Interview Archiveは、過去のNewsLetter、Spiritual Databookで
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SPECIAL INTERVIEW ARCHIVE #02

村上龍氏に聞く

作家

今回(※1991年 夏)は小説家としてのみでなく様々な分野でその才能を発揮していらっしゃる村上龍さんに、映画「トパーズ」の撮影の合間を縫ってインタビューをお願いすることができました。

B―今日は殺人的なスケジュールの中お時間を割いていただきましてありがとうございます。
ブッククラブ回というのは、ブッククラブ形式をとっている新しい形の精神世界専門書店でして、グローバルな情報をネットワークすることによって、会員の皆様と共に成熟した知性というものを目指したいと思っているのです。
そのためにはどうしてもあらゆる分野から人間を学ぶ必要がある、という観点から情報や知識を集めていますので、常に人間の奥深いところを呼び覚ますような作品を産み出している村上龍さんに、ぜひお話しをうかがうべきだと思ったのです。

面白いネットワークですね。今、一つの回路から接近するの、なかなか難しいですものね。僕も興味があるからインタビューをお受けしたんですよ。僕、超能力っていつもばかにするんですけど、超能カよりも能力の方が絶対いいと思うんですよ。
やっぱりこれだけ科学が発達していろいろと明らかになっていくと、もう科学はめんどくさいからって神秘の方へ行く人がいて、それがまあ95%位いると思うんですが、それは一番つまらないことだと思うんです。そうじゃなくて例えばMITの分子生物学者があと一歩踏み出すとこれはほんとに宇宙の真理に行くのか、それともスウェデンボルグの方に行くのかわからないみたいなところでね、あれがほんとだと思うんですよ。ああいうのはすごくスリリングですよね。

B―本当にそうですね。
一つお聞きしたいのですが村上龍さんの作品にはデビュー作から新作の「コックサッカーブルース」、そして現在撮影中の映画「トパーズ」にいたるまで一貫してセクシュアリティというものが人間を描いていくときに重要な位置を占めているような気がするのですが、いかがでしょうか。

僕の場合は、ずっと小説を書いてきて初めてわかったんですが、システムに対抗しうる個人というのがテーマとしてあるんです。
実際書いてるときはわからないんだけど。必要悪としてのシステムというものがありますよね、一番わかりやすいのは経済のシステムとか管理のシステムとか。そのシステムっていうのは効率を第一にしているから、それを破るシステムが現われてもソビエトの例を見ればわかるように、それはまたあるシステムになってしまう。それはどうしようもないわけです。
で、その個人を描いていくときに、別にどうしてもそれが必要だというわけじゃないんですけど、セクシャルな面というのは避けて通れないというところがあって必然的に出てくるっていうような感じもあります。

今度のトパーズの映画の中で僕がわりかし気に入っているセリフで、44、5のバブルにお金を持ってるやくざの人がSMクラブから女の子を買うんですけど、すごくハードなプレイをしたあとにね、その子22なんですよ。それで「ちょっと来い」とか言って話すんですけどね。「お前22か」とか言って。「22年間生きてきてこれだけは絶対間違いないって言えるようなことがあるか。それは地球が自転してるとか、DNAのモデルが螺旋状をしているとかそういうことじゃなくて、自分に関することだ。」って聞くんですよ。そうすると女の子が、「自分がなんの才能もない人間だっていうことだ」って答える。で、そのやくざの男は、「俺は44年間生きてきていろんなことをやってきたけど一つだけわかったのは、自分がすけべだっていうことだ」って言うんですよ。自分のことっていうのはよくわかんないですよね。

でも例えば自分があの人とキスをしたいと思っているとか、そういうことはわかると思うんです。だからある人間を書いてく時に、結局それを抜きにしては語れないっていうような気はするんです。まあ書くうえは、簡単に書くと白けちゃいますから、結構考えて書いてますけど。

野生動物に比べて人間はすごく不自然ですからね、不自然だから言葉を必要としたり農耕を必要としたり経済のシステムを必要としたりするわけです。ところが動物としては他の野生動物と同じ機能を持っているわけだから、そこでまずギャップって絶対生まれるんです。社会性があって、またその社会性の中で一種の不自然さがまた出てくるから。

他の動物は大人になる条件とか淘汰されていく課程とかが結構シンプルですよね。その個体性としての力が弱かったら幼児の時点で死んじゃうとか。人間の場合はもっと複雑だし、ちゃんと自分で生きていくまでに20年位かかるわけでしょ。児童心理学でベストの状態で育てられるわけないんですよね。子供っていうのは多かれ少なかれ神経症だと僕は思うんです。すごいストレスがあると思うんです。で、ストレスがどっから始まってどこから終わるかとか、どうやって解消できるかっていうのは、もっとシンプルな時代にはいろんなものがあったんですけど今はそれがどんどんなくなってきて、基本的な快楽とか喜びとか悲しみっていうものが、どんどんシミュレーションになってしまった。テレビがむりやり人々を感動させたりとかね、すごいチープなところで人間を泣かせようとしたり、それだと本当には解放できないから、結局5歳までに終えてなきゃいけないこととか10歳までに終えておかなきゃいけないこととかがやられてないと、人とうまく関われなくなったり変質者的になったりすると思うんです。それはみんなシミュレーションがなせる罪で、実際の接触がないわけです。で、悪いことにわかった気になっちゃうんですよね。わかった気になるっていうのは僕は一番怖いと思うんです。テレビなんかでブームになってもうわかった気になるんだけど、何にもわかってない。例えばF1にしたって、それはテレビを見ないよりは情報の量はありますけど、ゴムがやける匂いなんていうのは絶対テレビからは伝わってこないわけです。

でもそれをわかったと思わなければいけないような電波のシステムになっててそれは一種のシミュレーションです。そうすると肌を刺すような痛みとか、全身が震えるような喜びからどんどん遠ざかっていくでしょう。そこで本当のドラマなんかに対する餓えが出てきて、その餓えが人々を安易に精神世界という言葉の方にいかせちゃったり、ある人はSMっていう一種の性の演劇のとこにいっちゃったりっていうことになってくると思うんです。

そういうシミュレーションによって、本当のものが隠されてしまっているから、それを露わにしていく作業っていうのを僕は文学とか芸術とか映画とかでやってきたんだけど、とてもそんなことは時間がかかるし、今までよりも遥かに難しい作業だからなかなかできないです。ただ僕はそれをやっていかないと表現の意味が無いと思っているからやろうと思ってるんです。そういう時にセックスっていうのは、手っ取り早いっていうのはおかしいけどストロークが短いですから、僕にとって書きやすいんですよね。

B―なるほど。とくに最近はSMを題材につかってしかも神秘主義的なアプローチによって、また今までにない人間の側面や可能性を描いていらっしゃいますね。

よく人間の深い部分と日常的な部分を比較するのにね、本能と理性とかね、建前と本音とかって言うでしょ。欲望と世間体とか。そうじゃなくて、変な話ですけど、女性からいじめられるのが好きなマゾの男が、例えば大会社の社長とかあるいは政財界の大物とかで、彼は人格的にも立派だと思われていて、別に悪い人じゃないわけですよね。そういう人が極端な話、女の人がおしっこをするのが好きだとかね、それは本音と建前とか本能と理性とかでは割り切れないでしょ。単なるギャップなんです。どっちもその人なんですよ。そのギャップみたいなことを書くのが好きなんです。それは、ギャップというのかキャパシティというのかわかんないけど、両方がその人で、どちらがいいとか悪いとか文学においてはないわけです。

そうすると書いていくうえで、その欲望がどういう形を取って現われるかっていう意味においては、SMっていうのは踏み絵みたいなリトマス試験紙みたいな感じで、考えれば考えるほどすごく面白いんですよ。階級社会とか隠された差別とかコンプレックスとか、いろんなものがない混ぜにして出てくる場なんです。で、一種の演劇みたいなものでもある。

基本的に信頼関係がないと、例えば日本と同じようなSMクラブがニューヨークとかロスにあったりすると、知らない男の人のところに女の子が行って縛られてお金もらうわけですからね、そうすると毎日百人ぐらい死ぬと思います。日本はまず治安がいいというのと、今は大分違いますけど単一民族で、基本的に日本人には相互の信頼関係があるわけ。SMそのものには別に神秘的な力があると思わないです。ただSMっていうシーンの中に、文学者にとって非常に惹かれる結晶体みたいなものとか、澄み切った何かとか、あるいはもっとよどんだものとかがいっぱい詰まっているんですよね。だからSMにはこだわって大分書いてきたんですけど。ただSMやってる99.9%の人は神秘的なものとは無関係で、ただ単にオルガスムとか、ストレス解消のためにやってるんです。でも僕が会った女の子達の話を聞いてると、彼女達は結局プライドとかを全部奪われた代償としてお金をもらうわけです。それで自己嫌悪に陥らないで生きていくのは、やっぱり精神の力だと思うんです。基本的になんて強い子達だろうと思ったんですよね。

彼女達を支えるものとか彼女達が信じているものとかが、例えば精神世界にすごく興味があっていろんな本を読んでいる人達であるとか、あるいは新しい宗教にはいっている人達を中傷誹謗する気は僕は全くないんですけど、そういう言葉とかイージーな救いとかよりも、もっと昔の殉教者に近いようなものを感じたこともあったんですよね。

僕は神秘主義はそんなに詳しくないんですけど、結局強いものに同化するっていうのはイージーな方法で、そうでなくて、精神世界っていうのは一言でいうと考え抜くということだと思うんですよ。他人の教理をそのまま実行するんじゃなくて、自分で日々どうしたらいいのかというのを考え抜くことだと思うんです。で、たとえばそういう背徳的な行為をした後って絶対考えると思うんですよね。いくらあっけらかんとした子でもね、まあ頭が悪かったら別ですよ。極端なことをすればするほどそのことについて自分を責めて考えるような子は、僕何人か知ってますけどとんでもない所へ行ってるんです。それはもう生半可な論争しても負けますよ。それこそ彼女達は肉体化して言葉にしているからとても強いです。そういう驚きは結構ありました。

やはり女性はセックスの延長線上に種の保存というものに直結してますけども、男の場合はほとんど関与できないですよね。だから男の方が逆にストーリーを欲しがったりするんです。男が作るエロ本とかエロビデオとかみんなストーリーになってますからね。僕がトパーズの後書きの中で、ひょっとしたらあの女の子達は次の世紀の思想を探してるかもしれないと言ったのは、別によく言われているように子宮で考えるとかね、皮膚感覚とかじゃない。母性というのは別に子供を可愛がることではなくて、種の保存だと思うんです。最もぎりぎりのところでサバイバルするために、何が必要なのかを考えるのは今の段階では女性じゃないかと思うんですよ。

男はじゃあ何ができるかっていうと、唯一関与できるセックスに挑めるようにいつもポテンシャルを保っているとか、妊娠中とか出産中とか子育て中の自分が愛するメスを守ってあげる情報量とかパワーを保っとかっていうぐらいしかないです。
今まで人類がこれだけ存続してこれたのは、多分女性の知恵だと思うんですよね。女性が絶滅したら男が百万人いたって子供は生まれないですもん。女性が百万人いたら、ひょっとしたら男が一人でも人類が存続できるかもしれない。

B―村上さんは、もし健康なセックスというものがあるとしたら、それはどんなものだとお考えですか?

うーん。それは健康な男の人と女の人がするセックスじゃないですか。

B―そうすると、どういう人間を健康と呼ぶのかという問題もありますよね。それでは人類の進化についてはどうとらえていらっしゃいますか?

僕達がどうやって今まで生き延びてきたかというと、何もかもが手を伸ばせばバナナがとれるような状況で生きてきたわけじゃなくて、何回も何回も絶滅寸前とかひょっとしたらこれで全部が終わるっていうようなことを経験しながら生きてきたわけです。
そうするとどうしても一番必要だったのは僕は情報だと思うんですよ。

で、情報がどこにあるかというと一歩踏み出して分け入らないと手に入らないというようなことを考えると、たとえば南の島の文化人類学的には信じられないくらい健康な集落とかは、僕は違うと思うんですよね。どうしてかと言うと、何か起こった時、気候が変わったり、昔風にいうと白人が攻めてきたりした時に対処できないんです。

つまりそれは、彼らが変化をイメージしなくてすんでるからハッピーなだけだと思うんです。変化をイメージできないというのは物凄くウィークです。変化をイメージするっていうことは次に何が来るかをイメージできるっていうことじゃなくて、何が来てもいいように常に身構えておくことだと思うんですよ。それは完璧にはできないですけど、それがスポイルされてない状態だと思うんです。

だから野生動物で、ゴミ捨て場を漁ったりとか人間から餌づけされたやつらは、スポイルされる。なんでスポイルされるかっていうとあそこにいけば食い物があるっていう頭があるから、危険に対する察知能力がどんどん鈍っていくんです。それは人間全体にも当てはまると思いますよ。進化をしようとしている人は、ここにいるのがいやだと思ったやつらなんです。

すごくわかりやすい例をいうと、魚が陸に上がったわけですよね。それで最初上がっていく時には、みんな死んじゃったりヒレから血を流したりして上がっていったと思うんです。両生類になるために。その時にどういうタイプの魚が上がっていったかというと、天敵が多くてここには住めないと思った魚達だと思うんですよ。ここはすごく住みやすいから、餌もいっぱいあるし外敵も来ないしというような魚は絶対陸なんて目指さない。居心地がいいから。ここにいたらやばいと思った魚達が陸に上がったわけでしょ。その連中が移動していく課程で進化がおこったんだろうと思うんです。年を取る過程とか生殖をする過程とかで。

例えば人間がこれから進化するときに、これでいいんだと思った人は絶対進化しないですよ。どこが悪いのかわかんないけどこれはだめだここは嫌だ今の自分が嫌だと思う人しか進化しないと思うんですよ。その方法とかは多分無限にあるから、一概には言えないですけど、まず必要条件としては、今の自分が嫌だという思いです。十分条件というのはわかんないですけど。

もし人間に進化の可能性があるとすればそこだと思います。移動とか、自分で造ってきた垣根を越えてジャンプするとか。今までの自分のノウハウではできないことをやるとかっていうようなことがないと進化っていうのはどう考えてもできないですよね。

B―今日は本当にどうも有難うございました。映画「トパーズ」の完成がたいへん楽しみです。村上龍さんの今後ますますのご活躍をお祈りしております。

1991 Summer


村上 龍 Murakami Ryu
1952年長崎県生まれ。『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川賞受賞。
『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、『半島を出よ』では野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。

※インタビューは当時のものです。

村上龍 電子本製作所
http://ryumurakami.com/

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