『Interview Archive』は、『NewsLetter』『Spiritual Databook』に掲載されたインタビューです。
内容や役職などはインタビュー当時のものです。予めご理解のうえお楽しみください。

SPECIAL INTERVIEW ARCHIVE #07 1999

刺青のあお

参代目彫よし / 刺青師

人間が我慢できる限界の痛さをこらえる。血が墨と混じり合う。そして生きている内は、二度と消せない像を浮かび上がらせてゆく。

人は何を求めてその肌に刺青を入れるのか。

強さ、美しさ、異常さ……。自分と言う存在を別の存在へと変えるイニシエーションなのだろうか。刺青という言葉につきまとうアンダーグラウンドの匂い。今回のニューズレターでは、その異形の世界に一歩足を踏み入れてみたいと思った。

B (ブッククラブ回) ──この様な一般的にみれば特殊な仕事を選んだきっかけは?

まずこういう道に入る前に、なぜ刺青に興味を持ったかというところから始めると、なんていうんだろう、単純にね、アウトローとかマイナーな世界が好きだったんだよ。漠然と。その中で刺青が一番魅力的だったの。要するに、ノーマルな社会生活に興味が無かったんだ。

彫師っていうのは、今みたいに情報が無かったから、何処に誰がいるか解らなかったんだよね。でも彫師がいるってことはガキのころから知っていたから。始めはちょっとしか、なりたいと思わなかったのだけれど自分の身体にやる(彫る)ようになってから、どうしても彫師になりたいなって。なんとも口で表現出来ない魅力があったんだよね。どういう所がいいのと言われると、ま、その世界が好きだったとしか言いようがないの。

歴史的背景があるものが好きなのよ。いわゆる伝統という言葉が裏付けになっているものが。小学生から中学生にかけては、刀の研ぎ師になりたかったんだよ。俺らのガキの頃は今みたいに遊ぶものがなかったからチャンバラごっことかね。そのころ家の近所に刀の有名な研ぎ師がいて、仕事場が道の通りに面してたから、いつも覗いていたんだけれど、その中の世界がなんか異次元の世界に見えたんだよね。厳粛な。中の人達にとっては日常だけれど、俺なんかが見ると別世界に見えるんだよね。毎日毎日見に行っていると、だんだんそれを仕事にしたいなって思うようになってくる。もし日本刀というものに、伝統という裏付けがなかったら魅力を感じなかったかも知れない。刺青に伝統という裏付けがなかったり、アメリカンタトゥーを見ていたら、多分俺は彫師にはならなかったんじゃないかなあ。

B ──どのようにして「彫よし」という名を襲名されることになったのですか?

最初は自分で彫師を探していたけれど、どこも今一つだったんだよ。ある時、人が入れているのを見て聞いたら、横浜の「彫よし」だよって教えてくれたんだ。弟子入りするならここがいいなって思った。浅草の彫師にも手紙を出したけれども、断られたんだよね。その頃俺は静岡の清水に住んでいたから、どうしても弟子になりたいと手紙を書いたけど返事が来ない。2回目には、当時一番早く届けてくれる列車の「チッキ」というのがあって、名物の石垣いちごの中に手紙をいれて送ったけれど、また返事がない。断わるなら断わるで返事ぐらい送るものだろうと思って「ちょっと因縁でも」というと大袈裟だが、家の前に弟子になるまで座り込むつもりで行ったら「お前、いつから来るんだ?」って言ってくれた。

B ──どのような方がここにいらっしゃいますか?

ヤクザ、職人、サラリーマンもいますね、それから水商売の女、OL、主婦にいたるまで、一番珍しかったのは、防衛庁で働いている人がいましたね。「見つかったらクビですね」って言ってましたけど。昔もヤクザの人、カタギの人、大体半々ぐらいだったけれど、今はカタギの若者が増えてきたね。アメリカンタトゥーの世界が入り込んできたから。

しかし若い子たちでもやっぱり日本人だなって思うのは、二十歳頃にアメリカンタトゥーなんか入れても、大体27才頃になると「失敗した」って言いだすんですよ。最初から日本的なものをやっとけば良かったと。若気の至りで入れても、やっぱり精神的には日本人だなーって。

デザインの選択は男女関係ないね。ただ多いのは、女の人は花だとかちょっと綺麗なものとかね。外国人も大勢くるし。刺青を入れたいんだけれど、何を入れていいか今一つ解らない人は、ウチの下絵から選んでもらう。もしくは生まれ年、干支を聞いて、 例えば辰年だったら龍を入れるとか。未 (ひつじ)の場合はないけどね(笑)

B ──アメリカンタトゥーと日本の物の違いっていうのはありますか?

たくさんありすぎるね。まずあの日本の物っていうのは、背中なら背中、腕なら腕をひとつの図柄でまとめる。極端にいうなら全身をひとつのテーマでまとめる。

まとめていくためにはメインのデザインと、その回りを飾る化粧彫というんだけれど、例えば唐獅子を彫って牡丹が付いたら唐獅子牡丹でしょ。空間を埋めていく、雲だとか、波だとか、それで一つの図柄が出来上がるんだけれども、その出来上がったものはそれぞれの意味を持つんだよね。四季、物語、天地とか意味を持つ。人間の体そのものに、どうやったら一番綺麗に映えるのかという所まで計算されている。

アメリカンタトゥーには「メモリー」的な要素が強いね。記念とか。日本人は記念とか思い出とかは心にあるけれど、彼等は体に刻み付けちゃうという癖があるね。これは何年に何処で誰にとよく憶えてるんだね。それがいいか、悪いか別として、その彫ものという世界の美学からしていくと、ゼロだよね。そこには伝統の重みがない、まとまりがないし。

ポリネシアの刺青も、かなり長い伝統を持っているんだよね。デザインそのものは単純なんだけれども、出来上がったときに刺青美というか、様式美があるよね。そういう長い伝統があるものには人間の体を知り尽くした、究極の美というものが出てくるんだよね。

アメリカはまだ200年でしょ? 盛んになってきたのはここ十数年だからね、まだ発展途上の段階で、彼等が求めているのは日本的な刺青なんです。そこには人間の身体を知りつくした美学が出てくるんだね。しかし彼等にはまだ伝統が備わっていない。これから日本を真似したアメリカの独特のスタイルが出てくると思う。そういった意味では、まだ青年期といったところなのかな、アメリカンタトゥーは。

B ──お断りすることもあるのですか?

断わるといえば、未成年者は断わっているね。あと、よその彫師の所で彫ってる人には、彫師とその人の関係があるから事情を聞かないと。なんらかの事情で彫師がいなくなったとか、その町に帰れなくなったとか、そういう事情だったらいいけど、ただ単に彫師が嫌いになったとかであれば、なるべくそっちで仕上げてって言っている。

でも、どんな嫌なお客さんにもやりますよ。特別な感情をもって。仕事はきちっとするけれど、1万円のところが2万円になるでしょうね。ガマン料として。ヤケ酒代として。俺が今まで彫った人は3000人以上はいると思う。だいたい絵をみれば俺がやったか、誰がやったかぐらいは解るけれど、一人一人の顔まではね。それに余り見たく無いねえ、昔のは。

B ──普通の画家は失敗したら紙をまるめて捨てればいいですけど、彫師の場合は……。

失敗は出来ないし、人間の身体は十人十色なんですよ。体質がみんな違うから、例えば赤を入れたからって真っ赤になるとは限らないんですよ。オレンジ系になる人もいるし、茶色っぽくなる人もいるし。その人が痛がりかそうじゃないかによっても全然違うし。必ず、彫師が仕上げたいように仕上がる保証はないですしね。どっちかが死んじゃえば終わりだし。

人が物を作る仕事としては、彫師は大変じゃないかなあ。やる相手に感情があるけど紙とか木は感情を持ってないから。彫る期間は人によって違うけれど、早い人で約一ヶ月というのがいたな。背中両腕全部。ほぼ毎日ね。まあそういう人は稀だね。だいたいみんな、何年、何ヶ月とかかってしまう。みんな仕事をもっているから、それだけに掛かりっ切りっていう訳にはいかないし。体力が無い人が急いでやると急性肝炎になってしまう。まあ急性だからすぐ治るけどね。 病気したりで1ヶ月で仕上げる予定が、10年かけて仕上げたとすると、色やボカシが統一されなくなってしまうんだよね。だから、彫師が「これは」と思う仕事ほとんどできないんじゃないかね。

お客の方はお客で、やるときは意外に軽ーくね、「よーし、彫っちゃうか」くらいで、 ある日突然思い立って、ちょっと彫ってみようかなって彫っちゃう。なかには凄く考えて彫る人もいるでしょうが、多くの人はそこまでそう深刻に考えないね。痛さで途中で挫折してしまう人もいっぱいいます。そこはワンポイントの刺青と違う所で、4、5回通えば仕上がるかなと考えられがちだけれど、3、4回ではほんの一部ですからね。さっき体にあるツボを意識してやってるのかという質問があったけれど、そういうのを気にしたら彫れないね。108の煩悩の数だけあるっていうから。

普通は肘とか膝とかしわになる所はあまり絵を付けないんですよ。しかし俺はあえて絵を付けるようにしているんだ。俺も昔、師匠に同じような質問をしたことがあったよ。そしたら「そんなの気にして彫りものできるかい?」って言われた。ただ、針を刺すっていっても、スジ彫りで1ミリあるかないか、ボカシだともう0点何ミリの世界だからね、そういうところまではほとんど関係無いよね。 それも一時的でしょ。

でも肩こりがとれたっていう人は何人もいるよ。ある人はひどい肩こりで、毎日シャバにいる時はマッサージをやってもらっていたんだけれども、刺青した後、殺しで十何年入っちゃった時も刑務所の中で辛くなかったと言っていたよ。

B ──刺青という名前からして、一番よく使われる色は青なんですか?

一番よく使うのは黒なんです。黒だけれども皮膚の下に入るから青くなっちゃう。 刺墨(しぼく)という字を使うように墨、いわゆる墨汁だよね、墨でも菜種油から作る墨と、松のヤニから作るものがあるんですが、松から作るものは人間の肌に良くない。上質な菜種油から取ったものでないと使えないね。墨は煤(すす)だよね。これは南洋の人たちも変わらないんだ。彼らはヤシ油を燃やして、そこから出た煤を使っているね。煤は軽いから水と混ざらないのでヤシの油と混ぜてから水で溶いてね。煤を使うことは万国共通で、墨以外の色だったら顔料だね。鉱物系のものとケミカル系のものとね。

日本画で使うようなものはほとんどダメだね。彫る時にメインになる図柄は簡単に描いてからだけど、背景の波だとか、雲や花は下描なしで彫る。そのほうがその都度その都度違うものが出来るんだよね。同じ図柄を違う人に描くとやっぱり変わるね。紙に描くのとは違うし、痛みを伴うからね。動かない人と、のたうちまわっちゃう人とがいるしね。動くと線がガタガタになっちゃうし。表現が変わってきちゃうね。

刺青初期の頃の図柄は文字、今みたいな図柄になったのは幕末から明治にかけてなんだ。彫るための道具は基本的には変わってないよね。面白いのが、ニュージーランド、サモア、ボルネオ、台湾。みんな道具がほとんど共通しているんですよ。あれだけ距離があるのに。なんらかの形で交流を持って、お互い技法を学んだんだよね。どっちが先かは解らないけれど、人類の移動って計り知れないものがあるよね。

B ──日本の刺青にはボカシという技法があるとお聞きしたのですが。

どの状態をボカシというかによって違う。ベタでつぶすのもボカシだし、グラデーションつけるのもボカシだし、うすい色もボカシだし、ボカシっていう言葉だけでいくと日本だけのものではないよね。ポリネシアの方にもあるし。ただボカシをテクニックとして使って濃淡を表現していく技法は日本独自のものだね。伝統的な。

今、若い子達の間で流行っている「トライバル」ってあるでしょう。民俗的なあの柄はもともとはボルネオの住民がやっていたものだからね。それをアメリカのレオ・ズルエッターという彫師が一番最初に刺青のパターンとして取り入れて、それから流行り出しちゃったんですけれど。もう、その基本の形も壊れてきて、好き勝手な模様になっているんだけれども。トライバルというのは完全なボカシだけの刺青だったんですよ。ボルネオの住人が入れているのは意味を持った模様で身体装飾なのだけれども、他の国の若い子のは単なるマネでしかなかったりするんだよね。

B ──昔は刺青に呪術的な要素があったと聞きますが。

うーん、もうこれにはいろんな要素が入り過ぎていますね。地域性によって違ってくるし、威嚇もあれば、表彰であるとか、魔よけとか、もういろんなものが入っているから。

まあ、今現在で一番主なものは装飾だね。東映のヤクザ映画も刺青の美学を顕わしているね。威嚇でやるんだったら最初から裸で殴り込めばいいわけですし。背中切られてばさっと出たときにこう見えるっていうね、だからいかに見せないようにして、見せるかっていう所が美学だね。今の若い子たちの様に見えやすい所に彫って、タンクトップ着て歩くというのは、本当の刺青美ではないねえ。だからギリギリまで隠すことが、見せることにつながってくる。 見せるために隠す、という美がある。見せっぱなしの見せるには何も意味がない。和服の裏地に凝ったり、ストリッパーが最初から裸で出てこないのと同じことなのよ。隠し通して最後に見せるという所に、刺青の美学があるよね。日本人でないと解らないところだね。

こうしたいんだけれど、一歩控えて、なんかの時にやっちゃうっていう。ガマンガマン、耐えて耐えて、隠す隠すっていうところが美に繋がるんだよね。忠臣蔵や水戸黄門の印籠もそうだしね。耐え忍ぶ所に日本の美学がある。

B ──彫よしさんは日本出版社から『百鬼図』という刺青の下絵集を刊行されましたが、鬼を描くと言うことは、よく魂を塗りこむことだと言いますよね。

それは悪い言い方をすれば格好つけているだけだよね。そこまで思いこんで絵を描いていたら死んじゃうもんね。鬼は架空のもんだから、最初は難しいけれど、そのうち自由に描けるようになる。

難しいのは人間だね。余りにおかしくするとこんな人間いないだろってことになってくる。鬼を描くときはその鬼にまつわる物語を読んでイメージを作ってます。その中で好きなのは、「天魔波旬」ていうのが『百鬼図』の62ページにあるんですが、いわゆる仏道修行の妨げをすると言われる鬼で、織田信長のあだ名にもなっているんですよ。やっぱりこの鬼は第六天の魔王だから不細工でもダメだし、優しくてもダメだし。信長は坊主殺しちゃったから、だから第六天魔王って言われたんだね。

B ──そうすると、絵が残されていないものは、物語も自分の中で作り上げるんですね。

そう。だから画家と小説家は嘘つきで彫師が3番目の嘘つきだよね。

B ──彫よしさんは現在『水滸伝』の108人の豪傑をお描きになっていると伺いましたが。

そうなんです。あの本の人物紹介の所でイメージを膨らませて描いている。どういう人物なのか、武器も一人ひとり違うし、服も同じものを着せられないし、人間だから鬼のように勝手に作り変えられないしね。108人すべて違うふうにするのはちょっと悩みの種だね。刺青下絵として背中におさめるのを前提にしてるし。何も考えないでバンバン筆がいくときもあるけれど、今は70人目位でストップしてるよ。

B ──イメージが湧かないときは四苦八苦するのですか?

いや四苦八苦しないね。だめなときは酒飲んでる。だめな時はもがかない主義なんだ。

B ──どうもありがとうございました。


参代目彫よし氏のプロフィール

1946(昭和21)年、静岡県島田市生まれ。中学卒業後、造船所の溶接工として働きながら 刺青師になる決心を固める。21才の時、横浜彫よしによって背に天女と龍の刺青を彫る。1971年、彫よしの部屋住み弟子になる。1979年、三代目彫よしを襲名。1985年、ローマで開催された『タトゥーコンベンション』に招待される。以後欧米各国での『タトゥーコンベンション』に参加。現在、欧米、アジアの刺青師や刺青愛好家と交流し、情報交換や研究資料を蒐集を生涯とする。

参代目彫よしWEB
https://www.ne.jp/asahi/tattoo/horiyoshi3/

文身歷史資料館
刺青の貴重な資料を集めた資料館。刺青のデザインのみならず、色々な国で使われている刺青を彫る道具などを展示し、その歴史、文化まで を網羅している。
神奈川県横浜市西区平沼1-11-7 今井ビル1F
TEL 045-323-1073

※インタビューは当時のものです。

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