「はてな?のこころ」は、1995年の『NewsLetter』に掲載された池田晶子さんによるエッセイです。
予めご理解のうえお楽しみください。

ARCHIVE #25

はてな? のこころ 1995

池田晶子
「死」

 結局のところ、「死」こそが、人間にとっての最大の謎であり、また魅惑であるのだ。

 少なくとも私はそうである。言葉と論理、すなわち全ての思考と感覚が、そこへと収斂し断絶し、再びそこから発出してくる力の契機としての「死」、この人生最大のイベント、これの前には他の全てのこの世的事象、すなわち金銭とか生活とかそれにまつわる諸々とかが、いかに色褪せて見えることか、「精神世界」を愛好する「回」の会員の皆さんについて私はよく存じませんけど、「精神的(スピリチュアル)な人」というのの基本的な要件のひとつが、この真正面から死を凝視する態度のことだと私は思う。

 ところで死を凝視するといって、この世の誰が自分の死を見たことがあるのか。自分の死なんてものはどこにもない。あるのはただ累々たる他人の死ばかり、自分の死なんてものは、どこにも無いのである。それは無なのである。なのに人は、自分の死を在るものと考えて、それを怖れつつその人生を送っているのである。これは変。

 死は恐いものなのか
 無は恐いものなのか
 ここでも態度はふたつに分かれる。
 考えられないから無は恐い
 考えられないから無は恐くない

 しかし、通常私たちが何がしかの態度を取ることが可能なのは、その相手が何物であるかが明らかである場合に限られるのであって、何物なのかわからないものに対して、私たちは、恐怖も含めてどのような態度も取れないはずなのである。したがって死に対して取られるべき最も正確な態度は、それを、無視する。文字通り、「無いもの」として振舞う。人生最大の魅惑的イベントであるはずの死が、最もどうでもいいものということになるのだから、やっぱり人生って、変。

 「死後の生」という言い方も変。生ではないもののことを死と呼ぶことに、私たちはしているのだから、「死後の生」という言い方はないのである。そういうものが「何もない」と言っているのではない。だって、無は無いのだから。「存在」は在る。常に在る。常に在るからそれは「存在」と呼ばれるのだが、私の死後にも存在であるその存在が、なぜ「私」でなければならないのか。この「私」とその「私」がなぜ同一でなければならないのか、「同一」とは何か。


池田晶子 (いけだ あきこ)
1960年ー2007年 文筆家。東京生まれ。
慶応義塾大学 文学部哲学科卒業。著書に『帰ってきたソクラテス』『オン! 埴谷雄高との形而上対話』『悪妻に訊け』『さよならソクラテス』『メタフィジカル・パンチ』『14歳からの哲学』『事象そのものへ!』『メタフィジカ!』など他多数。ヘーゲルから鈴木大拙まで、学術用語によらない日本語で哲学の本質を一刀両断の元に鋭くえぐりだす姿はまるで哲学の巫女。

わたくし、つまりNobody賞
https://www.nobody.or.jp

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