『Interview Archive』は、
過去の『NewsLetter』に掲載されたインタビューです。
今回のインタビューは、2005年に行われたものです。
予めご理解のうえお楽しみください。

Interview Archive #31

どう生きる? これからの10年

吉本隆明(詩人、思想家、文芸評論家)

未来に向けて、今、社会は大きな転換期にある。
これまで培われてきた価値観はもろくも崩れている。
この不透明な時代に、個人である私達は、
どのように生きる方向性を見つければよいのか。
今回は、たったひとりで考え続けてきた、
日本思想界の巨人、吉本隆明氏にお話を伺った。


___吉本さんの生きてこられた軌跡を見ていると、権力や社会のシステムなど、すごく強いものに対しては絶対に負けない姿勢を貫いているのに、不完全だったり、社会から外れてしまうような人達に対しては、とても優しい目を持っていらっしゃるように感じます。そのようなご自身の姿勢というのは、どういうところから来ているのでしょうか。

それは、やはり戦争の体験から来ているんじゃないかと思います。今でも自分の中で一番ひっかかっていますけど、その当時は天皇が神様的存在だった。僕も、偉い人、つまり政府や軍部の言う事は、「ごもっとも」というだけのバカ学生だった。それを承認して、文句をつけたりする事もしなかった。その事が身にしみて自分の中に入っていますから、戦後になって、もう決してそういう事を自分はしないよ、というところがありますね。知識人とかそういう人が言う事もあんまり真に受けないよ、と。特に、みそっかすで社会的な場所では発言を無視されるような人がいたら、僕はそういう人の言う事をよく聞きたいし、そういう人に対するシンパシーっていうのは持ち続ける。そこだけはもしかするとえこひいきみたいな事になるのかもしれませんけど。戦争中の自分みたいな事はしないんだという事が基本なんです。そういう意味合いで言っても、僕は一人の個人といいますか、そういう性はあります。

___一人の個人として考え続けるという行為は、相当なエネルギーがいると思うのですが、吉本さんがずっと続けてこられたのはなぜなのでしょうか?

戦後になったその転換が、僕にはもう人生最大の辛さというか、わからなさだったんです。その時の転換の上のおっかなさという体験が、どうしようもないショックだった。ひとつひとつ自分で考えて解いていかないと生きちゃおられん、というか。その時に、何が俺はいけなかったのか、何が駄目だったのかという事を考えないと、ちょっと生きた心地もしない感じだった。その悔しさが、結局は考える事の根本的なエネルギーなんじゃないかな。少なくともそういう事に関する限りだったら、俺は考える事を止めないぞっていう、誰がなんといったって、俺は自分で考えるよっていう。もちろん怠け者ですから絶えずそんな事ばっかり考えてという事はないのですけれどもね。でも持続的に考えてきたというのはありますね。

___たとえば、古今東西の哲学者とか思想家とかそういう人達に対しても、優れた人であればあるほど吉本さんは負けていない、という感じがします。気持ちの面ですり替えたり逃げたりしないで、真っ向に立つという姿勢に対して、多くの人が感動してきたのではないでしょうか。

すべての事を自分なりに考える、追及すべき事は追及する、とやってきたつもりです。「それ」という感じだけでしかわからないぐらい、おおいにわからない事もあるんですけど、たまたますぐにわからないのは「わからない」にしておこう、そのうちわかる事になるかもしれないっていうそういうやり方だから。本を読む場合でもそうなんです。研究者とか信者とか、そういう人の本から何か学ぶという事はしないんですね。たとえば、『資本論』というのはわからない所がたくさんありましたし、今もあるでしょうけど、でも『資本論』の翻訳本を読んだり、どこかのマルクス主義者から話を聞いて自分の知識にするというのはないんですよ。そのもの自体であって、わかっただけの手ごたえで、わからないところはわからないままにしておこうと、ずっとそういうやり方です。

___オリジナルのものに直接対峙するという事ですね。

そうしてだんだん自分で少しずつ「わかってきたぞ」という場所ができてきたから、そういう他者に対する向かい方が生まれてきたんだと思います。できるだけ率直に思っている事は言うというのが、原則というか、心掛けなんです。ただ、そういうやり方をやっていると、つい逸脱して何となく同格じゃねえかって妄想を抱く事があり得るわけです。いい気になると「お前知りもしない事言うな」とか言われる事も多くやっています。そのつど自分自身に対しては反省はある。自分の生き様を逸脱した事を時々言ったり、やってもいない事、たとえば政治的な事を発言する時に、「オレちっとも政治って事をやった事ねえな」って事がある。そりゃ実際やっている人から見たら、僕らの政治批判みたいなのは全然見当外れだよという事になるのかもしれません。これは僕の性格的なところからくる弱点なんだろうなと思います。それをやっている人からみると実際に体験している事はいろいろあるでしょうから、なかなか思っている通りにはいかないんだよ、ときっと反発されちゃうという事はたくさんやっていると思いますね。だからできるだけ注意しているんですけど。「おまえそんなに偉いのか?」って言われるような事は自分の原則としては言いたくないんだけど、つい、うかうかと……(笑)。

___自分の存在をかけて何かを打ち立てた方というのは、その人なりの信念というのがあると思うのですけれど、吉本さんの場合は、姿勢としての核は変わらないけれども、社会の変化に対応して、発言される事がどんどん変わっていかれますね。現代社会を批判する人は多いし、それはある意味で簡単ですけど、吉本さんは、今起こっている事をすべて受容した上で発言しているという感じがします。

変わっていくというこ事自体について肯定的ですね。文明も歴史も科学も刻々考えられて、また感じられて、そのつど時代によって変わっていくものだと思っています。社会の変化に見合うだけの勉強をして、考え方を深めていれば、個人の判断力で対応できるんじゃないかと思っています。ただ、ものすごい変わり方の時はどうしようもない事もあるような気がしますね。僕にとって、敗戦の時の変わり方というのは、もっと大きいものというのか、もっと根底的なものだった。あの変わり方は、僕がいくら個人として見識を高めたって、それに対応するだけの力は無かっただろうなと思います。それ以後は一生懸命考えているから、時代の変わり方については自分なりの判断はあります。自分の考え方が正確であるかとか、妥当であるかという事については何も保証がないわけだけど、ただ、自分ではわからなくなったなという事は今までのところはないような気がしているんで、まだ当分は大丈夫でしょう、と思っていますけれど(笑)。

___もっと若い世代とか今の子ども達は、感覚も価値観も社会に対する接し方も変わってきています。それに対してはどんな風に思われますか?

一面では、肯定的にごもっともと思うところと、もう一面では、いや参ったな、というところがあります。具体的な例をあげればつい最近の選挙です。小泉さんの考え方を若い人は肯定した。これは僕らの同世代の左翼がかった奴らにとっては、全然予想外だったわけです。でも僕にはちっとも予想外では無かったですね。今みたいに、相当急激な変わり目の時には、若い人と固定的にものを考えてきた人の落差はひどくなっているはずだと思っています。選挙の前に、小泉さんが、人から見るとむちゃくちゃな事なんだけど、自分らの政党をぶっ壊しても主張するんだみたいな、ものすごく本気になって言っていたでしょ。自分がどうなっちゃっても、辞める事になっちゃっても、追い出される事になっちゃっても、構わないんだっていう事がよくわかる調子でやっていました。これをもし聞いてたり、見てたりした若い人がいたら、小泉さんに入れるに決まっていると僕は思いました。これは保守とか進歩とか、そういう事とは関係なく、あれだけ本気になっている奴がいたら、やっぱり若い人は動くよ、と。他の政党は、格好いい事ばかり言うんだけれども、ひとつとしてピンと響いてくる事はない。あんなのをいいと思うのは馬鹿インテリだけで、一般の人に対して閉じた態度を取ったら駄目なんだっていう事くらいはよくわかると思うんですよね。イデオロギーが違うように見えても態度は同じっていうか。僕は選挙に行きません。行ったのは戦後一回目の投票の時に、共産党か何かに票を入れたのは覚えているんですけど。こりゃだめだと思い出してからはどこにも入れない事にした。ただ政治に関心があるか、社会に関心があるかと聞かれれば、あります。

___100年後、人間はどのような意識の状態にいると想像されますか?

100年というと、人間が赤ん坊のころから亡くなるまで、だいたい一代。そのくらいの範囲で考えられる事だけが、まあ真面目に考えている事なんだっていう事ができますね。レーニンは、唯物論的な政治哲学を持っていたけれど、それだって150年ももたなかった。宇宙は人間とは桁違いの事で計らなければいけないけれど、人間の脳より先に宇宙があったんだよというのは、どんな宗教家だろうがなんだろうが、現在ではだいたいにおいて今は認めるでしょう。物理学者のエルンスト・マッハは、「そんな事言うけど、目をつむっちゃったらそんな事問題にならないじゃない」っていう観念論です。人間の脳より先に宇宙が無かろうがあろうが、要するに死んじゃったらおしまいじゃないじゃないかっていう事になります。まあ、とりあえず、100年以内に考えられる事は考えた方がいいし、わかればわかった方がいいと思います。だけども、これが真理だぞっと言えるような事を人間の社会について考えてみろって言ったって、そりゃあ誰にも不可能でしょう。僕がいくら考えても10年か15年か、20年まではちょっと怪しいというそういう感じがしますね。それ以上の事を言ったら嘘言っている事になる。

___それでは、10年か15年後の社会は、どんな風になっていると思われますか?

突発的な事がない限りは、だいたいは今の状態が続くでしょうね。今の状態というのは、つまり資本主義的な、大金持ちになった人は自分でも偉くなったと思うし、世間の人もあれは偉い人だっていう風に尊重してくれる社会です。資本主義だって悪い事ばっかりじゃなくて、たとえば、誰かが靴を10足持っていたって別に羨ましいとは思わないし、金持ちだと思いませんよね。今だったら、8~9割の日本人は靴10足持っているかもしれない。それが100足持っていたって、「それは趣味で持っているんでしょう、そんなにいらないもん」って普通の人はそういう風に言えるようになっていますよ。それは社会主義が目指した事に近いですね。格差は増えるかもしれないけれど、食べて日常生活をして時には娯楽をしてというのが不自由無ければいいやっていう風に、普通の人は思うでしょう。だから、自分の手腕で儲けて大金持ちになろうと、大学者になろうと、自由な振る舞いをしたっていいじゃないかって僕は思います。その挙げ句、誰が見ても普遍的に悪い事をしだしたらそれは批判に値しますけれど、変に凝り固まって古い習慣の中にいるよりはいいよ、と思う。そこは時代によって変わってくるんではないんでしょうか。逆に中国みたいな社会主義の国だって、都市単位ではちゃんと資本主義なんですよ。上海や、シンガポールや、香港なんていう、資本的都市で金儲けをもっぱらやっている。こういう混合状態で10年や15年ならいくんじゃないでしょうか。非常に直線的な予想だったらそうなりますね。どっちともいいというわけではないですよね。その後どうなるかは僕にはわかりません。そこから先は、占い師の分野になってしまいます。

___今、たまたま占い師という言葉がでましたが、吉本さんは霊的なものとかスピリチュアルなものとかに対して、どういうとらえ方をされていますか? こういう質問は、あまりされないと思うのですけれど。

僕は、工科系の学校を出たくらいだから、そういうものは信じない。でも、信じないと言いながら、体験した事はあるんですよ。年くって足腰が痛くなると医者に通うわけですが、効かない薬くれて、リハビリをしろと言う。僕みたいに、何十年もじっと座っている職業をやっていると、リハビリなんてやったって、そう簡単に体が動かない。だから、俺はお断りだ、自分でやるって言って帰ってきちゃいます。でも、民間療法っていうのは丁寧だし有効なんですね。気持ちのところまでちゃんと入れ込んでやってくれる。本当に効くかどうかは、そうそう簡単には言えないんですけれども。僕は、鍼灸から整体、気功、みんな行きました。するとみんな効きますけれどもね、気功だけはどうしてこれが効くのかはわからない。前は全然馬鹿にして「冗談じゃねえよ、あんなんで治るか」って思っていましたが…。ところがこれが効くんですよ。なぜ効くかわからない。説明はできないのですけれども。全然触らないか、撫でるぐらい。何か集中してるなっていうのはわかるんですけれど。そうすると背骨とか肋骨とかが熱くなるんです。で、痛くなくなる。熱くなりゃいいっていうんだったら、カイロでも入れておきゃいいじゃないかって僕思ってたんだ。そしたらそれは駄目なんだって。何かの波長がうまく合致しないと効かないという。その何かはわかりませんけれど。ちゃんとパンフレットに適当な説明は書いてあるけど、これを信じろっていうのは俺には無理だな、科学的とは思えないなっていう説明です。僕は読んだって全然納得しないですね。納得しないんだけど、事実としては確実に効く。だからそこで修正した事はあります。つまり、聖書の中でキリストが奇蹟を起こしましたよね、頭を撫でて立てって言ったら立ったっていう、そのくらいの事は本当だって思ったほうがいいなって修正しました。前はそんな事できるわけねえだろうくらいに思っていたから。でも事実だからしょうがないじゃないかって。そう思うより仕方ないから、そこだけは修正しました。

___吉本さんのそういうご体験は、初めて耳にしました。

僕、そういうのあまり隠すのも嫌だから、やっぱりちょっとふーんって感心してて。子どもの友達の女の人でいるんですよ、超能力のある人が。なんか赤い光線みたいなものが下に降りていくみたいな事を言って、やっぱり全然触らないで、「あ、入りましたね」とかって言うんですよね。そうするとちゃんと、僕の腰回りとか熱くなっているから、「へー」なんていって。その人に訓練すればできるものなら、僕に教えてくれれば、自分でやって自分で治すって言ったんです(笑)。そしたら、それは素質なんですって。その人は、もう気がついた時にはそういう事ができたって。だから何かなんだろうけれど、それが何だっていうのはよくわからないんです。こういうのがわかるのは中沢新一ぐらいなもので(笑)。

___これからの未来を生きる人達に対して、何かアドバイスはありますか?

僕は最近、「人間力」という言葉を作りましてね。もうこうなったら「人間力」と「構想力」だって。「人間力」って何かって言うと、「人間が理想の可能性を考える能力」の事なんです。それから「構想力」を持っていた方がいいですよって、若い人には言うんです。その二つだと思う。「構想力」というのは、たとえば、仮にあなたが文部大臣なら何をするのか、それを考えておくという事です。今の学校制度のここが駄目だと思うとか、これは変えたいと思うとか、ここはいいと思うとか、そういう事について具体的に自分の「構想力」を持っていた方がいい。それを実行するかしないっていうのはどうでもいいわけです。そういう場面がいつ来るかわからないけれど、もし場面が来たらやればいいし、そういう必然性がないのならやらなきゃいいし、それだけの事なんだけど。それは一見すると何も意味がないって思われるかもしれなけれど、それはそうじゃないんですね。たとえば三人の仲の良い友達がいて、その中の二人が「構想力」を持っていたら社会は変わります。これはハイテクが発達すればするほど変わりますね。だから「構想力」だけは持って、明日からやれって言われたら、はいって言ってすぐにやればいいんです。これは当番みたいなもので、別にそんなの偉いもへちまもない。いつだって、お前やれよ、って事になったらやればいいんです。

___今は、先行きの見えない不透明な時代だと思いますが、こういう時にモチベーションを持ち続けるために、どうしたらいいと思われますか?

僕は30代の終わりから40代はじめの頃に、一生懸命ライブに通っていた事があるんです。めちゃくちゃな事やるからおもしろくてね。その大将達が久しぶりに去年うちに来た。なんかアルバムを作るんだけれど、そこで対談してくれないかっていう話でね。そしたらおまけで、「歌いましょうか」って事になって、歌ってくれたんですよ。聞いていたら、数十年前に比べて、ものすごくうまくなっているんですよ。あ、この人、いつでもやっているなって思った。ずっと持続的にやってきたなっていう事がわかる。声もよくって、ギターもうまくなっているしね。へえーっていう感じで。その頃、僕は、たびたび入退院を繰り返していて、体もほとんど参ったと思っていたから、もう隠居しようかなと考えていたんですけれども、彼のその音楽を聞いて、ちょっと刺激を受けましたね。やっぱり持続っていうのは、終わりまでの問題、死ぬまでの問題だって。フーコーや親鸞は、死ぬ事は自分のものじゃないよって、言ってますね。死というのは人間の生涯という事とは別の所にあるんだって。この考え方を、僕なんかは一番妥当なんじゃないかなと思う。だから、生きてる間は、生きている方向に矢印を向けている以外に方法はないんです。そういうわけで、僕も隠居だっていうのは止めて、体力があれば、できるだけ持続的に考えていくっていうのがいいんだろうなって思います。そしてやっぱり、「人間力」と「構想力」っていうのがあるとけっこう時代に対応していく事ができますよ。生の方向にエネルギーを向けて、できる限り、心残りになるような事がないように考えておく。少しずつ時代は変わるでしょうけれども、たぶん10年くらいはそれでいけるんじゃないかなという気がします。

___ありがとうございました。


吉本隆明(よしもとたかあき)

1924-2012年 東京生まれ。東京工業大学卒。詩人、思想家、文芸評論家。日本の戦後思想に大きな影響を与えた思想家として、60年代より、さまざまな状況に対して、思索、発言を続け「戦後最大の思想界の巨人」と言われる。代表的な著書に『言語にとって美とは何か』、『共同幻想論』がある。また、『13歳は二度あるか』『ひきこもれ』『遺書』『超恋愛論』など自らの生活体験と実感をふまえて綴った著書も多く出版した。2009年、第19回宮沢賢治賞受賞。


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