『Interview Archive』は、『NewsLetter』『Spiritual Databook』に掲載されたインタビューです。
内容や役職などは当時のものです。予めご理解のうえお楽しみください。

SPECIAL INTERVIEW ARCHIVE #18 1996

江戸のネットワーク

田中優子 / 江戸文化研究者

世界中で何か新しい状況が起こってくるとすれば、これはボランタリーの中からしかないんです。
そのようなものとして、インターネットが生まれてきている。
同じ様なことがおそらくコンピューターの世界だけでなく、あらゆる世界で起きてくるという感じですね。

個と全体の創造性を有機的に絡ませた
高度なネットワークが
江戸の時代にあったという。
混迷の中から調和を生む。
未来を解く鍵がここにある。

B (ブッククラブ回) まず、連」という言葉をよく使ってらっしゃいますが、連」に込められた意味について教えて下さい。

「連」というコンセプトには、二つ側面があります。一つは連歌や連句というジャンルとして、作品の中で言葉が複数の人間によって繋げられているという側面です。これは非常に古い歴史なんですが、そういう連なるという形を元々日本人が歌とか言葉に持っていたんですね。それからもう一つは、たとえ歌とか俳諧をやらなくても、同じ様に人が集まって物を作るという形があった。つまりグループワークです。これも大変古い歴史を持っているけれども、それが時代によって活性化された時代があって、特に目立ったのが江戸時代。私たちが考える作品は、一人の人間が自分の個性の表現として成り立たせている作品なんだけれども、グループワークで成り立った作品はそうではない。例えば、西鶴の小説は西鶴一人が書いたとは思えない構造を持っているし、芭蕉の作品は芭蕉一人のものとは思えない。そういうもの全体を含めて、その動きや作り方の構造の名称として「連」と言ってみたんです。それがとても大事だなと思ったのは、実際に文学だけではなくて浮世絵や芝居や工芸品、それから時には産業などを含めてモノを作ってゆく時に、そのような背景が見えるんです。一人の人間の表現と言うより、むしろ幾つもの創造性を連ねて作り上げられた世界が現われていることが大変多い。そういう意味では開かれているし無完結、言い換えれば、繋げようと思えば終わりの方からまた繋げていける、というようなことすらあるんです。

そういう関係性は日本独特のものなのでしょうか?

グループワークから近づくのが一番簡単なので、ヨーロッパのサロンと比較したりはしてるんですが、実際は相当違うということが分かっています。例えばサロンに詩人が参加して中にいる人に刺激を受けたとしても、作品を作る時は一人です。サロンそのものが作品を作ったわけではない。でも「連」は「連」そのものが作品を作る主体なんです。そういう意味では非常に特殊です。むしろ工房に近いけれど、工房というのは最初から産業のためにできている。「連」というのはほとんどの場合、無目的に作られます。例えば浮世絵は、全部印刷ででき上がっています。あのカラー浮世絵というのは、世界の印刷技術のなかでも画期的なものなんです。あれだけの集中力と人材を集めて、あの質のものをあの時代で世界のどこが作っただろうかという比較研究をしているんですけれども、無いんですよ。それを生みだしたのが「連」という形態なんですね。アイデアを与えたり構造のヒントを与えたりする人が周りにいる。技術者、刷り師や彫り師たちがいる。そしてそれが全部遊びで集まってきて、世界史上画期的な浮世絵が出来上がってきたんです。ですから鈴木春信という浮世絵師は実際に下絵師だけれど、グループの名前でもあったんです。

浮世絵とか俳諧というのは、今の日本人とは違う遊びの感覚も感じるんですけれども、どんな目的で人が集まり、どんなものを作りだそうという意図があったのでしょうか?

辿って行くと後ろにずれていく感じがするんです。浮世絵を作ったのかなと思ってみてみると、そうじゃなくカレンダーから作っている。それで、カレンダーを作るために集まっていたのかなと思って調べていくと、そうじゃなくて俳諧集の表紙のため。目的が変わっていくんですね。それと、カレンダーには絵だけじゃなくてアイデアが必要なんです。今、美術といえば美術だけの事しか考えてないですが、江戸時代には、絵の中には必ず遊びとアイデアがあって、そのおもしろさを競っていたんです。より面白くするためにカレンダーを作るグループが非常にたくさん出てきて、この中の突出した一つが浮世絵の歴史を変えるような仕事をしたのですが、彼らの意識の中では、歴史を変えようなどとは誰一人思っていなかった。しかも売るためのカレンダーじゃなくて、ただ遊んで他のグループと競争していただけのことであった。そこに版元が入って商品化し市場に出て、初めは高価だったものが大量生産されてくる。こうした過程でどうすれば廉価でできるか分かってきますよね。そうすればそれをシステム化すればいいわけですから、大量の人数をつぎ込んで大量生産して値段が落ちていく。お蕎麦一杯の値段まで落ちていったんですね。そうなって浮世絵は完全に大衆化しました。

そういう特徴を持つ文化は、いつ頃から作られたのですか?

1600年代というのは、戦国時代をどうやって変えていくのかということだけに集中した時代です。例えば都市化という問題があります。都市に人口が集中してきた。そうするとその戦国時代の人間というのは刀を振り回しますから、いかに刀を振らせないか。教育システムを急速に創らないといけない。そこで各藩が自分たちの侍の教養をつけなければならないと思っていた。武士以外の人間はどうしたらいいのかという問題になると、これはもう政府の問題でなくて、各藩が勝手にやっていたんです。江戸時代がどうやってシステムを創ってきたかを政治や体制だけで見るとわからなくなる。なぜかというとボランタリーな人間性を見損なうからです。例えば寺子屋。これは政府ではなくボランタリーな活動であって、だれも農民に文字を教えろと強制していないんです。でも勝手に覚えてしまう。勝手に学んだ方が生活が楽だからそうなるだけであって、教える人が必要で、先生を引っぱってきて大根やお米で教わる。そのようなものが軌道にのって来ると、それだけで変わってきますでしょ。コミュニケーションができるようになってくる。手紙も書けるし言葉も通じる様になるし、暴力で解決しなくなるようになる。出版量から見ると、文字を読める人が最終的に80%になっただろうという予測が出ています。また戦国武将の精神状態が残っているような時、もう既に近松、芭蕉、西鶴という人が出てきて、本がベストセラーになるというような出版状況を迎えている。ものすごいスピードでそうなっていったという予想がつきます。

そうなった時代は、将軍でいえば三代目ぐらいですか?

そうですね。もともと日本は貿易大国だったんです。非常に豊富だったのは金、銀、銅という鉱物資源。ある意味で世界一のお金持ちだったんです。それを売って物を買い、輸入品で生活が支えられていたという状況がまだ江戸時代の初めにはあったけれども、今言ったような教育が勝手に進んでしまう。そして世界状況の変化で、日本も変わらざるをえなかったんです。実は、南アメリカの影響で日本は経済的な打撃を受ける。

それは意外なことですね。

南アメリカからものすごい量の銀が出てきて世界中に出回った結果、競争に負けてしまうんです。それで日本の経済的地位が落ち込んだために貿易ができなくなった。そうすると鎖国するしかない。鎖国というものはそういう問題であって、キリスト教問題は、実は経済問題であったんです。キリスト教を解禁すると、スペインが来るに決まっているんですから。次に起こることは植民地化って、全部見えているんです。ですから植民地化を防ぐために鎖国するわけです。輸入品が入らなくなりますから、それの代替物を自分たちで創らなければならない。中国は当時トップクラスのハイテク国家で、世界中が追いつこうとしてもだめだった。日本は、とにかくそれに追いつこうとして、300年かけてがんばって、やっと技術で追い越すんですね。技術といっても、絹織物とかは植物を相手にしています。ということは、農民が主体なんですよ。ですから人間関係やシステムを全部変えていった。それをやっていた年代が江戸時代。

想像するよりよっぽどグローバルなものだったんですね。江戸を知ると、日本的なモノの感じ方というのは、明治に西洋文化が入って来たことで終わってしまったというイメージを受けるんですけれども、今でもこの感性は、日本人の中にまだ残っているのでしょうか?

それが不思議なところで、私もよく分からないんです。確かにシステム導入によって日本人は変わりました。集団組織化された学校なんかは、今や完全に壊滅治的な状態で、そうなると、なんとなく病んだ状態になってくるんです。日本人が集団的だという言い方がそもそも間違えていると思うんです。だって集団的だと「連」は成り立たなかった。なぜなら「連」は必ず一人一人が自分の力を出さないといけないし、それぞれの持っている力を使わないといけないからです。集団性というのは、同じことをみんながやるということで作り上げていくことなので、集団性ということと実際に日本人がやってきたことはどうも違うんですよね。「連」に注目すると、そのようなことが分かってくる。むしろ集団性によって日本的なものが押しつぶされてきた。それでもやはり、内部に入ってみるとそれが残っているという気がします。ボランタリーな部分というのは、枠がはずれると出てきますよね。

日本の会社と社会をもっと細かく見ていくと、人間関係という非常に巧みな編集の仕方が見えてくるはずなんです。例えば村のシステムがあまり研究されてきていない。今だと、災害が起こった時に自治体が何かやってくれなければ、責任問題になりますよね。元々社会はそうはなっていない。むしろそれぞれのコミュニティーが自分たちでどこまでできるかという、システム自体がボランタリーだった。火消しというのは、ほとんど無給でやる仕事なんですよね。火消しの頭は、それで生活を支えているんではない。けれども町の信頼を得て頭になる。だから本当に火事が起こった時にその人の決断が生きるんです。何を犠牲にして何を助けるという判断の決定がどうしても必要になった時、「おまえは死んでくれ」と言うことができる。みんな頭の決断なら納得するんです。また例えば、親がいない孤児がいると村が完全に支えている。能力があると思ったら学費も出すし、子どもはみんなで育てるのが当たり前。破産する家も村の中から出てきます。どうするかというと、そこの農地をそのままにしておけないですから、他のところが引き受けて、農業は続けながらその一家をある場所に移すんですよ。もう一度そこで働いてもらって、なんとか独り立ちをしてもらう。そういうような、いろんなシステムがあった。

江戸時代というのは、例えば宗教でも哲学でも文学でも良いんですが、何かのジャンルに縛られるというよりは、むしろ全体性として見ようとしていたようですね。そういうことを考えると、今よりずっと高度でしかも有機的で流動的で、システムとしてすごく良くできていたような気がします。

無理しているのはむしろ今の方で、例えば学問のジャンルから、学校のシステムから、自治体のやり方にしても、分けていくんですね。要するに縦割り。分けた方が能率的だと。確かにそういう時期があるんです。量を増やす、もしくは何かを拡大する時にはそうなんですね。でも分けていった結果、相互のつながりがなくなっていくとか全体性がなくなるとかということになるんです。だからマルチメディアという言い方も、非常に奇妙な感じがする。元々、文字と映像どころか、匂いがあったり、音があったり、体の中の響きがあったり。人間の一体そのものがものすごくマルチメディア的で、自分の意識では捉えられないほどですよね。それを無理に切り分けてきた結果として、今度は「マルチメディア社会です」っていう言い方になっている。

インターネットというネットワークは、誰がコントロールするわけでなく、どんどん自己組織化されていくという、今までにない形だと思うんです。それを現在うまく捉えられる人はまだあまりいないのですが、むしろ江戸時代のネットワークが重要なヒントになるのではないでしょうか?

よく似てますね、発生の仕方が。今、松岡正剛さんや金子容さんたちとボランタリー研究会をやっているんですが、ボランタリーというのはお金に関係なく自主的にやることで、遊びもボランティア活動もインターネットもみんなボランタリーな活動なんです。今までは会社組織を作らないと何かをできないという考え方だった。それはアメリカからシステムや技術をもらってくる場合には、がっちりした組織が必要になってくる。けれども世界中で何か新しい状況が起こってくるとすれば、これはボランタリーの中からしかないんです。そのようなものとしてインターネットが生まれてきている。同じ様なことがおそらくコンピューターの世界だけでなく、あらゆる世界で起きてくるという感じですね。新しい経済もそうですし。

ニューエイジやホリスティックなムーブメントでは、西洋社会ではうまくいかないので、枠を取り外そうと東洋思想を学んだりした結果、かなり大きな意識の変化はあったんです。でも今、欧米の人たちと話をしてると、どうしてもあるところで止まってしまって、70年代からあまり進歩できないでいる。未来へのビジョンも、パターンにはまってしまって、違う発想ができない。漠然とですが、江戸時代の在り方や発展の仕方が光になるような気がしてしょうがないんですよね。

 もしそのような提案が今の世界にできるとしたら、日本しかない。なぜかというと、江戸時代のシステムに近いものは、アジアがずっと創ってきたものです。村のシステムや水利のシステムは、自然環境と人間の関係です。ですから、本当のネットワークはアジアと持った方が良いんですけどね。けれども他のアジア諸国が注目しているのは近代化ですよね。つまりまだ発展したいから、工業化を目指しているという状況です。だから、自分たちが今まで創ってきたシステムの巧みさやすごさを振り返る余裕なんかない。日本だけが今それを出来る。

どうもありがとうございました。


田中優子 たなか ゆうこ
1952年横浜生まれ。
1980年法政大学大学院人文科学研究科博士課程(日本文学専攻)終了。
同大学の専任講師、教授を経て 現在、法政大学総長。
この間、 北京大学、オックスフォード大学の研究員をつとめる。
著書『江戸の想像力』で1986年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞。
『江戸百夢』でサントリー学芸賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2005年紫綬褒章受勲。

 ※インタビューは当時のものです。

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