Special Interview #25

病み、出会い、人と向き合う。

閉鎖病棟の牧師、悩み相談を受ける

王子北教会で牧師を務める沼田和也氏が著書を書き下ろした。
タイトルは『牧師、閉鎖病棟に入る。』その名の通り、精神のバランスを崩し
精神科病院の閉鎖病棟に入院した沼田氏自身の体験を書き記した本だ。
閉鎖病棟で暮らす様々な人々との出会いが生き生きと綴られる中、
自らが抱える心の闇と向き合うことの難しさ、そして社会の中で
他人と同じようには生きられない人たちとどのように接すれば良いのかといった
きわめて困難な現代的問題が実に率直に、そして真摯に語られている。


違う日常を生きる人々との出会い

--- 精神科病院への入院を決意されるまでには葛藤もあったのではないでしょうか?

 実は、私の妻も精神的なトラブルを抱えています。以前は、彼女に対して私は、自分が守る立場の人間、世話をしている側の人間だと考えていました。これは私の性格の家父長的側面です。他の人から相談を受ける時にも、自分は強い男性だという考えがどこかにあった。そして辛いことや苦しいことがあっても、自分は他人にそれを見せてはいけないという根性論でやっていたと思います。心の辛さを自分の中にためてしまっていた。ところが、ある日それまで入院していた妻と散歩した時、彼女から病院の食事で肌がキレイになったと言われたんです。友達もたくさんできて嬉しいと。そうした何気ない話を聞いて、自分がいかにつまらないこだわりを持っていたかと気づかされました。私は自分で自分を武装したり取り繕って、何とか人の上に立ちたいと考えてきたのでしょう。ところが彼女の穏やかな笑顔には、日常と病院とを無理に分け隔てる何のこだわりもなかった。散歩が終わる頃には、自分の心の病と向き合うために私も入院しないといけないと考えていました。

--- 閉鎖病棟ではたくさんの人々、とりわけ少年たちとの出会いが印象的に描かれています

 とても不思議な子供たちでした。それまで会ったこともないような。それ以前に私が出会った若い人たちの中にはかなりわんぱくな子もいましたが、どこか社会から逸脱しないところがあった。ところが病院で出会った少年たちの一人は、金づちで妹を殴って入院していたんです。しかも殴った理由が分からない。普段は仲が良かった妹相手に、本当につまらないケンカがきっかけで殴ったとのことです。それは僕には理解できないことでした。僕が知っている世界の外を彼は生きていた。僕が生きている日常と、彼のそれが全く違うということだったんです。何か事件が起きてテレビで報じられると、よくコメンテーターが犯人に対して反省すべきだとか、反省していないとか口にします。でも、犯人が僕たちと同じ日常を生きていないのならば、僕たちと同じようには反省できないかも知れない。少年との出会いを通じて、そんなことを考えるようになりました。

--- 他の人とは同じように生きられない人もいるということですね?

 犯人の更生以前に、まず被害者への補償ありきではありますが、犯人に同じ罪を犯させないこともやはり重要だと思います。その中で、犯罪を犯して精神科病院や医療少年院に入院した人が、そこから出て再犯する場合もあれば、そうでない場合もあります。その違いが何に由来するかは分かりません。どんな病院や少年院、あるいはどんな先生でも、犯人に同じ罪を犯させないよう頑張っていると思います。ただ、単に刑に服して罰を受けよというのではなく、修復的手法として加害者に自分の罪を見つめさせる手法が最近行われるようになってきました。

 坂上香さんという映画監督が撮った『プリズン・サークル』というドキュメンタリーにその様子が出てきます。その中で、自分の悩みを一つの童話として語る受刑者が登場する。魔術師から一人でも生きていける力をもらった主人公が、その代償として嘘しかつけなくなるという物語です。主人公はたった一人でも生きていけるのですが、ある日やっぱり他人と暮らしたくなって街に出てくる。そして彼は、自分は嘘しかつけないけど、どうか分かってくださいと街の人にお願いします。物語はそこで終わりでした。街の人がどう反応したかは分かりません。普通に考えると、主人公がそこでもう嘘はつきませんと言うのがハッピーエンドでしょう。でも彼にはそう言えなかった。彼は嘘を止めることができない。嘘しかつけない自分を受け入れて欲しいと言う。僕たちが街の人間だったとして、そう口にする主人公にどう反応すべきでしょうか。自分たちと違うから受け入れられないというのは一つの答えでしょう。でも、嘘をつくことだけ受け入れてもらえれば、後は街の人と一緒に暮らすことができると言う。そんな主人公に対して、僕たちはまた別の答えを出すこともできるんじゃないだろうか。あるいは、その可能性を少なくとも考えてみたい。そんなことを考えさせられました。

--- 自分たちと違う人間をむしろ追い詰める傾向が社会にはあるように感じます

 覚醒剤防止の意図で作られたコマーシャルで「駄目、絶対!」とか「覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?」というコピーが使われているのを見たことがあります。あれは一度手を出してしまった人間にとって非常に恐ろしいもので、というのは、ああした広告を通じて罪が内面化されてしまうからです。単に悪いことをしたというばかりでなく、自分はもう人間じゃない、後戻りできないと考えてしまう。これは二重に苦しいことです。あるいは、覚醒剤の粉をイメージした映像が使われていたりもします。あれも依存症の人には、むしろ拷問以外の何ものでもありません。あれを見て薬が欲しくなってしまうんです。僕たちは、自分がまともな世界に生きていて、そこからはみ出した人は例えば「異常」だと決めつけて排除してしまいます。これはとても残念なことですし、危険なことでもあると思います。

神に委ねることと人と向き合うことは両立する

--- 牧師として、日々たくさんの人から相談を受けられる中で、どうやってその全てと向き合うことができるのでしょう?

 それはやはり、信仰の領域だと考えています。僕が何を話しても最終的にその責任は神が取ると思っているんですね。それはしかし、無責任とは違います。自分の目の前にいる人に対しては真剣に向き合います。ただし、最終的にその方の運命は神に委ねるということです。委ねることと向き合うことは両立するんですね。その方と深く関わる以上、全てを神任せで終わりにはできません。でも、その人に対して僕が全て責任を取れるかというと、それは多分難しい。そこは神に委ねて、助けてもらっています。もし僕が宗教的動機なしに、単に世俗的思考だけでこうした活動をやっていたら、多分一瞬で潰れていたと思う。それくらい、他人から相談を受けることの責任は重大です。でもそこを神が助けてくれると考えているので、僕は自分にできる範囲のことを全力で続けることができた。牧師を務めていると様々なことが起きます。様々な出会いもある。その全ては、僕が必死に頑張ってきた努力の結果ですが、同時にどこか超越的な体験でもある。自分がやってきたことが、同時に神から与えられたことでもある。そうした感慨を抱くことが多いです。

--- 教会での悩み相談は24時間受付とのことですね?

 そうです。特に時間は決めていません。例えば死にたいって人は夜中でもいきなり連絡してきますから。むしろそうした時間の方が多いですね。僕自身も月に一度は臨床心理士さんのカウンセリングを受けていますが、あちらは時間が決まっていて、患者は決められた時間に診療を受け、臨床心理士さんはその時間分の報酬を受け取るという仕事です。でも僕の場合は、そうした線引きができません。心の準備もしていない状態でいきなり相談に対応しなければいけないことも多いです。僕も人間ですから夜は眠いですし、悩みに対してクリアにお答えできない時もありますね。

--- そうした生身の人間である沼田さんは、自分が牧師として期待されるイメージとの間にギャップを感じられることはありますか?

 若い頃にはありました。苦しかったですね。でも今はどうでも良くなりました。僕は夜中には眠くて頭がはっきりしないし、自分でも心に病を抱え閉鎖病棟に入院した沼田和也という一人の人間に過ぎません。そんな自分に少し毛の生えた程度の存在として悩みの相談を受けるというスタンスです。だから、キリスト教の教義で自分を権威づけたりすることも特にしません。相談者の方から、自分の悩みがキリスト教の中でどう語られてきたのか聞かれればそれはお答えしますが、聞かれない限りは特に話さないです。たとえその人の悩みにピッタリな聖書の一節があったところで、僕が安全な場所から相談者と話している限り、それは単なる知識に過ぎないからです。それでは相手の心には届きません。勿論聖書にも色んな人の苦しみや絶望が書かれていますが、それらを単なる知識としてではなく、僕自身の言葉から滲み出る何か、あるいは態度として相手に伝えなければいけないのだと思います。そして閉鎖病棟に入院した僕だからこそ伝えられるもの、語ることのできる言葉がそこにはきっとあるだろう。自分で苦しみを知っているからこそ、他人の苦しみとも向き合えることがあるかも知れない。だとすれば、僕自身の苦しかった人生にも意味があったんじゃないかと感じられますね。


牧師・沼田和也(ぬまた・かずや)

高校時代に引きこもりとなり中退。95年には阪神淡路大震災に遭遇。大検を経て大学に入学するも、再び引きこもりとなる。2004年、関西学院大学神学研究科博士課程前期課程修了。伝道者の道へ進むが勤務先の教会で多忙を極め、極度の疲労から精神科病院の閉鎖病棟に入院した。現在は王子北教会で牧師を務めている。

 


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牧師、閉鎖病棟に入る。
沼田和也
実業之日本社
1430円(税込)

精神科の閉鎖病棟へ入院することとなった牧師の著者。病棟での様々な境遇の人との出逢いがこころに刻まれていくなか、伝道者は自らの思考の偏りに気づき、被害者の立場でもなく、根性論でもなく、自己卑下でもない在り方を探すノンフィクション。


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