されるか、
どうやって諍いを解決するかなど、フェアプレイや協力、セルフコントロールを学びます。
大人のオオカミは、子どもと真剣に遊ぶことで倫理や道徳を身につけさせ、家族をまとめるのです。

 果たして人間の子どもたちは、今も遊び方を知っているのだろうかと考えることがあります。
成長に欠かせない社会的行動のプロセスは、スマートフォンやタブレットで行われるわけではありません。
人間は、オオカミのように遊びの重要性を正しく理解しているのでしょうか?

 デジタル化された社会について言えば、残念ながらもはやコミュニケーションが成り立っているといえないように思います。
人々はお互いに話しかけなくなりました。一日に一度、家族で食事をする代わりに、それぞれが自分のことをしています。
コミュニケーションはデジタル化し、ソーシャルメディアにとって代わられました。

 オオカミはコミュニケーションの達人です。目、耳、鼻、尻尾の位置など、彼らは体を使って会話します。
家族での遠吠えはその絆を強めます。明確かつ効果的にコミュニケーションする能力は、
オオカミどうしが滅多に喧嘩をしない理由のひとつです。
相互理解を深め、信頼を築くために、コミュニケーションは重要です。
ですから人間も再び、会話をしはじめなければなりません。

人間にとても近い動物

 自然という言葉は、誤解されやすいと思います。
現実の自然は、美しいカタログ写真で見るような、平和で完璧な誰もいない自然の景色ではありません。
自然は、厳しく、汚く、雨や雪に濡れて凍えるように寒く、危険で孤独なものです。ディズニー映画とは違うのです。

 オオカミは群れでシカ等の動物を襲いますが、死は流血を伴う恐ろしいものです。
そういう場面を見る時、私は餌を待っている群れの赤ちゃんのことを意識的に思い出します。
それでもオオカミの狩りは自然の一部であって、悪質でも残酷でもありません。
私には、家畜の大量飼育や動物輸送の方が残虐に思われます。

 太古の人間は、自分たちとオオカミが似ていることに気づいていたのかもしれません。
どちらも組織的なグループで草食動物を狩り、仕事を分担していました。
狡猾な戦術と集中的な努力によって、俊足で体力のある獲物を仕留めていたのです。
オオカミの群れの様子から、太古の人間の食事や社会生活、組織、儀式などがうかがえるように思えます。

 赤ちゃんは群れにとって大切な宝物で、家族全員で世話をします。
また、高齢者や負傷者は家族から食物をもらい、見捨てられることはありません。
メンバーはそれぞれの位置をわきまえ、意思決定者をリスペクトします。家族の強い絆は、
自然界で生き延びるための重要なプロテクターなのです。
雌雄を問わず年間を通して食料を運び、家族の誰かが病気になれば世話をするのは、
人間とオオカミだけが持つ性質です。オオカミやイヌと人間が出会ったのは不思議ではないのです。

 最後に、長年私が座右の銘としてきた「オオカミのルール」をご紹介します。
パンデミック中も、これに沿って生きることだと思っています。家族を愛すること。
自分が預かった人たちの面倒をみること。
あきらめたり自暴自棄になったりしないこと。そして…遊ぶのをやめないこと。


エリ・H・ラディンガー
Elli H. Radinger

ドイツ・ヘッセン州に生まれる。子どもの頃からひとりでいるのが好きで、ジャーマンシェパードが親友だった。
弁護士のキャリアを捨てて、大好きなオオカミに関わる仕事を始める。1991年にドイツオオカミ保護協会設立。1995年よりイエローストーン国立公園のオオカミの再導入に参加。著書に『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』(築地書館)、『The Wisdom of Old Dogs: Lessons in Life, Love and Friendship(老犬の知恵:人生、愛と友情のレッスン)』がある。


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