『Interview Archive』は、『NewsLetter』『Spiritual Databook』に掲載されたインタビューです。
内容や役職などは1995年のものです。予めご理解のうえお楽しみください。
ラム・ダス
さて、私は道を歩き始めたばかりの初心者ですが、
自分のカルマ、つまりやり遂げていなかったことを果たすために、一時的に西欧社会に戻ってきました。
このなすべきことの一部は、私が学んだことを、おなじような旅の途上にあるあなたとわかちあうことなのです。
『ビー・ヒア・ナウ 心の扉をひらく本』
ドロップアウトすることをやめて、
逆に世界の中に入っていくべきだと考えたのです。
この世界を拒否するのではなく、世界を通して自由になるということです。
そのためには、世界にいながら同時にいないという状態が必要です。
ニューエイジ発祥の地、アメリカは今 (※1995年当時) 悩んでいる。
ひとりひとりの意識の進化を望んだつもりが、ふとまわりを見回してみると、社会の病気はさらに進み、
問題は解決されるどころかますます根深くなっている。
60年代、ニューエイジの旗手として登場し自ら変容を遂げながら
「今」の時代に立ち向かうリーダー、ラム・ダス氏にお話をうかがった。
B (ブッククラブ回) ─ 自分の内面からの探求をスタートしたラム・ダスさんですが、より社会的な活動へと関心が移られるまでには、どのようなプロセスがあったのですか?
「自分は心の罠にはまっていた」と気がつき、それまでとは違うレベルの意識=覚醒状態を知ってしまうと、人はそれまで自分がいた世界を放棄したくなってしまうものです。ところが、そうやって俗世を離れ、スピリチュアルな世界に突き進んでいったとしても、それすら一つの影であって、その幻影から離れていないことに変わりはないのです。私もそうでした。自由になるためには、ドロップアウトすることをやめて、逆に世界の中に入っていくべきだと考えたのです。この世界を拒否するのではなく、世界を通して自由になるということです。そのためには、世界にいながら同時にいないという状態が必要です。ブッダの教えにあるように、この世に現れていること全ては<苦>と言えます。私が世界に対してオープンになっていくと、多くの人々が人生の中で苦しみ、そこから逃げ出そうとして、もがいているのを感じました。そんな彼らと私とは何ら変わりないのだと気がつきました。すると、地球に生きる全ての生き物に対して慈悲の心が湧き起こってきたのです。それは「人々を助けなくてはならない」というようなマインドで作り出すものではなく、自然に起こることなのです。そういうわけで、人を助ける道を歩き始めたわけですが、それまでの私は社会にとって胡散臭い人間でしたから、最初は囚人や死期の近い人々というような普通でない人たちにしか近づけませんでした。彼らとのプロジェクトをまずスタートし、今では多くの人々と共にセーヴァ・ファウンデーション(ラム・ダスが共同創立者の国際奉仕団体)を運営しています。
私は「神に完全に仕える」ということを表わす、インドのハヌマーンという猿の神と関係が深いのです。1968年に、私はグルに「どうしたら神を知ることができますか」と尋ねたところ、「人々に与え、養いなさい」と言われました。真理を得るためにはいろいろな道がありますが、私の道は、現実の中で自分の仕事を通して覚醒していくというカルマ・ヨーガであると今になってわかります。ヴィヴェーカーナンダなどの本を読むと、カルマ・ヨーガについてその全貌があまりにはっきりと表現されているので驚いたものです。この思想は瞑想などに比べて西洋ではあまり正確に伝わっておらず、今の私の道はこの生き方を社会に向けて表明することだと考えています。
B ─ ニューエイジと呼ばれるジャンルの中にいる人たちは、まず自分が救われたいとか成長したいという気持ちがたいへん強いように思います。だからこそ旅も始まると思うのですがラム・ダスさんが今おっしゃったような感覚はどのように理解されているとお考えですか?
1960年代のサイケデリック・ムーブメントの時代には様々な解放が起こりました。スピリチュアルな人々は「自分自身が自由でないのにどうやって他の人々を救えるのか」と言い、活動家たちは「世界はたくさんの苦しみに満ちているのにどうしてそれを置いたまま自分のためだけに時間を費やせるのか」と主張しました。しかし1970年代の半ばには、活動家は自分のための時間が必要なことに気がつき、スピリチュアルな人々は世界に対して責任があることを悟りました。西洋で私の出会ったほとんどの人たちは、覚醒したいと言いますが、必ずしもリスクを負ってまで真剣には望んではいません。死ぬほど解放を渇望しているわけではないのです。西洋の文化は、外で何か行動を起こすことに重点を置きますから、私が提唱しているカルマ・ヨーガなどの考え方はとてもよく受け入れられました。対照的に瞑想は全ての活動をやめることですから、私は双方のバランスをとるように教えようと試みています。
B ─東洋思想には単純に良いこと、悪いことという概念はなくて、それらは全て一つの現象の現われであるという考え方があります。社会を見ると多くの矛盾に満ちています。例えば、一般的に、人を救うということは誰から見ても良いことに見えますが、実際には単純な事ではありません。このような社会の中でどのように物事を選択していくかというのはとても難しい問題だと思うのですが。
正当性は道を進む上にある罠の一つです。物事を善と悪との両極に分ける考え方は、西洋では支配的で、人々が自分は良いことをしているのだという確信を抱く動機になっています。ただ、深いスピリチュアルな観点から見ると、何をやるかという問題はどうでも良いのです。自己の知的な部分ではなく、深い直観的な部分から聞くと、自分の技量や周りの状況から行動が決まってきます。 私が何をするかを決めるのではなく、あたかも川が流れ、木が成長するかのように自然にそうなるのです。人々に聞かれることがあるのですが、私がなぜ盲人やグァテマラの農民と一緒にワークを行い、ホモセクシュアルの人々とは行わないのかはわかりません。(※1)私は裕福な人々ともワークをします。彼らも苦しんでいるからです。
人々はなぜそれをするのかと私に尋ねますが、私はわかりませんと答えます。彼らはさらにそれを続けるのかと聞きますがわかりません。あなたは誰ですか? わかりません(笑)。それがあなたのいる意識の状態の領域なのです。
B ─ラム・ダスさんご自身がそうであるというのはわかりました。しかし、周りにいらっしゃる方々や読者たちは、やはり何かの正しい指針を与えてくれるものと期待していると思います。同じ質問を繰り返し問われてうんざりすることはありませんか?
私は25年間、同じ質問を何度も尋ねられてきましたが、それは良い事です。なぜなら、その度に私にとっては新鮮な問いであり、私は機械的な返答をしないからです。問いかけが起こり答える、その時は新たなダルマを作る機会になります。彼らに何が起こるかということは私の考える範囲ではありません。とても微妙な問題ですが、なすがままにすればよいのです。水面に石を投げ込むと波ができるように、木の葉が落ちるように。
B ─ およそ600年前の日本に、一休宗純という一風変わった個性的な禅僧がいました。彼が遺した歌の中に、『仏の道に入るのはやさしいが、魔物の道に入るのは難しい』という言葉があります。彼は両方持っていなければ本当の禅僧とは言えないと言っています。自己成長や慈悲の心などの「仏の道」は自分が実践できるかどうかはともかく、基本的に良いものだと理解できます。けれども、それと引き替え「魔物の道」は、単に「悪」という意味ではないようなので、理解するのは非常に難しいと思うのです。両方を受け入れつつ進んでいける人はあまりいないように感じます。
「魔物の道」というのは、どういう意味なのかちょっとはっきりしないのですが……。ここでは、言葉は気をつけて選ばなくてはなりません。「悪」と「邪悪」と「苦しみ」は、3つの違う性質の物です。「悪」はあたらしいカルマを作ります。結果と原因によりさらに「苦しみ」を産み出すのです。この禅僧は、カルマの法則により、悪行を行えばさらに苦しみを増やす結果になるから、だから「魔物の道」に入るのは難しいと言っているのでしょうか。その禅僧は、自由になるために、意図的に犯罪などの邪悪なことをなせといっているのではないと思いますが。
B ─ある種の狂気はとてもクリエイティブで、何かを創造する時には、そのような狂気が満ちていると思います。例えばラム・ダスさんが進んできた「既存の価値観からの意識の解放」という、社会的に見れば狂気とも言える行動は、ラム・ダスさんによって初めて歩かれた道でした。けれども、今ではそのような考え方や手段が一種の常識となり、一つのパターンとして認識されるようになってはいないでしょうか。ニューエイジの中でも、「より成長した人間はこうあるべきだ」というある種のパターンが出来上がっているような気がします。自分たちは自由になったと考えながら、ある種の体系の枠組みに捕らわれている様に。何かを変革したり、ハプニングのように癒しを行う人たちは、どのようなパターンからも外れていて、狂気に満ちているように思えるのですが。
狂気という言葉はいろいろな種類のものを含んでいます。ある狂気は硬直していて創造的ではありません。対照的に、ある構造を壊し、解放する創造的な狂気もあります。例えばインドでは、多くの人が別の意識状態に入ったまま、地に足をつけて生きる能力を失い、日常的なことができなくなっています。彼らは寺院で世話をされていますが、私の国では精神病院に収容されるでしょう。
けれども社会が、ある種の問題に対しては適切であるという価値を設定した場合、システムの外側にいた人間が今度は癒しを行う人となることがあります。社会全体の病気に対してです。これは私が経験してきたことです。私の国は完全に狂っています。私が少しでも外側に踏み出す度に、それは人々を社会の狂気から解放する手段になります。当然、私は狂っているとされますが。なぜならシステムは、全ての逸脱した行動を否定しながら、自身の維持を試みるからです。しかし逸脱は社会にとって癒しの一部となります。
本当の意味で目覚める事ができれば、全ての行為は創造的になり、意図的に何か創造しようとせずとも、生きること自体がクリエイティブな行為となるのです。最初に何かをやる人は狂っていると思われるのですが、それがあなたの存在の根本から出てきているものであれば、他の人々の心を打つでしょう。
B ─ご自身の今までの考え方がメインストリームになってしまったラム・ダスさんですが、次には、どのような狂気を企てていらっしゃるのですか?
社会から狂っていると見られる方が、正気と思われるより楽しいのは確かです。世間で言われているような意味での権力はあまりありませんが、違った種類のエネルギーで飛び回れるのですから。かつて探求を始めた頃、私は狂っていると見なされていて、とてもエキサイティングでした。しかし、社会は私を徐々に受け入れ始めたので、今では私は主流にいて以前よりお金も権力もあるのですが、楽しくはなくなってしまいました。次はどうなるのか、私にもわかりません。狂気は計画を立てて行うようなものではないので (爆笑)。
B ─ありがとうございました。
ラム・ダス Ram Dass
(心理学者、作家)
1931年ボストン生まれ。本名リチャード・アルパート。
元ハーバード大学心理学教授。1960年代より意識の探求に取り組み、大学を辞してインドに旅立つ。帰国後、広く講演・執筆活動を行うと共に、セーヴァ・ファウンデーション等を通じ、様々な実践・奉仕活動を行う。1971年に出版された『ビー・ヒア・ナウ』は、ニューエイジ世代の人気を博し、スティーブ・ジョブズが人生を変える本として賞賛した。2019年ハワイ・マウイ島にて88歳で他界。
※インタビューは当時のものです。
※1インタビュー当時の状況はわかりかねるので2020年時点の推測ですが、「どのような人とワークを行うことになるかそれは自分にもわからない」という意味だと思われます。困っている人全員を助けることは出来ず、出会いや縁で助けることになる対象は自ずと狭いものになり、「それ以外をなぜ助けないのか?」と問われても、そこは自分にもわからないことなのではないのかと思われます。自分のダルマを果たす、巡り合わせという概念でしょうか。
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