自分が知らないことを、人から教えてもらう。
私たちが日常的にやっていることだが、その行為をまるごと職業としている人はめったにいないだろう。
知らない → 面白そう → 聞きに行こう!
金井真紀さんは毎回その繰り返しで多彩な本を書き、編んできた。
どうしてそんなことができるのか。
いつもは聞き役の金井さんに、聞かれる側にまわっていただいた。
「しどろもどろになった」。最新刊『テヘランのすてきな女』(晶文社)の「あとがき」で金井さんはそう書いた。イランの首都・テヘランに住む女性たちを取材する過程で、「イランの女性の話を聞いてきて、あなたはどう思った? 日本と比べてどう?」と問われてのことだ。「しどろもどろ」になりながらどう答えたか、さてその先は本を読んでいただくとして、この「しどろもどろ」こそ、金井真紀さんの原点のような気がする。
「自分はこんなに知っている」「私の考えることはこれだ」と持論を展開するのではなく、本の多くの部分を話を聞かせてくれた人々の言葉とその説明で埋め尽くしながら、時折そっと自分を挿入し、何が理解できたか、まだ何がわからないかを確認し、「しどろもどろ」から逃げないこと。おそらくそこに、読者が金井さんの本に寄り添ってその世界に入っていける空気感がある。
ほんとうのイランに会いに行く
「2023年の11月に2週間でこれだけ(30~40人近く)の女性に話をうかがいました。17年に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)を出した時もやはり取材は2週間でしたが、あの時は60人以上話を聞いて(掲載は40人ほど)、1日5人というノルマがあり、それが終わるまで通訳さんともどもビール禁止だったので、今回のほうがだいぶマシです(笑)」
テヘラン取材のハードな日程にこちらが驚いていると、金井さんはにこやかにこう答えてくれた。この本は読んでびっくり、われわれがイランという国に対して持っている薄いマスイメージはかなり覆される。女性が体の大半を隠しているあの黒色系の布=チャドルは、イスラム教下では絶対に必須と思いきや「着るのをやめました」という女性がいたり、髪を隠すためのスカーフをめぐって反スカーフデモが行われていたりする事実を金井さんのこの本で知ることができる。私が個人的に最も驚いたのは、イランの女性が美容に熱心で金を惜しまないのはいいとして、なんと6割の女性が豊胸手術をしているということだった。
「イランに行ったことのある多くの方が『イランは世界中から誤解されている』と言うし、私はこの眼でほんとうのイランに触れたいと思いました。私が強く感じたのは、イランの女性はみんな強くてしたたかだということ。日本にいると、与えられた自由にあまり気づかないで生活していますが、イランの女性の多くは自らの行動には自覚的です」
スカーフに関する規制をゆるめるなど、政府と国民のあいだには微妙な力関係の推移があるものの、同性愛は今も犯罪行為であり、自白すれば死刑を含む重罰が科せられる。
そう、イランと日本の共通点として、今や世界の中で少数派となった死刑存続国であることを忘れてはならない。

失職から自由へ、書くほうへ
今回のイランの本で金井さんが話を聞いたのはすべて女性だったが、先述したパリの本では「おじさん」ばかりだった。『日本に住んでる世界のひと』(大和書房)は、世界各国からやってきた18組20人から聞いたお話。『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)はそのサブタイトル「達人観察図鑑」のとおり、海女、石工、インタビュアー、ヴィオラ奏者、牛飼い、占い師となんと100の人生観が満載。『聞き書き 世界のサッカー民』(カンゼン)はスタジアムにやってくるサッカー狂いの人々で、『虫ぎらいはなおるかな?』(理論社)は7人の虫の達人に教えを乞うた本で…… とにかく金井さん本は、会う→聞く→書く、会う→聞く→書くの怒涛の連続なのだ。
「私は、内側から湧き上がってくる表現欲求みたいなものがまったくないんです(笑)。自分の外側にある面白いもの、興味深いものを拾って集め、皆さんと共有したい。それにその都度、興味が移っていきますし、なんの専門性もないから、毎回、素人がのこのこ出かけていくことの繰り返しです。多くの方に話を聞いていくなかで、たとえば差別の問題など社会の理不尽に突き当たりますが、あくまでも自分はうわべだけの、のんきな社会派みたいなのがいいかなと」
「社会派」に「のんきな」という形容が付くのはなかなか新しいのではないか。そして大きいのが、金井さんは文だけでなく絵を描く人でもあるということ。文の隣にあるのが写真ではなく絵であること、これには「社会派」の硬さを緩和し、けっしてユーモアを失わない効能があるように思う。
そんな金井さんだが、こんなにバシバシ本を書くようになってまだ10年しか経っていないというからこれまたびっくりする。
「長いのはテレビの仕事なんです。『世界ふしぎ発見!』でクイズを作っていました。そこで本や資料をたくさん読んでクイズを考えるリサーチャーをやりました。でもだんだん、国会図書館や大宅文庫でひたすら調べるより、人に合って話を聞いたほうがいいと思うようになったんです」
「調べる」人から「書く」人へだんだん近づいてきたが、テレビの他にもう一つ、重要なキャリアが金井さんにはある。東京新宿・ゴールデン街での仕事だ。
「私は詩人の草野心平が好きで、大学の卒論も心平さんで書きました。ある時、心平さんが新宿御苑前に作った『バー学校』という飲み屋が2008年に場所を移してゴールデン街でやっているという記事を読み、一人で飲みに行ったんですね。そしてひょんなことからそこを手伝うことになり、テレビ仕事の傍ら、週1回、5年間働くことになりました。常連さんとも仲良くなりました。ところが店のママが高齢でもう続けられないことになり、一時は自分が継ごうか悩んだもののやはりとても無理と判断、店は2013年に閉店しました。私は継ぐことができなかった後悔も含めて一連の日々を書き残しておくことにしたのですが、その原稿を常連の方が『本にしたらいい』と言ってくれて、それで出したのが『酒場學校の日々 フムフム・グビグビ・たまに文學』(2015年、皓星社。のち2023年にちくま文庫)です」

ベンチに寝そべっているのはなぜ? これはベンチの途中にわざとひじ掛けのような仕切りを作り、人が横たわることができないようにしたいじわるなホームレス対策に対し、金井さんが個人的に実践している抗議の姿。
「難民・移民フェス」の立ち上げ
テレビと酒場の日々だった金井さんがなぜ文筆業に転じたのか。お話を伺うなかでとても印象的な一夜のことが出てきた。
「ずっとレギュラーでやってきたある番組がスポンサーの都合で終わることになり、大ショックでした。ちょうど40歳の年末の出来事で、フリーランスでしたから収入も激減。スタッフみんなと荒れて飲みまくりました。ところが飲んだ翌朝、パッと目が覚めて『いや、もしかしたらこれはすごく良いことかもしれない』と思ったんです。『これからは面白いことだけやって食べていけるかどうか、実験してみよう』と。幸い、いくらか貯金があったので、そう決めてしまいました」
そこから10年でいったいどれだけの国を訪ね、何百人と対話したのか、著作で明らかになったわけだが、最後に触れておきたいポイントは、難民・移民フェス(Refugee & Migrant Festival)との関わりだ。日本に住む難民と移民を知る・関わる・応援するこのチャリティフェスは、2022年6月4日に東京都練馬区平成つつじ公園で第1回大会が開催され、24年7月20日の第5回が今のところ最新の大会で、金井さんは実行委員の一人になっている。
「『日本に住んでる世界のひと』の取材を5、6年かけてだらだらやっていた時、“そういえば難民の人には取材したことがない”という下心で、今は友人になったコンゴ人のポンゴ・ミンガシャンガ・ジャックさんに近づきました。彼は家族が殺され、難民認定されず仮放免のままで働くこともできず、頼る人も家族もいない状態です。そういう話を聞いてしまった私は、“取材終わったからさよなら”というふうにはとてもできず、友人になっていく過程でリンガラ語(コンゴで用いられるバントゥー語族の言語)を習うようになりました。すると編集者やライター、テレビ時代の友人などで“私も習いたい”という人が出てきて、最初はわいわい習っていただけだったのが、だんだんジャックと同じような境遇の人と知り合うようになっていったんです。その中には元料理人だけど今は就労不可とか、ほんとは能力があるのに、支援されて“ありがとうございます”ばかり言うしかない人が出てきました。ほんとは人の役に立ちたいし納税もしたい、きちんとした人たちです。
私は金持ちでもないし、心も狭く、“お金あげたくない。こいつ、お礼言わないし”とか思うわけですよ、もちろんこれは友人になってからの感情ですが(笑)。しかし言語を習って先生と生徒になれば、こっちから“ありがとうございます”と言える。1対1だとつらいから仲間もいたらいいなとか、そういうあれこれが発展してフェスになりました」
その「難民・移民フェス」では先に書いた料理人さんが腕を振るうことになるわけだが、そのまま労働対価をもらうと就労とみなされてアウト。あくまでフェスの収益からカンパしてもらう形を取るしかない。ほんの一瞬、働く輝きを得ても屈辱は継続されるわけで、まったくひどい話である。
と、話が暗くなり始めたところで今後の出版予定を聞いてみた。
「コンゴ人のジャックのことは『日本に住んでる世界のひと』の中の一人として書きましたが、その続編をやりたいと思っています。もう一つは去年の夏からWEBで新連載を始めたんですが、題して『車椅子の斉藤さんとパラグアイへ』。重度障害の生き方という、私にとってまた新しい分野での学びと経験を、私なりの表現で皆さんに届けたいと思っています」
笑っていいの? とドキドキしながら読み、世界の広さをこれでもかと感じながら読み、ほんとうにリアルな人々の姿を、言葉を読む。金井さんはきっとこれかも全方位的に「素人」のまま、今度はあの人、もっと次の人、と動き続けるだろう。
「金井ワールド」なんて名前を付けることが最もふさわしくないような、でもやっぱりまぎれもない金井ワールドを、これからもどんどん楽しめそうだ。

関連書籍紹介
金井真紀 / 晶文社 / 1980円(税込)
世界のさまざまな国、人々を訪ね、そこで得たこと、感じた気持ちを等身大の言葉でつづってきた金井真紀さん。最新刊の行き先はイランの首都テヘランだ。日本はもちろん、他のアジア諸国とも西洋ともまるで違うユニークでタフな世界をこの本でご堪能あれ。
金井真紀 / 柏書房 / 1760円(税込)
パリにいる「おじさん」たちに話を聞き、その様子をスケッチをする。ただそれだけのシンプルなことのように思えるが、人の数だけドラマがあるという、使い古された言葉も、使い古されるだけあって、やはり嘘ではないのだなと思えてくる。おじさん一人ひとりのさまざまな事情に、国際都市という場所の意味を考えさせられる。
金井真紀 / 左右社 / 1870円(税込)
農協の指導員から、なぜかまったくスタイルの異なる、肥料も農薬も使わない農法を伝える指導者へ。きっと自然とともに生きる穏やかな暮らし方、と思いきや、道法氏は独自路線を貫くパワーに満ちている。そして、ユニークさが破天荒にならざるを得ない、そんな日本の社会も見えてくる。
それはわたしが外国人だから?
日本の入管で起こっていること
安田菜津紀 著、金井真紀 絵・文 / ヘウレーカ / 1870円(税込)
難民の受け入れ率が極めて低く、人権への配慮を著しく欠いた入管施設の対応が報道されるなど、観光地としての人気の高さとは裏腹に、移民、難民として居住しようとすると、ハードルが途端に高くなるのが日本の実情だ。フォトジャーナリスト安田菜津紀が、日本の入管政策に翻弄される人々の生活をたどる。『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『パリのすてきなおじさん』(柏書房)の著者で、「難民・移民フェス」の実行委員でもある、文筆家でイラストレーターの金井真紀によるエッセイも収録。