『Interview Archive』は、
過去の『NewsLetter』に掲載されたインタビュー記事です。

今回のインタビューは2017年に行われたものです。予めご理解のうえお楽しみください。


Interview Archive #40

「わからない」という可能性

石井ゆかり

12星座別で一年間の星占いが読める『星栞』(幻冬舎)や、エッセイ『月のとびら』(CCCメディアハウス)、根強い人気で版を重ねる『12星座』(すみれ書房)など、ブッククラブ回でもおなじみのライター、石井ゆかりさん。主宰するWEBサイト「筋トレ」(現在は公式サイト「石井ゆかりの星読み」に移行)での週報、年報、そしてLINEでの毎日(!)の占いなど、ニューズレター読者の皆さんの中にも、それぞれの更新を楽しみにしている方が多いだろう。

人気の占い以外にも、禅や旅に関するエッセイ、「闇鍋インタビュー」と題した、下調べ無しのインタビューなど、幅広く、ユニークな執筆活動を行っている。石井さんの文章はテーマはさまざまでも、そのいずれもがある一定の踏みとどまるような独特の距離感と空気感を纏い、そこから読む側は優しさ、勇気、期待などを、それぞれが、自由に受け取っているように見える。

他には無い語り口で書かれるさまざまな文章について、それを書くご本人について、読者の皆さんもきっと気になっていた存在、石井ゆかりさんにお話しをうかがった。


高校を卒業して大学に入る頃、家を出て独り暮らしを始めまして、そのあと「家の外」で出会った人たちには、大事な事を教わりました。それは「人を肯定する」ということです。


ライターになろうと思ったきっかけは? 星占い、ライターをしていなければ何をしていたと思われますか?

「ライターになろう」と思ったことはないかもしれません。そもそも、「ライター」と名乗ってはいるのですが、多分、日本で言う一般的な「ライター」という仕事の形とは、だいぶ違っているように思います。たとえば、普通のライターさんでしたら、あちこちフットワークよく取材されたり、雑誌等の文字組やレイアウトなどに合わせてキッチリ仕事をされたり、文字統一なども自分でされたりするんだろうと思いますが、私はそういうのは編集者さんにお任せしてしまって、あとで文字量の調整をさせてもらうなど、かなり甘えています。なので、「本当にライターさんなら、編集者さんにこんな面倒はかけないんだろうな」という、後ろめたい思いを抱えながら仕事をしています。文章を書くことは子どもの頃から好きで、大人になったら作家になりたいと思っていました。でも今の仕事は、「作家」ではないです。なので、苦し紛れにうしろめたいなと思いつつ、「ライター」を名乗っています。
ライターをしていなければ何になったかというと、実はそっちを先に試しました。子どもの頃は親戚の経営する飲食店や、そのつながりで屋台の呼び込みなどをときどき手伝ってましたし、大学では経済学部でした。バイトも塾講師や家庭教師、コールセンター、保険会社の事務などいろいろやって、就職先も主にIT企業でしたが転転としました。他に何かになれないのか、さんざん試したのですが全部ダメだったんです(笑) 大学で必修だった簿記は全くできなかったですし、IT企業でも、私の書くプログラムはものすごく動作が遅いんです。間違ってはいないんだけど、重い(笑) 才能がナイってこういうことだなと思いました。結局気がつくと、社内でマニュアルとか議事録、仕様書、社長の講演の原稿の下書きなど、ドキュメントを書く仕事をしてるんです。実感としては、「ライター」以外の仕事ができないことを20代から35歳くらいまでをかけて確認していたみたいな感じです。私は自分で鼻をぶつけて痛い思いをしてみないと、そこにガラスが張られているってわからないタイプなんだと思います。そういう意味では、採用関係では本当にたくさんの方に迷惑をかけてきたので、めちゃくちゃ申し訳なかったです。

好きな作品や作家、影響を受けた作品や作家はいらっしゃいますか? 『子どもの自分に会う魔法』(白泉社)は児童文学について書かれていますが、子どもの頃や学生時代の思い出深い作品について、映画や音楽など書籍に限らず教えていただけますか?

たくさんいます。特にこれ、というのは言いにくいですね。『子どもの自分に会う魔法』に出てきた作家の方々はみんな、いわゆる「マザーズ・タン」のような、口移しに言葉をくれた存在でしたし、そのあとに読んだいろんな作家の方々もそうです。「影響を受ける」となると、ちょっと間接的な感じがします。自分が使う言葉は、自分一人で考え出したものなどひとつもなくて、すべてどこかで聞いたり読んだりしたものなので、それらを受け継いで混ぜて使っている、ということだと思います。
三代目三遊亭金馬の落語のレコードを、父がたくさん持っていまして、それを小さい頃から繰り返し聞いていました。三代目金馬は講談出身なので、語りのリズムがものすごく歯切れが良くて、気分がいいんです。私の文章は、特に「です、ます」調で書くときは、話し言葉で書いていると思います。つまり、息継ぎのリズムを軸にして書いているんだろうと思うのですが、それは三代目金馬の落語の快感がじわっとその底にあるのかなと思います。といっても、意識的にマネしているとか、参考にしているとかではないんです。もしかしたら無意識にそうなってるのかも… みたいなことです。ほかの「作家からの影響」も恐らくそうなので、「この人から影響を受けました!」みたいなことを言えないんですね。自分では、わからないんです。

石井さんの人生最大の選択、その「選んだ理由。」は何ですか?

『選んだ理由。』(ミシマ社)を書いたとき、私にも分岐点や、選択した理由があったかなと思い返してみたんですが、どうも、常に「一択」だったということに気づきました。二択三択なら選ぶ理由もあると思うんですが一択だと、「選んだ」とは言えないのではないかと(笑) 選んでいるようで、選べてないんです。道が一本しかなくて、分岐になっていない、というのが私の過去の形かなあと思いました。変化や節目はあるんですけれども、どうも、選べないんです。

人との出会いは、自分にはわからない自分を知る上で貴重な体験だと感じます。石井さんにとって特にインパクトのあった出会いのエピソードを教えてください。

そうですね、いろいろあって、この人一人、というのではないのですが、高校を卒業して大学に入る頃、家を出て独り暮らしを始めまして、そのあと「家の外」で出会った人たちには、大事な事を教わりました。それは「人を肯定する」ということです。このことは、いわばカルチャーショックのようなもので、とても大きかったです。たとえば、小さな子どもがわざとではなく、誤ってジュースをこぼしたとします。私の育った環境では、間髪入れずしかり飛ばされたんですが、家を出てから出会った人たちは、心配したり笑ったりして、受け入れる、ということを教えてくれました。他にも、人間が人間を大事にすることとか、愛情を持って接するとはどういうことか、ということを18歳以降に出会った人たちに教わって、自分に決定的に足りないものがわかりました。「自己肯定感」という言葉は、最近けっこうポピュラーですが、「自己評価」や「自信」などとごっちゃになっている気がします。「自己肯定感」というのは、単に「無条件に、生きていてもいい」という、根源的な生存の権利の感覚みたいなものだと私は考えています。なので、たとえば、自己肯定感が無いがゆえに、自己評価を高めている、という人もいっぱいいます。この場合、「そこにいる」「生きている」ことに条件がついちゃっているわけです。「成績が良いから、そこにいていい」「稼いでいるから、生きていていい」みたいな、生存の権利の許諾があると仮定していて、それを能力や市場価値、他者からの評価といったスペックに求めるというのが「自己肯定感のない、自己評価の高い人」の仕組みだと思います。長くなりましたが、私は「自己肯定感がある」人たちとの出会いから、自分に「自己肯定感が無い」ということに気づかされ、そこから、「それでも生きていくとするなら、どうすればいいか」を考えさせられるようになったのです。自己肯定感を得たい、と思ったことはなくて、それはムリだとしても、それでも死ねないでいるんだとすれば、どうやって生きていけばいいか、みたいなテーマに出会ったわけです。それはとても大きな経験で、私はそれ以降、いつも「その後」を生きている、という実感があります。18歳以前と、18歳以降の世界とが、すごくちがっていて、それは、出会った人たちがくれたものだと思います。

石井さんの文章は断定や押しつけやジャッジが無く、受け手がそれぞれに情報や思いを汲み取れるような包容力があると思います。それは意図的に行っていることですか? 例えば悩みや問題を抱えている人たちへ言葉を向ける時、心がけていることはあります か?

私なんかが何かアドバイスをする前に、みなさんもう、充分以上に努力して、頑張っていらっしゃいます。それに私みたいな未熟者に、何も言われたくないと思うんです。「お前が言うな」みたいなことです(笑) 占いには、伝統的な文脈というか、「指南」「アドバイス」のようなレトリックの文化があると思うんですが、私はそういうことができる技能も無いし、占いを読む方のほうがずっと大人だったり、先輩だったりするわけです。といっても、私は元々あまり性格のいいほうでもないし、謙虚でもないので、無意識に傲慢になってしまうところはあります。で、思い上がって何か言っているときは、やっぱり、読者の方にも届かないなと思います。

心理学者のアドラーは「人生のあらゆる問題は人間関係の悩みである」と言っています。人間関係において他者の心という「わからないこと」を受け止める精神力を育むためのアドバイスをお願いします。もしご自身で心がけていることなどがあれば教えてください。

占いの場ではよく、占いのテーマは「お金」「病気」「人間関係(恋愛・結婚含む)」に集約される、と言われます。とはいえ、お金や病気の悩みも、最終的には、人間関係の中に汲み取られていくしかないのかもしれませんね。私はそうした悩みや「わからないこと」を、自分の精神力で受け止めていけるとは、あまり思わないです。精神力が強ければ解決できるというのは、もしそうならとてもすばらしいんですが、実際には、そうじゃないんじゃないか、という直観があります。直観というより、美意識みたいなモノかもしれません。そんなのはなにか、「醜い」という気がするんです(すみません)。もし、最終的には生死の悩みさえもが、人との関わりにおいて汲み取られていくなら、私は「人との関わりで汲み取られていく」というその点に、希望を持つしかないのかな、と思います。
人との関わりで汲み取っていくならば、精神の強さではなく、むしろ弱さの方が大事なんじゃないでしょうか。弱くないと関われないですから。なので、弱さを認める強さ、というものが、精神力の強さだとするなら、「自分は弱い」と認めちゃうのが一番いいんだろうと思います。もしかするとその勇気が出なくて、私を含め、みんな困っているのかもしれないですね。


人間はどうしても、世界と何らかの文脈で繋がっていたいんだろうと思います。


「わからないこと」といえば、人間関係だけでなく気候や自然なども人の理解を超えるものだと思います。こうした、理解の範囲外にあるものと繋がろうとすることがスピリチュアリティの一つの部分であり、占星術はそれを読み取ろうとする試みの一つだとも思います。だとすると石井さんは理解の範囲外のものと繋がろうとし続けていると言えるとも思うのですが、それはなぜでしょうか?

現代では、まさに科学がそれを試みているのだと思います。「わからないもの」に、科学的にアプローチするのが、現代的な正義なのだろうと思います。で、おっしゃるとおり、星占いは、科学が台頭する以前の、同じことのための手段です。今でも、科学は「理解の範囲外にあるものとつながろう」としていて、なぜ科学がそれをするかというと、人間がそうしたい生き物だから、というしかないんだろうなと思います。人間はどうしても、世界と何らかの文脈で繋がっていたいんだろうと思います。その手だてというか、舞台装置が、いわゆる「スピリチュアリティ」だったり、科学だったりするだけで、基本的にやっていることは同じなんだろうと思います。
で、私がその中で星占いをしているのは、特に選んだからではなくて、単に、科学を研究するための才能が無かったから、なのかもしれません。実際、中学高校の頃は、天文学者や物理学者に憧れて、ブルーバックスを読みまくったりしていました。星占いは、私は信じているわけではないし、私の占いの読者もそうだと思います。ただ、そのコスモロジーというかファンタジーの中に身を置いて、自分はここにいると、ホロスコープの中に自分を指さしたとき、不思議な充実感が湧いてくるのです。世界が自分を放りだしていない、自分は無縁の衆生ではない、というファンタジーを生きることが、楽しいのです。たとえば、大人になって難しい本を読むようになっても、ときどきおとぎ話や絵本に立ち返ることが楽しく感じられます。私はそういう心持ちの中に身を置いている、ということなのだろうと思います。あまり威張れることではないです。ファンタジーはファンタジ一なので。どちらかといえば、人間としては、残念なことなんじゃないかと思っています。残念というか、怠惰な、ずるいことなのかなとも思います。理性的にいって、誠実とは決して言えないです。

広大な宇宙からみたらちっぽけな地球の上で生きる人間の、生まれて死ぬまでの人生というのは奇跡のようにも幻想のようなものにも感じられるときがあります。人が生きて死ぬということをどのように捉えていますか。

自分が何なのか、ということが、何もわからずに生きて死んでいくことは、残酷なことだなあと思います。わからないんです。それが貴重なことなのかどうかすら、私たちには、わかりようがない。わからない、ということだと思います。それに尽きます。もしいつか、人類がその謎を解き明かすときが来て、私たちの生死や、そのほかのことがみんなわかるなら、それを私も知りたいなあと思います。
先日、猫は人間のことを「大きい猫だ」と考えている、というハナシをききました。猫になったことがないので本当かどうかわからないんですが。もしそれが本当なら、人間だって、「あの人は、何かちょっと違う人間だ」と思いつつ、実は人間よりも多少なりとも物がわかっている存在とともに暮らしていたりして…と想像することがあります。目に見えないんじゃなくて、猫に人間が見えているのと同じように、ちゃんと見えているけど、同じ人間だと思っているんです。どうでしょう、怖くないですか(笑)

毎日の占い、週報、年報など、定期的に文章を公開することを長年無料で続けてらっしゃいますが、情熱の源、また継続するための工夫や習慣、インスピレーションの元、などがあればお聞かせください。

読者の反応、これに尽きます。インターネットの、インタラクティブなこの形がなければたぶん、こんなに長いこと続けてこられなかっただろうと思います。読んでくれた人の意見や声があって、「更新を待っています」というメッセージが伝わってくると、「やらなきゃ」という気になります。これは、誰でもそうなんじゃないでしょうか。誰でも、待たれていれば、やりたくなるはずです。といっても、今は以前よりずっと、やりとりがしにくくなったなという気がします。たとえば、ツイッター(現「X」)なら、コメントはずっと少なくなってRTとか、いいねとか、そういうところで反応してもらっています。これは、私だけではないと思うんですが、以前は言葉で受け取っていた反応を、今は「数」で受け取っているのかな、と思います。フォロワ一数とか、アクセス数とか、そういう「数」が「声」として扱われている感じがします。

『選んだ理由。』にインタビュイーとして登場された仲野徹先生が、インタビュー時に石井さんは録音せず、たまにメモを取るだけなので、「大丈夫かいな?」と思ったとおっしゃられていたのですが、それはいつもそうですか? 録音しないのはなぜでしょうか?

20年くらい前に、一度だけテープ起こしをしたことがあるんですがむちゃくちゃ大変だったんです(笑) で、もうしない、と決めました。録るのはラクだけど、起こすのはすごく大変なんですよね。あと、いつだったかちょっと具合が悪くなったとき、病院に行って病状を説明していたんです。そのとき先生がさらさらっとメモを取ってくれて、「ああ、自分はちゃんと意味のあることを言ってるんだ」と、ちょっと安心したんです。余計なことを言ってるんじゃなくて、何か大事な情報を提供できているのかも、と思えたんです。で、さらに話す勇気が湧きました(笑) それに気づいてから、「メモを取りながらきいても、相手はいやじゃないのかも」と思えるようになりました。

私たちがすぐに逃してしまうような、一瞬のふとしたことを石井さんはうまく言葉にされますが、心の深いところにある感情を辿ることや、見つめることなどをずっとされてきたのでしょうか?

うーん、そのあたりは、よくわからないですね。他の人の心の中の感じがわからないので… でも、書く前には、何も思いついてないこともあります。文章を書きながら考えていることのほうが多いかもしれないです。ブログなんかは特にそうですが、ブログの記事を書いて、書き終わってアップして、そのあとお風呂かなんかに入っているときに、「あ!あの記事で、一番大事なアイデアはこれだ!」と気がついたりします(笑) アウトプットしないと、ネタが出てこないのかもしれません。

言葉を書くときはどういった感覚や状態なのでしょうか? 例えば恍惚感などを感じることはありますか? 踊りや歌など表現には身体が勝手に動くような感覚を伴うことがあるといわれますが、書いていてそのようなことはありますか?

すごくよく書けるときはたしかにトリップ感はあります。でも、星占いの記事では、ほぼ、ないです。ブログとかエッセイとかで、時間を忘れて書いているときはあります。そういうときは、いい時間だったな、って思います。仕事したな、っていう充実感がわきます。

占星術ではその星座や星を象徴する神話が、自分の良さや欠点など、自身を知るための手がかりとなります。『12星座』(すみれ書房)でも試みられていましたが、そのような神話や寓話のようなストーリー、ファンタジーを書いてみたいと思われますか? その他に今後書いてみたいテーマはありますか?

創作の作品を書くことは、幼い頃から今に至るまでずっと、憧れであり、夢です。もう「夢」とか言ってられる年でもないんですが(笑) ストーリーテリングとか、キャラクター造形とかはそれ自体、特別な才能だと思います。私にはそれは、ないのかもしれない、と思います。これも「ガラスに鼻をぶつけてわかったこと」なんですが(笑)
他に書いてみたい本は、あります。それを書くには、目茶苦茶勉強しないといけないですし、それ以前に、このラットホイール状態の占い記事の合間を縫ってやりたいことをやる、というのはかなり根性が要ると思うんですが、でも、じっくり時間をかけて本を書こうと思ったらもうあんまり残り時間がないんですよ!(笑) なので、ちゃんと自分で時間を作って、小さくても部分的でもいいから、いつか夢を叶えたい、と思っています。


石井ゆかり

プロフィール

ライター 。2000年より自身のWEBサイト「筋トレ」をスタート。週報や年報などの12星座占いを掲載し人気を集める。現在は公式サイト「石井ゆかりの星読み」で内容を引き継ぎ掲載中。2010年に発売した『12星座シリーズ』(WAVE出版)がベストセラーに。著書多数。現在、星占い以外にも、さまざまな媒体でのエッセイやインタビュー集など、幅広い執筆活動を行っている。


関連書籍

星占い的思考

石井ゆかり / 講談社

1650円(税込)

毎年刊行される人気12星座シリーズ『星栞』の著者による、前半は文学を切り口とした12星座ごとの、後半は星占いについての思索を収めたエッセイ集。占いはアリかナシか、倫理的かそうではないのか。そういった揺らぎまでをも書き留めてしまう人間的な率直さが、著者への絶大な信頼を裏付けているのではないだろうか。


12星座 新装版

石井ゆかり / すみれ書房

1760円(税込)

著者の代表作が新装版で再登場。輪廻する円環のように12星座すべてを巡る大きな物語と、ひとつひとつの星座にまつわる神話によって、理屈を超えた感覚が深く腑に落ちていく。星占いの仕組みやそれぞれの星座へのメッセージなども盛り込んだ、読み応えある一冊。


月で読む あしたの星占い

石井ゆかり / すみれ書房

1540円(税込)

文字通り物理的にも一番身近にある月を手がかりに、その日の様子を知るための手引き。気になることは日々いろいろあるが、。星占いを経由すると、月の満ち欠けのように毎日変化しながら繰り返す、自然の中に今も生きている感覚に触れることができそうだ。


新装版 月のとびら

石井ゆかり / CCCメディアハウス

1100円(税込)

占いとの「つきあい方」に悩んでいるあなたへ。石井ゆかりが月の世界を入り口に、「占いとのつきあい方」について語る。 占いに飲み込まれず「月の世界=夢の世界」を通して、「占いとどうつきあえばいいのか」を内側から考る。好評を博した『月のとびら(2013年刊)』が新装版となって登場。石井ゆかりファンのみならず、占い好き必見の1冊。


子どもの自分に会う魔法
大人になってから読む児童文学

石井ゆかり / 白泉社

1540円(税込)

周囲の大人に呆れられるほど、子どもは好きな本を繰り返し読み続ける。しかし呆れる大人もかつてはそんな子どもだった。児童文学を読み返すことで、成長の源にある感覚に触れる。著者が偏愛した児童文学30作品を紹介。


選んだ理由。

石井ゆかり / ミシマ社

1540円(税込)

「闇鍋インタビュー」と題した、事前情報一切無しで行われるインタビュー・シリーズの書籍化。出会った瞬間の最小限の情報から立ち上がる、「わからない」という好奇心が原動力となって、インタビュイーたちの人生の選択の場面が語られていく。


後ろ歩きにすすむ旅

石井ゆかり / イースト・プレス

1320円(税込)

旅先で出会う小さな出来事について自分自身と語り合う。そんな静かな興奮に満ちた一人旅日記。飛び抜けて勇敢だったり、人一倍ユニークでなくても、普通のペースで歩いていくだけで、いつもの居場所を離れれば旅はやはり特別な時間なのだ。


青い鳥の本

石井ゆかり 文、梶野沙羅 絵 / パイインターナショナル

1540円(税込)

無作為に開いたページからインスピレーションを受け取る占いビブリオマンシー、鳥の本シリーズ最初の一冊。青い鳥が飛ぶ風景と言われて思い浮かべるのは、爽やかと明るさに満ちたものではないだろうか。この本を開けば、ふと足が止まった時も、軽やかな言葉と絵がそっと寄り添ってくれる。