『Interview Archive』は、『NewsLetter』『Spiritual Databook』に掲載されたインタビューです。
内容や役職などは2002年のものです。予めご理解のうえお楽しみください。

SPECIAL INTERVIEW ARCHIVE #16 2002

天才と狂気

草間彌生 / アーティスト

人間には、
一つの止められない欲がある。
それは「なぜ?」と問うことだ。
何かを問うていくと、いずれは
根源的な問いに辿り着く。
しかし、創造は「問い」では無い。
それは問答無用にとめどなく
起こってくる力。
相対する二つの方向性は、
全く別の質を持つ。
際限なくあふれ出る創造の力の中に
身を置くことは、人間の分別を
捨てることでもある。
それをある人は、
狂気と呼ぶかもしれない。
アウト・オブ・コントロールの次元。
世界的アーティストである
草間彌生氏は、
自らの存在を賭けて、
その創造の海の中を泳いでいる。

止められると芸術がなりたたないわけです。なんで、なんで、なんで、では。

K:草間彌生さん
T : 高倉功さん(秘書)
B:ブッククラブ回

B:画家でも音楽家でも文学者でも、表現を極めた人というのは、ある種の世界を行ったり来たりしているように思います。中には、行ったきりになってしまう人もいます。草間さんは、自分の中の異常というか普通ではいられない部分と折り合いをつけながら、長い間表現を続けてこられたわけですが、どうしてそういうことができたとお考えですか?

K:そうねえ………。結局、作品を見てもらえばわかると思うの。

B:作品を作っている時というのは、自分の中で、何かを考えているのでしょうか?

K:全然。無我夢中で入り込んで描いているから、考えてなんか描かないわよ。描いているとこうやって、もう床にまで描いちゃう。だから言葉で表現できないわけよね。それでもう倒れちゃったりとか、止まらない。

B: そういう時、草間さんはどんな状態なのでしょうか? 自分というものがあるのでしょうか?

K:結局、それをみんな答えられたら、私、絵を止めると思うわ。言葉で言えないから、絵を描いたり色々作ったりしているんですけど、それが発展して環境芸術になったりハプニングになったり、インスタレーションになったり、パフォーマンスになったりするんです。水玉を描かなくてはいけないから水玉を描くというんではなくて、自然とそういった物が見えるわけ。今、聞かれた事というのは、とても抽象的な質問ばかりで、どう答えたらいいかわからないのだけれど。私は、作品や本を見る人にそのまま感じてもらいたいの。あなたは、どんなことをお感じになったの?

B:私が草間さんの自叙伝を読んだり作品を見て感じたのは、人間は普通でしたら、恐怖感のようなものを自分を鈍くして感じないようにしたり、押し込めて遠ざけることで生きようとするのに、草間さんは、自分の体と心を傷つけることも覚悟の上で、それでもあえて外に表現するという事をされたのではないかと思いました。それは、一種の行のようなものかもしれません。草間さんが長い人生の中で、次々と作品を出されて表現されていった、同時にそのことによって草間さんご自身も生き延びて来られたのかな、と感じました。

K: その通りです。とてもいい答だと思います。よく感じをつかんでる。率直に言うとね、たくさんの人に読んでもらって、色々なことを感じてもらって、それは自由なんですよね。どういう風に感じるか。ひとりひとりみんな感想は違うと思うんですね。それで良いと思うんです。だから私がこういう風に言ったからとそういう風にして読まないでほしい。読む人の自由に任せて、頭の中を空っぽにして、そして読んで感じてほしい。私が橋渡しすると、それが受け取る人の潜在意識の中に入ってしまって作品がうまく伝わらないわけですよ。感動するところまで私が引っぱっていくんじゃなくて本を直接読んで感動してほしいんです。本を読んだ人が「勇気が出た」って手紙をよこすんだけど、読む人に私から感動しなさいよとか、本を読みなさいよとか、セックスがこうだからとか、そういうことは与えたくない訳です。読んだら必ず突き当たるものがある、誰にも。私自身そのことを実験したいわけです。

B:おっしゃる通りだと思います。読者に草間さんの世界を伝えたいと思うと、質問者としては、どうしても観念的な事をお聞きしてみたくなってしまいます。

T: たしかに難しい質問ですよね。先生の側に立って考えれば答えづらい。非凡な存在を普通の人が考えようとすると「なぜですか?」って聞くしかなくなってしまう。でも非凡な人にとっては当たり前のことで「なんでそういう質問なの?」っていうことになっちゃうんですね。

B:それでは、ちょっと関係ない事をお聞きしますけれど、ライヒという心理学者をご存じですか? 草間さんのパフォーマンスについて知った時に、「性の革命家」と言われたライヒと共通したものがあるのかな、と感じたのですが。

K: 聞いたことはありますけど、私はライヒとは何の関係もありません。だいたい、精神分析みたいなものはもう古くて、ニューヨークでもおよびじゃないし、日本でもオールドファッションなんですよ。ニューヨークでフロイト派の精神科医についたために絵を描くのがだめになったの。なぜかって言ったら、フロイト派というのは何もかも全部、分析しちゃうでしょ。分析じゃなくて構築するのが私の仕事なのね。

私がかかった医者はフロイト派のものすごく優等生なわけね。ニューヨークで5~6年受けたんだけど、今考えたら噴飯ものなのね。「先生、頭が痛いんですけど」って言ったら、その日朝から何があったかを全部言わせるわけ。それを分析するわけ。私の悩みって、全部芸術でもって表現したいわけですよ。絵を描くでしょ。そうすると「あなたは 何故こう描くんですか」って言って分析する。そのために私は絵を描けなくなってしまう。絵がどんどん遠ざかっていくんですね。 「具合が悪いから助けてください」と言うでしょ。そうすると精神安定剤をよこしたりするんです。絵を描きなさいとは言わない。薬をくれたり分析する前にそれを絵に持っていきなさいとは言わない。私がもし医者だったら「あなた絵を描きなさい」とか「音楽を聴きなさい、作曲をしなさい」とか、そういう風に言いますよ。フロイト派の療法を受けた人たちは、芸術的に劣等生になっていくと思うんです。やっていけないと思うんです。フロイト派の医者は私が絵を描かなくなった状態を「草間さんは治った」って、こう来るでしょ。そうじゃなくて、私の場合は作って作って作り上げていくんです。だけど精神科医は作るエネルギーがなくてもいいところまで分析しちゃう。だから今の時代を生きていくには、フロイト派だとか、ライヒとかそういうのは消えてほしい。火をつけて燃やしてしまいたい。だから私は医者を止めたんです。

B:それをご自分で気がついて、抜け出したというのはすごいですね。お話を聞いていて、昔、ニジンスキーというバレエダンサーが、踊るのを止めたとたん狂気に走って若くして死んでしまったことを思い出しました。

K: フロイト派の精神分析を受けたことが、 自分の生涯にとって一番最悪の事態だったと 思ってます。だから、それを止めて、自分自身で絵を描き出したわけ。綱を床にまで描いちゃうでしょ。フロイト派の医者は「なんでそんなことするんですか?」って聞くでしよ?ただ私に描かせればいいんですよ。だから断ち切ったわけですよね。フロイトは、ウィーンの上流階級の女の人たちのヒステリーを治したって言うけど、 彼がちょっかい出さないで、彼女たちに筆をもたせたら、すばらしい絵を描いたと思うわ。フロイト派に大反対です。フロイトではずいぶん損した。時間の損失だったと思います。私そのころお金なかったから、自分の描いた絵で治療費をとってもらったんだけど。私は今、精神病院にいますけどね、25年も。フロイト派とは違うことをやっているの。どこも悪くなくても病院にいるわけですね。なぜかっていうと、頭がめちゃくちゃになった時、看護婦さんを呼べればいい、っていう感じなの。

B: お薬は飲んでいらっしゃるんですか?

K: 胃の薬とか風邪薬とかは飲んでます。風邪薬を飲むと腰痛が治るから。若い頃、ずっと絵を描いてたでしょ。だから、負担がかかって腰痛になっちゃったわけですね。それを直そうと思って、マッサージ診療とか腰痛を治す専門の所へいくと、かえって腰痛になるわけですよ。1回行くとベッドの上で6日休んじゃう。行かないでいると、自分の体で治るわけですね。選択は自分自身にあるということなんです。医者ではなくて。

B: それは精神的なものと同じですね。医者が患者を自分は専門だからとコントロールしようと思ったとたん実際には鈍くなって悪くなってしまうという意味では。

T:先生は今では世界的な芸術家ですけど、小さい頃から絵を描いたり、紙をちぎったり、いろんなことをしてきたんですよね。もう止められなくなるぐらいずっとやり続けていたんでしょうね。そこでもしフロイト派の先生がいたら、「彌生ちゃん、それだめよ、いけません」と言っていたかもしれません。それを先生は、好きにいっぱい描きためて。でも厳格なご両親からは絵描きなんかになっちゃいかんと、止められていたわけですよね。

K:そう。それで病気になっちゃう。止められると芸術がなりたたないわけです。なんで、なんで、なんで、では。

B: やはり精神のバランスがくずれた時 、薬で押さえ込んだりすると、せっかくのその人の感性を鈍らせてしまう危険性があると思います。今のお話は実体験としてお聞かせいただけて、とてもよくわかりました。

K: 私の立場を理解していただけたらありがたいです。

B: こうやって質問をしている事自体、まるで自分がフロイト派の精神分析医になったような気がしてきました(笑)。 そういう草間さんにお聞きするのはナンセンスですが、これから先、未来に向けて草間さんの中でどんな展開になると思われますか? それは自動的に次から次に?

K: ええ、次から次に出てくるわけです。やっていくうちにどんどん展開していくんですよ。今までも反転して反転して、どんどん膨張していくでしょ。ああいう風になっていくと思います。死ぬまで、膨張していくわけです。

B:すぐ解釈をしてしまいたくなってしまうんですけれど、草間さんは「無限」を別の言い方をすれば、「答を求められないこと」だと、それを表現されているのかな、と思います。たとえば、埴谷雄高という人が 「無」という絶対に表現できないものを表現しようとして何十年も本をずっと書き続けましたが、彼はその意志をはっきり持っていたんですね。でも、草間さんの場合はゴールも決めない、とにかく次々に増殖し続けるということなのですね。

K:終わり無き戦いだよね。

T: そうですね。ゴールは無いですね。この間も先生は、300年ぐらい生きないと、今やりたいことがとてもとても追いつかないと言っていたんですね。本当にアイデアが湧き出てくるというか。スタッフに「こういう事をやりたいんだけど、こういう材料を買ってきてちょうだい」っていうことから始まるんです。で、翌日は、もう一つまた別なことを言い出す。「鏡をこういう風にしたいのよ」とか。そうやって本人の中には、いろんなビジュアルが見えているのか僕にはわからないですけど、「やろうよ、やりたいのよ」というのが、止めどないわけですよ。じゃあ、鏡の部屋を100個作ったら終わりにしよう、とか言うんではなくて、もう、後から先から関係なく。どこまでやりきったからもういい、というのは全然ないみたいで、どんどん、どんどん、際限がないですね。絵だけではなく文章も書くし。このスタジオからお部屋に帰ってからもまだ手をつけてまとめてないものもいっぱいあるみたいですし。

K: そうなの。ほこりだらけになって、いっぱいあるの。

T: 歌を歌うこと、洋服をデザインすること、 表現ということに関しては何でもしてしまう。ようするに、この人は絵描きです、とか 彫刻家です、という一つのジャンルに収まらない。ここ最近はファッションの取材が多いんですけど、よくよく先生の資料を見てみると、小学校時代にもうすでにこっち側が真っ赤でこっち側が真っ白みたいなセーターの写真があるんですよ。そういうのは編み物やっている人に「私、こういうのを作りたいの」って言って作ってもらっている。だから、とにかくもうずーっと湧き出るもの を具現化している。

B: 草間さんのまわりには理解してサポートしてくださる方がたくさんいて一緒に生きていらっしゃるのですね。

K:そう。たとえば、高倉さんなんかは反フロイト派なわけですよ。私が新しい世界に入っていくのを見守って、どんどん焚き火したわけですよね。だから、私の現在があるんです。

T: ニューヨーク時代から常に先生の周りにはたくさん人がいましたよね。今現在もいろんな方が必ず先生の魅力にひかれて、たびたび回を重ねていくようになっちゃうんですよ。

B: 日本人の意識は以前と比べて変わってきたと思いますか?

K: ええ、思います。今は、理解してくれているようですよ。反対して足をひっぱって引きずり下ろすようなことは、無くなりましたね。朝日新聞社も私に賞をくれたから。授賞式で演壇に立った時「朝日新聞社って保守的だと思ったけど、私に賞をくれるなんて、 世の中変わった」って言ったら、どやどやどやって会場がざわめいていたわ(笑)。

T:60年代後半、70年代頭ぐらいまでニューヨークからの情報が正確に伝わらなかったんですよ。非常に下劣な週刊誌的表現で伝わっていたものですから、ニューヨークではいろんな意味で評価されているのに、それがスキャンダラスな形で日本に伝わって先生はその時期ちょっと日本に帰ってくるつもりが体調くずしてしまったりして日本に留まった。その時は、よくない情報だけが日本にあったから誤解が多かったと思うんですよね。

K:もう、たいへんですよ。それがここ10年ぐらい、本当にもう手のひら返したような。それまで私の仕事を敬遠したり理解が示されなかった事が今では大勢の若い子が「かわいい、かわいい」と言って私のミュージアムグッズを買ったりとか「サインください」とか「写真を撮らせてください」とか本当に変わりました。私自身の姿勢はずっと変わっていないんですよ。ただまわりがそれを非難したり肯定したりする。

B:もし、医学とかテクノロジーが進歩して人間の意識や肉体が変わって生き続けられるものだとしたら、草間さんは300年と言わず1000年ぐらいは生きたいと思われますか?

K:はい。今、進歩している科学にも負けないくらい新しい仕事をしてますよ、私。進歩し続ける作品ってまだ日本ではあまり見ないよね。

B: 今日は本当にありがとうございました。

K: 今日、とてもいい線いったじゃない。すばらしいと思うわよ、このインタビュー。

B: たくさんの「なぜ?」におつきあいいただき、ありがとうございます。これからのますますのご活躍をお祈りしています。


草間彌生(くさまやよい)
1929年 長野県松本市に生まれる。
10歳の頃より水玉と網模様をモチーフに絵を描きはじめ、水彩、パステル、油彩などを使った幻想的な絵画を制作。

1957年渡米。
ニューヨークにて、巨大な平面作品、ソフトスカルプチャー、鏡や電極を使った環境彫刻を発表する。
60年代後半には、ボディペインティング、ファッション・ショー、反戦運動など多数のハプニングを行う。
自作自演の映画『草間の自己消滅』は第4回ベルギー国際短編映画祭等に入賞。

1973年 帰国、美術作品の制作、発表を続けながら、小説・詩集も多数発表。

1983年 小説『クリストファー男娼窟』で第10回野生時代新人文学賞を受賞。

2000年 第50回芸術選奨文部大臣賞、外務大臣表賞を受ける。

2001年 朝日賞を受賞する。

2002年 紺綬褒章を受賞する。

2003年 リヨン・ビエンナーレに参加。同年、フランス芸術文化勲章オフィシエ、長野県知事表彰を受ける。

2004年 大規模個展が日本を巡回。

2005年「草間彌生全版画集(1974年~2004年)」を刊行。

2006年 旭日小綬章。ライフタイムアチーブメント賞。高松宮殿下記念世界文化賞。

2009年 文化功労者に選出される。

2014年 安吾賞を受賞する。

2016年 文化勲章を受章する。女性画家では4人目。

2017年「草間彌生美術館」が開館。

2017年 名誉都民

http://yayoi-kusama.jp/

 ※インタビューは当時のものです。

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