『Interview Archive』は、過去の『NewsLetter』に掲載されたインタビューです。
今回のインタビューは、2007
年に行われたものです。
予めご理解のうえお楽しみください。

Interview Archive #24

質を聳(そばだ)てる

桜井章一 / 雀鬼会 会長

勝負師と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
それは、勝つこと、運を自分に引き寄せることに命を賭ける、
ある意味、常軌を逸した世界。
今回は、麻雀の世界で20年間無敗を誇り、
引退後は「雀鬼会」と呼ばれる独自の流派を率いる、
正真正銘の勝負師、桜井章一さんにお話をうかがった。


B:桜井さんはあらゆる関係性に対して、ご自身の存在を賭けて向き合い、結果をすべて引き受けるというような厳しい生き方をされているように思います。

 何なんだろうね。なにか風に押されるようにやってきたことが、今あるだけで。先に何かがあって、それに向かってやってきたんじゃないんです。だから先に何かを求めていない。やってきたら、いろいろなことが残っていたというだけで。自力と他力の両方あって生きているんだよ。だから、自分勝手ということもあれば、他人勝手ということもあるだろうし。何でも二つの要素で、ひとつの事が成り立っているような気がするな。それをひとつにしちゃうと問題があって。「自立」という言葉があるじゃない、そしたら「他立」もあるような気がする。言葉上「他立」なんて言葉は使わないけれど。俺自身、自立なんて、いまだにしてるわけないし、一生できないと思っている。だって自分一人では絶対に生きられないわけだから。人間同士の関係だけじゃなく、自然の恵みだとかそれを頂いて生きているんだから、それも他立だからね。みんな簡単に「早く自立するんだよ」とか「俺はやっと自立できました」とかいうけれども、つながりの中で生きている以上、それは一生だれも出来ないんじゃないかなと。それに、自立って言葉に苦しんでいる人もいると思う。親から責められて早く自立しなきゃって、そうやっている人がいっぱいいると思う。自立はみんなできていないということをわかった上で、他立ということがあって、じゃあ他立って何だろうって思ったときに、人との関係とか、依存している自分の弱さに気づかなきゃいけない。そうすると、そこで初めて、感謝心というのが出てくるんだよ。すべてを自分がわかることなんてないと思うんだよ。「悟る」という言葉があるけど、だれも出来ないんじゃないかな。俺は、たぶん日本一麻雀を知っているし、一番強かったと思う。実際、負けなかったんだからね。そんな俺でも、麻雀を3割程度しかわかってないと思っている。

B:多くの人は、勝つためには手段を選ばず、自分自身の力さえあればいいと信じています。

 麻雀牌の音で、その人が相手に迷惑をかけているかどうかわかるんですよ。あるいは、相手を気持ちよくさせている音もある。どうせなら相手を気持ちよくさせて打つべきなんだけど、自分が勝つことだけを目的とするならば、相手よりも目立った強い音を出した方がいいわけ。そういうことみんな、やるんですよ。それで勝った、負けたって評価しているわけ。でも、雀鬼会の場合そうじゃなくて、自分よりも打ってくれる相手に対して、いい音を出してあげる、打ちやすくしてあげる。それを日夜練習しているんだよ。頭でどう打つんだなんてこと教えないで、まず体の使い方を教えている。だから毎日、こうして牌の扱い方を練習している。トップクラスの子でも基本動作を練習している。そういうことを現実に教えられるし、やってるからね。だからおもしろいんだね。

B:むしろ相手のために相手をもっと強くしてあげようとすると、結果的に自分が強くなるという発想なのでしょうか?

 そうだね。たとえば、麻雀で「俺、今からリーチかけるから、俺の牌を見て。悪いけど3回目でツモっちゃうよ」って言うときがある。そういう時は、展開がぜんぶ見えている。自分の状態、流れが見えてくる。その意味を正しく追ってゆくと、やっぱり道理に結びつくんですよ。人生のあらゆる場面で、意味を的確に追うのは非常に難しい。それと同じで、麻雀の中にも意味っていうのがあるんです。その意味を的確に見つけて、それを追っていくと、先のことが見えてくる。今現在やっていることが先のことに繋がってくるんだね。でも、今という時間は一瞬で通り過ぎているわけですから、今は無に等しい。今がないってことは、過去も現在も無い。あんまりそういうことに囚われないことにして、それをまた全体的に自分の中に包み込んでいるような感覚で囚われずに打っていく。だから牌も打たずして打てとか、牌を持たずして、持ってこいとか、非常に難しいレベルなんだよ。リズム感が出たらリズムじゃない、強さが出たら強さじゃないんだよ。普通、強さを出しなさいっていったら、強さを出すでしょ。そうじゃない。本物の強さっていうのは「あってないもの」みたいなことなんだよ。なにが良くて、なにが正しいなんて判断が難しいから、あんまりそれに囚われないほうがいいかもしれない。同じように勝ち負けというのもあんまり囚われないほうがいい。自分が勝手に「勝った」「負けた」と思っていることもあるわけ。雀鬼会の子たちだってそうですから。俺からすれば、成績は悪くて負けたかもしれないけれど、お前は勝ったんだよってほめられる子もいれば、よい成績でも、お前最低だよって言われる子もいる。だから「結果よければすべてよし」なんて、とてもじゃないけれども言えないね。でも世の中っていうのは、やっぱりわからないから、結果しか頼るものがないんだよ。本気でわかる人は経過を見てるということだね。

B:勝負に勝ち続けるとは、どのような気持ちなのでしょうか?

 俺は、麻雀の世界でずっと勝っていたじゃない。最初は、勝つことは楽しいことだと思ってた。だけど楽しくないんだよ。勝っても勝っても、どんどん楽しくなくなった。むしろ虚しくなっていた。勝ったり負けたりしている人はまだいいんだよ。負けてばっかりでたまに勝つと楽しいのかもしれない。勝つか負けるかわからないギャンブルだったらおもしろいけど、俺の場合100%勝つわけだよ、100回やったら絶対に。それで勝ったって喜んでいる馬鹿いないと思う。それから勝負に負けたっていうのは、決して相手に負けたのではないんだよ。自分は相手と戦ってきたけれども、負けてるやつも自分なんだよ。その人の裏側に自分がいるわけだから。俺にはそういう映像が見えてきちゃうんだよ。それで勝ち負けってことに対して疑問を感じていた。今の世の中もそうだけれど、勝ちが正しかったら社会は良くなっているし、本当はみんながもっと勝ちに疑問を持たないとおかしいんだよ。

B:桜井さんは勝負の感覚をどのようにして身につけられたのでしょうか?

 勝負に勝つということは、みんなが気づかないところ、みんながわからないところを見つけてること。どこに勝ちがあるのかってことは、大人になって麻雀覚えてからってわけではなくて、ベーゴマだとか、メンコだとか、子どもの遊びの中でそれを知っていた。なぜ勝たなきゃいけなかったかというと、負けちゃうと、もう遊べなくなるから。
 今の子は、平気で親にものをねだれますけれども、俺が子どもの頃は、貧しい時代だった。物をねだるということは、えらく恥ずかしいことだっていう気持ちが、子ども心にあったんでしょうね。遊びの中で肉体的にも精神的にも勝つ方法を覚えた。それが大人になっても役に立った。だから勉強してとか、研究してとかじゃなくて、遊びというか、楽しみを追求したことで、感覚を身につけて勝ちに繋がっていったんだと思う。

B:その感覚とは具体的にどのようなものでしょうか?

 頭の中に映像が浮かんできて、そこからポンと瞬時に判断する、それが正解だと知っているから、雀鬼会ではみんな1秒で打つ。ほとんどの人は、考えることに価値があると思い込んでいるから、考える前に1秒で打つことを教えているんです。最初はなぜ1秒で打たなきゃいけないんだとみんな疑問に思う。だって損でしょう。よく考えたほうが得じゃないかと思っている。でも、続けていくうちに、考えがなくなってきて、ひとり一人に感性が芽生え始める。俺は、子どものころに、親から「よく考えるんだよ」って言われていて、そうかなーって思っていた時期があった。でも考えないで生きてきたから、今の俺があるんだね。結構ラッキーですよ、いろんな意味ね。
だから不自由の中で自由を作っていくわけ。制約っていうのは、とても大切なんだよ。みんな自由っていうのを先に訴えるから、不自由になっているんじゃないの。多くの人は、自由って好き勝手にやることだと思っている。いっぱい時間があるほうが創造的なことができると信じている。でも制約の中で何かをやると、ものすごくイメージが広がるし、創造力も働く。アインシュタインとかそういう人たちが、100時間かかっても出なかった答えが、あるときたった1秒で出たとか言うじゃない。俺はそういう感性がわかるような気がするから、インスピレーションは、生命の一番深いところにあるんだ、答えっていうのはそこにあるんだ、と感じるんです。

B:社会では、勝ち組と負け組という言葉で分けられることを嫌い、勝負すること自体に抵抗を持つ人が多いように感じます。

 みんな勝負してないと思っているけど、俺から見れば、まず生きていることが勝負ということだからね。「勝負=賭け事」と表現する人もいるけれども、生きていること自体が勝負だと思うんですよ。どっちか選ぶということは勝負、選択は勝負みたいなものです。みんな勝負してるじゃないですか。自分をひたすら肯定することは、いいことのようにいわれているけど、俺は自分の状態を肯定する人はあまり信じられないんだよ。ある程度は、自分を否定していないと何も発見できないし、向上心とか、いい方向を見つけることができない。「わかったと思ったらおしまい」という言葉があるように、「わかったような気がする」というくらいにしておかないと、人間って目一杯になって、溢れてそこで終わってしまうわけ。いろんなことを得るとか、学ぶとか、そういうことじゃなくて、常に自分がそういう態勢をとっていると、余裕ができるからね。目一杯だと溢れちゃうわけだから、周りの人が騒いじゃう。でもみんな、目一杯がいいと思っている。

B:桜井さんのお話を伺っていると、身体的な感覚を大切にされていると感じます。

 俺の本を読んだ人に、精神性の大切さだけを訴えているように誤解されることがあるけど、俺にとっては、精神性なんてそんなに大切なことじゃないんだよ。精神より大切なのはやっぱり身体なんだね。たとえば今書いていることとか、今吐いている言葉とか、ウソかもしれないんだよ。なるべく正直にしゃべりたいと思うんだよ、でもそれすらウソっぽい。じゃあ、なにが正直かというと、正直なのは身体だけなんだよ。自分の身体は正直。ひとつの大木にたくさんの枝葉があるように、身体の中にスピリチュアルというか、精神が宿っている、心もついてる。だから、まず身体を本来あるべき自然な状態にすることが一番。それがスピリチュアルに結びついてくる。

B:自然な身体とはどのような状態のことでしょうか?

 今の世の中って、知識や情報が主体の世の中になってるじゃない。何でも情報でどうにかできるっていう。情報はお金になるし、それで飯が食える。だけど昔は、あたりまえに生活の中で身体を使うという時代があった。生きるということそのものが身体を使うという事だった。そうすると、自然に食べるために身体を使うわけだから、それはもう自然な身体の使い方になってくる。知識や情報を優先する、それが上だと位置づけられる時代だから、肉体を使うことがちょっと下に下げられている。だからみんな頭でっかちになってバランスを崩している。本人はよいことをやっているつもりでも、肉体を使うことを忘れて、精神性だけを鍛えようとするから、かえって病になっている。自然というのは、全体でやらなきゃならない。全体でバランスをとり、流れるようにリズムをとる、それが自然の動きというもの。一部分を鍛えるのは、もう自然じゃない。それでみんな体を壊すんだよ。それに、柔軟性、柔軟性ってよく耳にするけど、自分の身体が硬かったらウソですよ。頑固って自分に囚われている証拠です。だから信念とか意志の固さが、マイナスに働いて、偏りのほうにいってしまう。偏りとか囚われることは、とても怖い。正しいことでもあんまり囚われすぎると、自分の道を失っていくんです。そうならないために、自分の持つ「質」というのはやっぱり変化させないといけない。俺の柔らかさというのは、別に鍛えたわけでもなくて、天性のものなんですよ。だから与えられた物を、ありがたく使わせていただいている。このお陰で雀鬼になれたんです。

B:柔らかい身体になることで、新たな感性も身につくということですね。

 人間というのは選択する動物であると同時に、生命の連続性を保つために生きているという見方もできる。生命自体が尊いんじゃなくて、生命が絶え間なく続いていることが尊いという感覚にならないといけないんです。命が尊いなんて言っているから、人の命をダメにしたり、自分さえよければっていう感覚になることがある。自分の命を生命の流れのなかで見れば、食べ物も尊いし、空気も尊いし、人の出会いも尊い、いろんなものに尊さを感じることができる。そういう感覚を身につけて初めて感謝心というのが自然に出てくるわけです。言葉先にありきじゃないわけです。何か自分のなかで体験し、行動した上で言葉に結びついている。感謝や愛っていう言葉があっても、それが言葉で終わっている以上は何もないわけ。そこで愛というのを体験してこないと。憎悪でもなんでもいいですよ。なんでも体験してきた上で実感しないと。それが感性だと思う。感性というのは先にいくんじゃないんだね、戻ったところにあるわけ。感性なんて、ほとんど本能です。

B:桜井さんの著書には、ご自身の不思議な体験についても書かれていますが……。

 不思議な体験というか、「救われたな」ということはたくさんある。俺は、身体の動かし方はわかるけれど、細かい内臓の位置や身体の構造なんてよく知らないんだよ。だけど、会った人の身体を見れば、この人は腰が悪いとか、どこが悪いのかというのは、ぱっとみてわかる。どこが弱いか、違和感を音のようなものを感じるんです。不思議だけど、自分でもなぜだかよくわからない。でもちょっと体触ってあげるでしょ、そうするとその人が治っちゃう。こういう力は俺だけじゃなくて、もとはみんな持っていたんじゃないかと思う。

B:その感覚は、人の感情や内面的なことまで、わかるのでしょうか?

 わかりますよ。その子の持っていた今日の一日の周波数というか、ねえ。なんか悪いことしたとか、なんかそういうものがポンポンと出てくる。ウソついたとか。何かが出て来て、それが音の中に混じってくるんだ。自然にわかっちゃうから、ウソつけなくなるんですよ。ばれちゃうから、素直になれちゃうんじゃないかな。みんなわかんないと思うから、隠したりするようになるんだと思う。大人が子どもをわかってあげればいいということは、そういうことですよ。本人も気づかないところ、いっぱいありますから。最初言われても、何のことだかわからないこといっぱいあると思う。でも、何度か言われているうちに、自分がある時ある体験にぶつかったとき、「ああ、このことか!」ってわかるわけ。潜在意識とか、今までの価値観を全部良かれ悪かれ捨ててあげて、裸になればいい。その時は「俺、3年前に頑張ったから」なんて通用しない。過去の業績なんてないんですよ、記録としては残るかもしれないけれど。大切なのはいつも「今」。今日頑張っている子が一番いい子だよって言われちゃう。それって救われるじゃないですか。いままでずっとダメでも、その日頑張って褒められれば、救われるじゃないですか。

B:過去の実績がプラスになることもあれば、マイナスに働く場合もあるんですね。

 マイナスのエネルギーは「狂」のエネルギーともいえる。「狂」のエネルギーっていうのは怖いもので、子供が親を殺しちゃうとか、バラバラ事件とか、とんでもない事件起こすでしょ。あれは明らかに「狂」のエネルギーがないとできないでしょう? そう聞くと、何か特別な物のように感じるかもしれないけれど、普通の人たちが、日常生活の中で「狂」のエネルギーを出していることってけっこう多いんだよ。「正」のエネルギーを出すことって非常に難しいんですよ。それらを踏まえて、俺は本当には彼らをわかってあげようと思うし、彼らも俺をわかろうと努力をする。これも先行きは愛、みたいになっちゃうんだけれども。わかり合える仲になるんでしょ。そうすると、そこに信頼が生まれてくる。

B:その信頼関係は麻雀を通して築くのでしょうか?

 あるレベルから麻雀でも信頼関係がどんどん出てきますから。雀鬼会の下のクラスでは、打ってもあまり信頼関係無いんだよ。誰が勝つか、負けるかのレベルだし、4人で信頼関係を築けるまで打ってますから、まだまだですよ。俺は、世間一般にみんなが打っている麻雀というのは違う、と思ったんです。あってはいけないもので、間違いだと思っていた。正しい麻雀ないのかなってやっていたのが雀鬼会だった。それで20年が経ちました。でも振り返ってみたら、我々のが麻雀じゃないんですね。世間一般の人が打っているのが麻雀で、我々のはもう麻雀じゃないところへ行っただけのことなんだ。

B:麻雀の枠を超えてしまったんですね。それに気がついた……。

 やっと気がついた(笑)。我々のは麻雀じゃない。世間一般にみなさんがやっているのが、やっぱり麻雀なんです。我々は本当に麻雀じゃないですよ。だからこんな話が出て来るんじゃないですか。

B:桜井さんは未来をどう捉えていますか?

 本当に自然を大切にしないと、地球は終わりに向かうんじゃないですか。生きるための連続性を保つための大切なものを失っていくわけじゃないですか。人間にだっていろんな問題が起こってくるんじゃないですかね。どんどん自然から離れていけば、精神が確実にやられますよ。肉体もそのうち滅びてくる。現代は、環境問題とかいろいろあるけれども、自然のいうこときかないから、そのうち人間全体が負けてくるんだと思いますね。身体の変化を季節と重ねて感じていたり、身体を自然体にしていくと、結果的にはやっぱり強いんだと思う。

B:本日はお忙しい中、どうもありがとうございました。


桜井章一(さくらい しょういち)

東京下北沢に生まれる。大学時代に麻雀を始め、裏プロとしてデビュー。以来、引退するまで二十年間無敗、「雀鬼」の異名を取る。引退後は、「雀鬼流麻雀道場牌の音」を開き、麻雀を通して人としての道を後進に指導する「雀鬼会」を始める。モデルになった映画、漫画は数知れず、著書も多数。講演会などでその「雀鬼流哲学」を語る機会も多い。

雀鬼会オフィシャルサイト
http://www.jankiryu.com/

Related Book's

桜井章一の折れない心のつくり方
桜井章一
ぱる出版
1320円(税込)

麻雀の裏プロとして20年間無敗を誇った桜井章一。命懸けの勝負の場で幾度も大逆転を起こした勝負師が、しなやかな心の作り方について語る。心をどこに向けるか、辛い状況や批判に対する心構えやピンチ時の抜け道の見つけ方など、リアルな経験に基づく術の数々。

究極の選択
桜井章一
集英社
792円(税込)

人生は選択の連続であり、正解の存在しない選択も多々ある。本書は、真剣勝負の世界に生きてきた著者が、人生の難問や生死を分ける究極の質問に答える。自分ならどう答えるかを考えるのも、頭や感覚をフルに使って独自の選択をするトレーニングになるだろう。