Special Interview #27

麦からつくるパン屋のはなし。

「麦焼処 麦踏」パン職人 宮下純一

知ってしまったからには

 店のすぐ前には有機・無農薬栽培の小麦畑があり、晴れた日には房総半島まで見渡せる絶景が広がる。
「ここは見てもらいたい畑です。だ から、周辺をきれいにして、お客様がのんびりできるところを作ろうかな って思ってます。南足柄の方にも畑 があるんですが、そちらはもっと大きくて、いろんなパン屋さんを集めてやっています」
「農作業に必要な機械への投資は すべて自腹で、大赤字事業ですが」と明るく笑う宮下さん。
元々、国産小麦には全く興味がなく、虫も大嫌いだったのに、畑に興味を持ち、研修を経て農家資格を取得するまでになったという宮下さん。そのきっかけとは、何だったのだろうか。

 「国産小麦の価値啓蒙をする『麦踏み塾』という会に参加して、初めてちゃんと小麦畑を見たことですね。小麦に興味を持ち始めて、その興味がどんどん膨らんでいったんです。 小麦に関わっているパン屋の人間 が見たことがなければ、一般の人は尚更見たことがないですよね。でも、それでは小麦は広がらないでしょうし、こんなに身近に小麦畑があ ることを知ってしまったからには、まずは自分で育ててみようと思って始めました。」

 色々なことに好奇心が強く、ピンときたものには真っしぐらに突き進 むタイプの宮下さん。山を開墾して 畑を始め、「小田原農の会」に入って小麦栽培を学び、「せっかく自分で育てるんだったら、製粉も覚えたい」と思い、麦踏塾を主宰していた創麦士、本杉正和さんのもとで 製粉を学ぶようになる。

 本杉さんは、石臼製粉プラントのミルパワージャパンを平塚市に構え、パン職人として徹底的に粉に向き合ってきた人。製粉時の熱で小麦の香りを飛ばさないよう石臼を低速設定するなど、師匠のやり方を踏襲する宮下さんも、自分の店でじっくりと製粉を行う。 

 「パンにして焼き上げたタイミングで香りがピークに来るように製粉しています。精麦は表皮の三層だけ削る方法のため、香りも高く味も濃いふすまが残ります。だからこそ、三割でも一割でも、生地に入れれば十分香りが出ます。膨らみが良いとか甘味の強い他の粉とブレンドしたときにも、相乗効果がより上がりやすく、自分の好みのパンにし易いんです。ただし、ミルパワーの湘南小麦は、一般に流通している粉の3倍の価格です。でも、それだけ手間もかかっているし、大手製粉工場の粉との差別化にもなります。」

 海外の小麦を使っていた頃は、製 パンの工程で粉が少しぐらいこぼれてもさほど気に留めなかったが、自分の育てた小麦は、「愛着が湧いて、大事に使おうとします。パンになったときに、できる限り美味しくしてやろうと思います」。

ライブ感で作る

そんな愛情とこだわりがぎっしりと詰まったパンだが、食べてみるとクセはなく、あとを引く美味しさだ。 

 「理想のパンを表現する時に『こたつのミカン』ってよく言うんですけど、毎日食べても飽きにくいというコンセプトで、味のバランスを考えながら作っています。当たり前に生活の中にあって、ついつい食べちゃうっていう感覚が理想で。一口目で『うまい、これ!』というより、食べ切った後に『なんかもう一個食べたいな』とか『美味しかったな」とかが丁度いいんですよ」

 自分の作ったパンが日本で一番大好き、と目を輝かせる宮下さん。 

 「日本で一番美味しいか?って問われたら、それは多分また別だと思います。自分が食べたいから作っていて、その結果、お客さんが美味しいって言ってくれたら2倍お得じゃないですか」と、いたずらっぽく微笑む。

 飽きのこないパンの秘訣は、出来上がりが「日々ブレること」だというから興味深いが、ブレても良いのだろうか。

 「もちろん、美味しいことが大前提ですけど、発酵が絡むので、その日のライブ感で作ると良いんですよ。 計量をぴっちり、時間をきっちり揃えると、毎日似たようなパンができますが、なんか面白くないなって思っているんです。『今日はこれくらいで焼いた方が美味しそうだな』という 感覚もありますし、本当にその日その日の気分で作っています。」

 「その日の生地の様子や気温などに応じて、発酵時間や捏ねる水の温度を少しずつ変えながら、焼き上がりまで面倒を見ていく。麦踏のパンってまあ美味しいよね』という日と、『たまにすごい当たり』の日があると、何度も来たくもなるじゃないですか。」

 1 /f の揺らぎが心地よさを醸し出すように、微妙なグルーブ感が人の舌に訴えるものがあるのだろう。

当たり前に生活の中にあって、ついつい食べちゃうっていう感覚が理想で

失敗を再現できて一人前

 毎回の出来上がりの違いを楽しめるのは、自分の感覚に自信があるからだろう。

 その自信を育んだのは、「いくらでも失敗すること」だという。最初に就職したパン屋でも、その前職であるケーキ屋でも、失敗ができる環境に恵まれていた。「良くも悪くも、一人で任される作業っていうのが多かったんです。任されたからにはやらざるを得ないんですけど、どんどん失敗して、もちろん怒られる。でも、怒られるということは、教わることができているんです」

 毎回の失敗から自分なりに仮説を立て、検証を繰り返すことで、失敗を肥やしにしてきた。

 「仮説を敢えてやっちゃうんですよ、人のお店で。それで、やっぱりこうなったなというのを『すみません、失敗しました』って。正解を先に教わって、正解通りにやり続けると、きれいにはできます。ただ、失敗した時に弱くて、修正ができない体質になっちゃうんです。普段からよく失敗していると、いざという時に強いので、失敗はした方がいいです。失敗の経験がたくさんあるからこその、今ですね」

 とはいえ、いざ自分の店で失敗となると、気落ちしないのだろうか。

 「商品にならない時はへこみますけど、失敗はむしろ楽しいんですよ。意外と失敗の方が美味しいこともあります。例えば、見た目悪いけど美味しいパンとか。その場合、自分のパンを敢えてそれに近づけていくんです」

 しかし、そもそも失敗の原因が分かっていないと、再現できないだろう。

 宮下さんはこう説明する。

 「職人の半人前と一人前の違いですね。まず、見習いは当たり前に失敗する。でも、失敗しなくなって一人前じゃなくて、失敗しなくなってやっと、半人前。失敗を再現できたら、一人前になるんです」

失敗しなくなってやっと、半人前。失敗を再現できたら、一人前になるんです。

win-winな関係

 宮下さんが今後、一番やりたいのは、製粉の強化だ。そして、製粉工程に必要な機械をすべて導入した暁には、一般の人に一握りの小麦を育ててもらい、「小麦バンク」を設けたいのだという。

 「たとえば、育った小麦を10キロ預けてもらって、粉にすると大体6、7キロ分になるので、そこから3キロとか5キロを返す。差額分はうちで頂いて一括管理する、という活動をしようと思っているんです。皆さんは、使いたい時に引き出してもらって使えます」

 所属していた農の会では、一反の畑に10人で小麦を育てていたため、一人当たり30キロ、つまり一般の人には使いきれないような収穫量となることに違和感を覚えていた。小麦バンクという形態は、その解決策ともなる算段だ。

 店舗のある江之浦は、今でこそ耕作放棄地がそこかしこに目につくが、かつては柑橘の一大産地だった。

 「草刈りをちゃんとすれば、石垣がずっと上までつながっていることが分かります。それを少しでも小麦畑にして、初夏の頃に金色になったら良いな、と妄想しながらやっています。師匠とは違うアプローチで、神奈川、地元の小麦を作る人が増えてくれれば、と思います」

 店舗の通路では、近隣の物産や作品の無人販売コーナーを設けており、皆で地域社会を盛り立てるという活動は、実はすでに始まっている。

 「元々は、一人のみかん農家さんから始まったんです。ちょうどコロナのタイミングで、知り合いがイベントができなくなったので、自由に置いてもらうことにして場所代などもいただいてません。ただし、お金の管理は自分たちでやってもらっています。皆さんの宣伝にもなりますし、うちはお客さんが並ぶこともあるので、待ってもらっている間の楽しみになる。ウィンウィン(win-win)な関係で良いなと思っています」

 宮下さんが飲食業の道に入った原点は、小学四年の家庭科の時間に、自分が調理したものを褒められた体験だという。

 「食べ物って絶対必要なものだし、自分の作ったもので人が喜んでくれるっていいじゃないですか」と目を細める宮下さんには、小麦が結ぶ人々とのつながりの輪がはっきりと見えているに違いない。


宮下純一(みやした・じゅんいち)

高校生のアルバイト時代から飲食に関わり、20歳の頃に和菓子屋で働き始める。24歳の頃からパンに興味を持ち始め転職。パンのほかにケーキ部門の仕事も経験、製菓製パンの基礎技術を身に付ける。30歳になり、最後の修業先として「足柄麦神 むぎ師」に就職し、この頃、湘南小麦と、師匠である「ムール ア・ラ ムール 本杉正和」と出会う。「あしがら農の会」での農業研修も並行して進め、農家資格も取得し、2018年1月11日に小田原市江之浦に「麦焼処 麦踏」をオープンする。

https://kataura-mugifumi.com/profile/


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