Special Interview #28

その杖は、心も支える

福祉デザイナー・コーディネーター 宮田尚幸

 その杖を手に歩いてみた。木のハンドルはすべすべして吸い付くような感触。革のカーブがひじを受けとめてくれる。地面を杖の先で突くと、ぐいっと前に進んだ。なんだか体が軽くなったみたい。
 思えば2本の足で体を支えるとは難儀なことだ。足が不自由だったりしたら、なおさら。障がいや怪我、それに年をとれば歩くのに支えが要る。
 宮田尚幸さんは、デンマークで出会った「Vilhelm Hertz(ヴィルヘルム・ハーツ)」の杖を、日本で必要とする人に届けている。見た目が素敵、機能に優れている――そうしたモノとしての良さは、使う人を内側から変えるのだという。
 杖を作り始めたのは2人のベテラン職人、建具職人のクリストファー・ヴィルヘルム・ピダーセンさんと、金属加工の職人、トーマス・ハーツさん。注文を受けて1つ1つ、使い手に合わせたサイズで作る。体に触れる部分は木と革、軸の部分は丈夫ながら柔軟性があるカーボンファイバー(炭素繊維)で、金具で組み合わせている。

(左)杖を手にしたユーザーの立ち姿が美しい(宮田さん提供)
(右)杖の持ち手を丁寧に削るクリストファー・ヴィルヘルム・ピダーゼンさん(宮田さん撮影)

杖によって「人生が変わった」

 宮田さんは2018年、デンマークのクリストファーさんの工房に半年間、住み込んだ。その時、杖のユーザーから聞いた言葉がずっと胸にある。
 「『人生が変わった』と目を輝かせて話す姿を見て、この杖を日本に持ってこなければならないと思いました。
彼がいかにも病院の杖、という感じの杖を使っていた時は、人に会うたびに『大丈夫?』と心配されて、『最近、足が悪くて』と毎回答えることがイヤになってしまったと。家でベッドの上にいることが増えると筋力が低下しますし、気分も落ち込みます。
 この杖を手に入れてからは『カッコいいですね』『どこで買ったんですか』と声をかけられるので、『いいでしょう』とポジティブな言葉を口にするようになって、誰かに見てほしくて用もないのに外出するようになったそうです。
 モノによって人との関係性が変わる。人との関係性が変わると、心理的にも変わる。これこそ、モノづくりにできることだと思いました」
モノを作るデザイナーとして働いてきた宮田さんは、自分の仕事にどこか違和感を抱いていた。
 大学を卒業して入った文房具の会社では、毎年たくさんの新商品を生み出す業界だったため、差別化に四苦八苦しながらデザインしていた。4年勤めて辞め、英国に語学留学した後、ヨーロッパを巡る。
 帰国して今度は、服飾雑貨ブランドのデザイナーとなった。日本の職人の手による、良質で環境にも配慮した革製品や小物を送り出すブランドだ。長く毎日使うコンセプトのもと修理にも応じている。尊敬するデザイナーのもとで価値観を学ぶなかで、「自分はこのモノを生み出さなくてもいいんじゃないか、自分にできることで、もっと必要とされるモノがあるんじゃないかという思いが芽生えて」。3年後に退職。一度は海外で働いてみたいと30歳の時、デンマークに旅立つ。以前ヨーロッパを巡ったなかでなんとなく惹かれた土地だ。

“『社会を変えよう』とは思いませんが、自分の周りから少しずつ1人1人の安心感を高めていくことはできるかなと”

「見た瞬間、雷が落ちたよう」

 1年間の滞在のうち最初の半年は、全寮制の学校「エグモント・ホイスコーレ」で過ごした。17歳半以上であれば誰でも入れ、関心のあるテーマを学べる北欧独特の教育機関フォルケ・ホイスコーレの1つだ。エグモントのテーマは社会福祉で、障がいのある人も一緒に暮らしながら学ぶ。

 後半はノープランだった。滞在の折り返しを前に焦りも生まれていたころ、首都コペンハーゲンで開かれる福祉機器展に出かけた。最新鋭の車椅子や介護ベッドなどが並ぶなかで、目に飛び込んできたのがヴィルヘルム・ハーツの杖だった。
「見た瞬間、『これだ』って。雷が落ちたようでした。天然素材を使ったモノはほかにありませんでした。それまで職人の技術を大切にするブランドでデザイナーをしていたことや、デンマークの学校生活で感じた社会福祉というフィールドの面白さが全部、つながったんです」
「先に点を打つと、後からつながる」。宮田さんは自身の哲学をこう表現する。「たとえば『デンマークに行く』『福祉の学校に入る』と点を打つと、自分がそれまで培ってきた人生が勝手にその点につながっていく気がしていて。心が動くものに点を打つ動き方をすることが、自分にとってはいいんだろうなと思っています」
今度は、杖に点を打つ。デンマークの北の端の港町にあるクリストファーさんの工房まで6時間かけて向かった。「やっぱりここだ」と確信すると、「何でもやるから働かせてほしい」と人を雇うつもりのなかった彼に頼み込んだ。半年後に帰国する時に日本窓口を託され、日本での杖の生産も模索している。

 デンマークで得たものは杖だけではない。宮田さんは今、杖をはじめとする道具、それに建物、ダイアローグ(対話)の3つを柱としている。
建物を手がけるのは、デンマークの工房で住んでいた小屋がとても居心地のよい空間だったからだ。「ナオ(宮田さんのこと)にもプライベートの空間が必要だから」とクリストファーさん、2週間で庭先に木の小屋を建ててくれたのだ。デンマークは日本よりはるかに北。小屋では寒くなかったのだろうか。
「それが断熱がしっかりしていて暖房の熱を逃さないんです。デンマークで建物とは、中に入った瞬間にリラックスでき、心地よく過ごせるものでなければなりません。思えば、学校も、どの建物もそうでした」

「安心」を生み出す仕事へ

 デンマークのコンセプトに基づく建物を日本の法律に合わせて建てようと、宮田さんは、デンマークで出会った建築家がデザインする家の日本窓口となった。第1号の計画は障がい者向けグループホーム。今回は、日本でデンマーク式の住宅を手がける建築会社とタッグを組む。
 「心地のよい空間にいると、安心して過ごせます。日本で社会福祉の世界とのかかわりが増えるなかで、安心できる環境を一番必要とするのは、高齢の方や障がいのある方だと思うようになりました」
場の心地よさが安心感につながることが腑に落ちる気がしたのは、宮田さんにお話を伺ったカフェが、まさに心地よい空間だったからだ。使いこまれた肌合いの家具が置かれた空間は、お店というより誰かの家の居間のようで、一面のガラスから大きな木に囲まれた庭が目に入る。枝の間から差し込む光は柔らかく、小さめの声でゆっくりと語る宮田さんの言葉を、ほどけた心身が受けとめた。
 宮田さんはこのカフェで月1回、対話の会を開いている。
「デンマークでは本当によく対話をします。クリストファーさんや彼の家族とも、コーヒーを飲みながら、夜には手作りウイスキーを飲みながら、お互いの国の歴史や文化、宗教観のことをたくさん話しました」
対話というコミュニケーションのあり方を説明するのは難しい。何か正解や結論を導くためではない。場の空気に合わせなくてもいい。それぞれが自分の思っていることを話し、他の人の話を聞く。
 「その時間が安心を与え、与えられるのです。言葉のやりとりだけではなく、他者と楽しみ、自分が居てもいいんだと感じられることがダイアローグ(対話)ではないでしょうか。日本でダイアローグを広めるには、新しい言語を習得するような感覚がいると思っています」
自分の思いを気がねなく口にできる機会は、実はあまりないのかもしれない。人々の意識はもとより、物理的な空間も大事だという。
 「日本ではダイアローグをやろうにも、居心地のいい場所が少ないんです。たとえば、オフィスチェアやホワイトボードが並んだ寒い会議室ではストレスがかかり、対話どころではありません。デンマークでは家もビルも、ダイアローグのしやすい環境が整えられ、安心を担保していたことに気づきました」
宮田さんがたびたび口にする「安心」という言葉には、自身が抱えてきた生きづらさが映し出されている。
「子どもの頃から、どうすれば普通になれるんだろう、大勢の中に隠れられるんだろうって考えていました。『名の知れた大学に入って、いい会社に入る』という社会のレールから外れるのが恥ずかしかったんです」
普通。レール。日本で感じていた縛りとは、デンマークのありようは対照的だった。社会の違いを宮田さんはこう表現する。日本は日本という袋の中に国民が存在しているのに対し、デンマークは1人1人が集まって国をつくっている――。だから1人1人が安心を感じて、それぞれ力を発揮することが重視される。
 「デンマークに行った最初の頃は日本と比べていたのですが、帰国する頃には、比べることはできないと思うようになりました。自然環境から違います。デンマークは災害が少なく、平地で人を襲うような動物もいません。もともと持っている安心感のレベルが高いんです。
 日本に帰国して最初に思ったのは『人が多いな』って。人口の規模も600万人のデンマークと違います。
日本はデンマークのように身軽ではありませんから、『社会を変えよう』とは思いませんが、自分の周りから少しずつ1人1人の安心感を高めていくことはできるかなと。土を耕して木を育てるような長いスパンを思い描いています」
杖も、大々的に広告するのではなく、イベントやカフェでの展示の機会に触れた人が、杖を必要とする人に知らせる形で伝わっている。
 「手作りだから量産できませんし、爆発的に人気が出るとその裏返しで消えてしまうことも文房具のデザイナー時代に経験しています。人から人へ共鳴するように広まる方が、無理なく続けられるんじゃないかなと」
2021年夏、うれしい知らせが飛び込んできた。日本でヴィルヘルム・ハーツの杖の最初のユーザーとなった女の子が、東京パラリンピックの聖火ランナーに選ばれたという。
後日、2人で一緒に取材を受けた。
「その時の彼女の言葉がすごくよかったんです。『この杖は私の相棒みたいな感じ。一緒にいろんなところに行きたい』と答えていて。それまで無意識のうちにあきらめたことも多かったんだと思います」
 行きたいところに行く。それは歩くことが出来さえすれば叶うことではない。聖火会場での彼女の笑顔は、手にした杖が一歩を踏み出せる道具なのだと物語っていた。

4.杖を手にする職人クリストファー・ヴィルヘルム・ピダーゼンさん(宮田さん提供)
5.工房の人たちとともに(宮田さん提供)
6.日本で初めてのユーザーが東京パラリンピックの聖火ランナーに選ばれた(田上浩一さん撮影)


宮田尚幸(みやた・なおゆき)

風と地と木合同会社代表。東京生まれ。日本で文房具や服飾小物のデザイナーとして働いたあと、2018年、30歳の時にデンマークの全寮制学校エグモント・ホイスコーレに留学。杖の職人の家で住み込みのインターンとして働き、2019年に杖「ヴィルヘルム・ハーツ」の日本代理店となる。「福祉」だと感じる物事のデザインに携わっている。


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