『Interview Archive』は、
過去の『NewsLetter』に掲載されたインタビューです。
今回のインタビューは、2011年に行われたものです。
予めご理解のうえお楽しみください。

Interview Archive #32

魅惑が喚起する世界

上田紀行

世界は、個が複雑に絡まりあったネットワーク。
もし、地球のすべての人間の魅力がつながったら、
世界はどのようなものになるのだろう。
文化人類学者の上田紀行氏は、フィールドワークや仏教との関わりを通して
生きる意味を問い続ける。世界が混迷を深める中でも、
けっしてあきらめない魅力溢れる氏から、魅惑が喚起する世界を垣間みたい。

戒律守って修行をして、人里離れた場所に住んで……ということもあるかもしれないけれど、そこに行きっぱなしでもない、しかしシステムが隅々まで支配する日常に埋没するのでもない、そのあいだを常に行ったり来たりしていることが重要だと思うんですね。
『インタビュー』より 


B:先生の著作を拝見しますと、日本という社会なり、システムの「外側」へ出る、という考えが共通して流れているように思います。

はじめは、沖縄に行った時のことを少しお話ししたいと思います。大学時代のことですが、当時はからだや心のなかにある疑われない合理性であるとか効率性みたいなものから、いかに脱出していくのかと考えていた時期でした。同じシステムに従う人たちの中で、自分はやっぱり交換可能な存在というか、オレがオレである必要がどこにあるんだ? って(笑)。

全ての事が、すごく相対化されちゃって、本当に面白いと心から思えるところがない、全てが機能的になっていた。精神的にかなりキツい状況で、人混みの中に入っていけないとか、大学に行くのに地下鉄に乗れないとか、そんな時期があったんですね。群衆の中にいると、自分が砂時計の上から下に落ちていく真ん中のくびれのところにいるような感じで、「オレなんかいてもいなくても同じじゃないか」と思ってしまったり、みんな平然と歩いているのが不思議でたまらなくて、突然、通りすがりの人の胸倉つかんで、「ほんとに幸せなのかよ!」って問い質したい衝動にかられるとか(笑)。そんな感じでした。

そんな時に沖縄に行って、竹富島でシュノーケリングをやったら、ほんとに美しいと思えたんですよ。それこそ竜宮城みたいに珊瑚礁があって、魚がいて、そこから上がってきて木陰で風に吹かれていたら、なにもかもこうしてちゃんと実在しているんだということが実感できたんです。「うわっこんな世界があるのか!」って。そして同時に「この沖縄の海、この世界は何百万年もので、自分はせいぜいあと数十年しか生きないけど、オレが死んでもこういう世界はあるんだなあ」と思ったら、すごくホッとしたんです。

ネイティブアメリカンの人が、「自分は大地から生まれて、またそこに戻っていくだけだ」って言うでしょ? 大いなる円環の中に自分がいるという実感とともに、心ある道を歩んでいけば、大地はあるんだから、またそこに帰っていけばいいみたいなね。オレがなんか馬鹿をしたり、間違うことだってたくさんあるし、悩むことだってたくさんあるんだけど、何百万年と続く世界と比べれば、人生なんて短いんだから、何が起こっても当たり前だよ、みたいな考えになれたことは、当時はすごく大きかったですね。ただ、そこでそう思えたからといって、苦悩が減るわけでもなかったのですが(笑)。

B:そういう感覚はやはり、東京で大学に通いながら……という環境の中からは、なかなか出てこないものですよね。

東京が良い悪いということではないと思いますが、当時はカウンセラーにも通っていましたけど、慣れない人間が急に自分の内側を見るのは難しいですよね。当時の話で言えばなんかリアリティみたいなやつにオレは出会いたいんだ!みたいなね。でもそれが何なんだかわからない状態で22、3歳の頃、バックパックをしょって友人と一緒に2ヶ月ほどインドに行きました。

インドというのはほんとに面白いところで、まず、下痢の洗礼を受けないと絶対にダメだというところがある(笑)。そして、マインドが外界に投影されるようなところがありますね。自分が不信感の塊みたいになっている時はそれを増長させるようなヤツばかり集まってくるし、ハッピーな時は、なんでもOKだみたいな連中が集まってくる。相乗効果で、果てしない極限まで持っていかれるんですね。向こうの人たちの自己主張の強さとかを見ると、何なんだ!と圧倒されます(笑)。心身症の大学生が小金を貯めて行ってるわけですから、鴨ねぎ状態です。そんな時は、システムの中で非常におとなしい羊としての僕たち日本人というようなのをすごく思い知らされたりしますよね。

そんなある日、友人と2人でガンジス川でボートを漕いでいたんです。12月か1月だったんだけど天気が良くてぽかぽかしてて、上流では洗濯屋さんだかバシャーン、バシャーンって岩に洗濯物を押しつけていて、ガードの所では礼拝所なのか、フエーフエーってヒンディーのお経みたいな音が聞こえていて、もうちょっと流されていくとそこは死体焼き場で赤い炎が上がっていて、死体が川に流されていく。ガンジス川のド真ん中でゆったりとした流れの中に身をゆだねていると、何か訳がわからないけれどもとにかく気持ちがいい、至高体験と言いますか、もう足りないものは何もないという感じ。2人同時に無茶苦茶気持ちいいねって気づいたんですよね。その後で言った言葉が、わりとそれから後の一生を支えてるところがあるんです。僕たちがここで言っていることは非常に陳腐で、大学生がビートルズに影響を受けて、ちょっと小金を貯めてインドに来て、気持ちが良くなって、ここで目覚めたとか何とか言って、日本に帰ればみんなそういう目で見るだろうと。おっさんになれば、相対化して「あの時は…」とか、「ああいう時期ってのはあるもんですよ」って、それがまたインドだったからだとか理屈をつけてそれを相対化しようとするだろうと。我々のマインドってのはそういうことをやるんだけども、しかしその時、どんなおっさんになろうが、人から何と言われようが、この時のこの気持ちの良さってのは、全くディスカウントされずに、全くそんなことではつまらなくならずに、あったんだっていうことの生き証人になろうなって、その時言ったんだよな。

沖縄での体験もそうですが、これは解釈が問題なのではなくて、美しいものそのものがやっぱりある。または、身をゆだねられるものがある、そのものがあるんだっていうこと。ガンジス川のいろんな体験や感覚があって、全く相対化されてつまらなくならないものっていうのがあるんだと実感できた。だからと言って、それで全てがバラ色になっていく訳じゃないですけど、それらの体験というのは僕にとっては大きかった。ただその後、日本に帰って、インドの民族衣装着ながら大学行くような人になって(笑)。まぁそれはみんなにとって不評でしたけど、かぶれてましたからね(笑)。

B:スリランカへも、インド旅行と同じような流れで行かれたのですか?

スリランカに行った時はもう27になっていて、文化人類学のフィールドワークをやるという、はっきりした目的がありました。僕は「悪魔祓い」について本を1冊書きましたが、「悪魔祓い」ってよく、「悪魔が実在するわけではなく、心の問題ですよね?」と言われます。それで別に間違っているわけでもないんですが、関係性の中で悪魔はやはり存在しているんだとも言えるんですよね。

どういうことかというと、つまり例えば誰かが心身の不調になるとして、病院に行って投薬しても治らない。そこで、誰かが「これは悪魔のせいだ」と言って、そのことに皆が納得すれば、では何月何日に悪魔祓いの儀式をやりましょうということになるんですね。そうなると、親戚に手紙を書いたり、電話で知らせたり、村人にも来てもらって、そうなると、もてなしをしなきゃいけないとか、じゃあ魚と肉と米を用意しろとか、当日は誰が調理を担当するのかとか、もうほとんど冠婚葬祭みたいになっていって、悪魔を祓うということのために、地域の共同体が皆で動き出すということになるんですね。当人には、「おまえには今、悪魔が憑いてるから」と言って、その何月何日の悪魔祓いの時までは悪魔の症状を封印するために、首に何か糸を巻いたりするわけです。

そういう関係性ができてくると、これはもう、悪魔は「そこにある」というべきなんです。人間はやはり儀式のような、カタチのあるもの、祭りみたいな装置を通じてそこにいる神様みたいなもの、あるいは悪魔のようなものを実感していくわけで、そういう関係性の変容、行動の変容の中に置かれなければ、なかなか「私」という個人の意識の変容なんて起こらないんだってことだと思います。

B:『スリランカの悪魔祓い』の中で、愛媛大学の教員をされている時に、「学生を見ていて、悪魔祓いが必要だと思った」という書き方をされていますね。

あそこで書いたのは、孤独な人に悪魔のまなざしが来るってことです。外界からのまなざしはあったかいものだって思っている人に悪魔は来ないんだけれども、それを冷たいものだとか、外部の人間はみんな自分の失敗を望んでいるんだとか思っている人には、チェンジが必要ですよね。「君がチャレンジして失敗したらオレたちが支えてやるから、のびのびとやってくれよ」って、そういうふうに周囲の視線を受け止められればいいけど、「オレたちツラいのにお前だけ楽しそうにしているんじゃねえよ。空気読めよ」なんて思っていると、悪魔憑きになっていくわけですよね。だいたい日本社会というのはとっても不機嫌社会で、自分がこんなに苦しんでストレス抱えているんだから、お前が楽しそうにしてるのが許せない、という雰囲気が蔓延しているでしょう?同調圧力が強いんですね。

本当の意味で苦しみを皆で共有して一緒に乗り越えようというならいいんだけども、楽しく生きることのぬけがけは許さないぞ、というものすごい同調圧力を感じてしまって、それは東京が病んでいるのかなと思ったら愛媛にも東京以上にあって、それというのも愛媛ってたいへんな教育県なんですね。そんな場所で学生たちを見ていて、こちらもツラかったんです。

B:「日本」というものが、ある意味一つのうまく稼動してきたシステムで、しかし気がついたらそこに歪みが出てきてしまったという場合、これはなかなか変えていくのは大変ですよね。そもそもシステムなしで裸で生きていけるわけではないですし。

言い方は悪いかもしれませんけど、1945年から1990年くらいまで、ほとんど私たちは、目立った苦悩というか、そういう災いというものが、あたかも無いかのように過ごしてきました。このまま経済発展が続けば何もかもうまくいくという時代に、人間の苦悩に向き合うようなことに対して、いかに対処してこなかったか、ということがありますね。

だからこの間、社会の構造がものすごく脆弱化したと思います。しかしながら、1990年代以降、阪神大震災、オウム真理教、神戸連続児童殺傷事件、JR福知山線脱線事故などの事件が起こるというように、社会の中でちょっとこれはやばいぞってことが色々と起こってきて、そして、1990年代の後半から、自殺者が3万人を超えていって、割れなくなってきます。

つまり逆に、人間の苦しみや社会の歪みが現れてきたことによって、否が応でもそうしたことに対処しなきゃいけなくなって、そこでそういうことに立ち向おうという人も現れてくる。社会を下支えしようとか、苦しみや葛藤の渦中にいる人を支援していこうという人たちが、これから増えていくと思います。

B:その「脆弱化」した社会から災害によって急に非日常にさらされるわけですが、逆にいうとシステムが安定してしまうと、ある種、人々のあいだに倦怠感が蔓延してしまい、危機の芽のようなものがどうしても見えにくくなるという側面は残ると思うのですが。

今回の震災で亡くなった方、行方不明の方、合わせると現時点(2011年4月末)で2万8千人くらいですよね。それでこの十数年間、毎年自殺をしている方が約3万人と同じくらいの数です。だから明らかにその数は異様な「非日常」なんだけど、私たちは普段は気がつかないわけですよね。でも今回、津波と地震で亡くなった人と同じ数の人たちが毎年亡くなっていたんだっていうことを認識すれば、「ちょっとそれってとんでもないことじゃないか」ということに気づかされます。

人間が何か物事に気づく時には、それを外側から見たり、あるいは逆に深く社会と自分を見つめていって内側から違和感によって気付くとか、いろいろなやり方があるんだけれども、残念ながら人間は、そうそう内側から気付かなきゃいけないといっても、それができる動物じゃない、ということがあると思います。それと、ある程度、センサーをシャットアウトしないとシステムの中で生きていけないし、そのようにずっと教育を受けてきているということもあります。

だから、外側からガンッて災害などで気付かされないと、なかなか目が覚めない。システムがシステムである以上、そこに抑圧性や拘束性が出てくるのは避けられません。親子の関係もそうで、世の中で生きていけるようにしつけをしなきゃいけないとか、やはり親も聖人君主じゃないんで、どうしても自分の思い通りに育てたいとか、そういうことは出てくるわけです。

しかし、我々は、よりマシなシステムに作り替える、選びなおす、ということはできるんですね。例えば、「ガンジーがいろいろやったけど、世の中平和になってないじゃん」って言う人、いますよね。マーティン・ルーサー・キングがいたけどダメ、ジョン・レノンに倣って皆あれだけラブ&ピースって叫んだけど平和になってないって、よくそういう人がいるんですけど、でも、彼らがいたから、ああいう平和運動をやっている人がいるから、世界は今くらいの平和と戦争の均衡でまだ止まっているんですよ。

「あんなの何の役にも立たねえ」と言うことがクールな現実主義だと思いたいんだろうけど、そういう努力がなかったらもっともっと悲惨な世の中になっているはずで、だからその意味で、今のシステムの中でより良いものを目指していく、というその動きであり、往復性ですよね。

システムの中で動きがあり、そうしているうちにシステムも少し変わったり、また戻したりという、そういう往復運動の中に希望があるのであって、「ハイこれで最終形」というカタチに到達するとか、そういうことじゃないはずです。ちょっとずつ達成出来た事を喜びあっていく、ということが、生きているということで、それが大事なのだと思います。

先ほど沖縄やインドでの体験をお話しましたが、あそこで起こったことは、覚醒体験かもしれないし、ある種の至高体験かもしれない。しかしそこで垣間見えたものがあるからといって、そちらに行きっぱなしというのも、これはなかなかできないし、人間ってそういうものじゃないと思うんです。急に出家して、戒律守って修行をして、人里離れた場所に住んで……ということもあるかもしれないけれど、そこに行きっぱなしでもない、しかしシステムが隅々まで支配する日常に埋没するのでもない、そのあいだを常に行ったり来たりしていることが重要だと思うんですね。

その往復運動の流れというか通気性が悪くなると、行きっぱなしの人たちで例えばオウム真理教みたいな事件が起きることもあるし、垣間見えたものをどんどん忘れてしまえば、気が枯れて社会が汚れ、出口の無い閉塞空間に落ち込んでしまうと思います。

B:先生は仏教に深く係わり、宗派を超えて若手僧侶が集う場所「ボーズ・ビー・アンビシャス」の塾長も務めていらっしゃいます。まだ時間があまり経っていませんが、今回の地震に関連して、仏教界の動きについてお話いただきたいのですが。

そのお話をするためには、まず、今の日本仏教界の負の側面を自覚しないといけません。仏教界の組織自体というのがどの宗派も官僚的なんですね。こういう何かが起こった際に、即応できる組織を持っていない。すごくお役所的で、中にいる人たちも、リスクを取りません。大変遅れていると思います、仏教界は。それでも例えば一部のお寺では最初から「私たちの被災してないお寺を皆さんの一時避難所にします」と言って、東北以外のお寺をリストアップしてプレスリリースを出したりとか、そういうことをいち早くやっています。私もまだ詳しい動きを把握しているわけではありませんが、見ていて、震災前からハンセン病問題やホームレス支援、あるいは海外への支援とか、そういう活動に普段から取り組んでいるお寺や僧侶たちは、やはり動きが早いですね。ただこれらの人たちは「社会派」というか、仏教界ではあきらかに異端です。少し語弊がある言い方かもしれませんが、震災とはまったく別問題で機能してきた彼らのネットワークが、そのまま3月11日以降の被災支援アクションの場になっていると言ったらいいかもしれません。

B:あえて意地悪な質問をさせていただくと、福島で原発事故が起きました。その原因は直接にはもちろん地震と津波にあるわけですが、背景にはやはり、原発というものが成立してきた利権構造と、そこに絡む官僚構造、それらが支配してしまっているこの日本、という図式があると仮定すると、そうした利権なり官僚というワードで見たときに、もしかしたら仏教の世界も同じではないか? だったらそんなものが本当に良い方向に進んでいるのか? あるいは改革なんてできるのか? と思ってしまうのですが。

いやまったく、おっしゃるとおりです。仏教界のその既得権益を守ろうとか、あと宗門の官僚制っていうのは、原発を生み出したものと五十歩百歩、いやもっとひどいかもしれません。未来に対するヴィジョンを持っていないんです、仏教界が。だって、ご高齢のご住職に聞くとたいてい、「まあ、オレの代までは大丈夫じゃない?」って言うんですよ(笑)。

B:そこも原発と似てますね(笑)。

そっくりですね(笑)。さて、建設的な話をしましょうか。仏教の中心には「縁起」という言葉がありますよね。縁起が良い・悪いという言い方で定着しているけども、これはご存知のように、「すべてのものは関係性の中にある」という教えです。

諸行無常、色即是空、空即是色の空ですよね。つまりすべての物は実在しているが、ひとつの単独のものが、実在しているものではなくて、他のものとの関係性の中において実在している、ということです。

ここにあるペットボトルもどこかの水を誰かが採取し、工場で誰かがつめて、誰かの手で運送され、そして皆さんが今日持ってきてくださって、私の目の前にあると、そういう関係性がその中にあります。水だって、海にあったものが水蒸気になって、やがて雲になり、山に降りそそいで川となり……という、無限の関係性の中にあるわけです。

日本仏教は、そういう原理的な関係性を説いて、だから今おまえはこうなっているとか、ご先祖様を大切にしなくちゃいけないとか、そういうことを盛んに言ってきました。報恩感謝ですよね。先人に感謝して生きなさいと。そのことはもちろん正しくて、先祖を敬う気持ちはとても大切ですが、日本仏教は、「だから、どんなことがあっても耐えなさい」と来るわけです。ご先祖様に感謝して、この現世ではおまえはとにかく耐えるんだと。もちろん耐える努力は必要なんですけど、いわば日本仏教は、後ろ側の縁起は説くけど、前に向かう縁起は説かないんですね。

縁起をいただいているということは、「私」というのは過去からのエネルギーをいただいて未来につないでいくという結節点に位置する存在なわけで、この「私」もご先祖様になった時に、子子孫孫にどのような日本を残してゆくのか、どのような社会を残していくのかという責任を負っている主体であるわけなんですよ。ですから、単に「我慢しなさい」だけでは日本独特の同調圧力にしかならなくて、人の目がこれだけはりめぐらされているところで我慢しなさいってことは、結局何があっても、事あげしないで、意義申し立てをしないで、ニコニコしてなさいってことになってしまう。「何もするな」ってことになってしまいますね。

本当は、ご先祖様がこれだけやってきてくれたんだから、あんたがここで今、なにか社会で不正があったら、そのことに関しては「駄目じゃないか」と言い、子孫たちが苦しむような社会システムになっていきそうなんだったら、それを「おかしいよ」と声をあげることがご先祖様の名誉に報いることだと、そうやって前側の縁起を説くべきなんですね。それをやらないところが、日本仏教のものすごく、弱い所だと思います。

B:萎縮してしまっているというか、前向きではない。

そうですね。江戸時代以降、お寺がお上の出張所みたいになってしまって、民を管理する役目のようになってしまいました。鎌倉仏教や室町時代なんか見ると、一向一揆で幕府に反旗を翻したり、踊り念仏で皆踊っちゃったりして、なかなか過激で楽しい(笑)。ダライ・ラマは、ある時、「あなたはどうしていつもそんなにニコニコしていられるんですか? チベットでは120万人も殺されて、あなたも50年もチベットに帰れない。そんな状況で、どうしていつもポジティブでいられるんですか?」と聞かれてこう答えています。仏教の教えの「縁起」ということで言えば、チベットの世界も、かつては非常に閉じた世界だったと。だから中国からああいう形で占領されてしまったわけで、それは確かに不幸なことだったけれど、それで外の世界に飛び出して、多くの人々と会うことになった。だから今まで会ったことのない人たちと出会うことは、縁起的存在からすれば、世界が未来に向かってより良くなるための種を撒くことなんだと。今日はあなたに会って良かった、また新しい種を撒くことができた、そうして種を撒くことが、良い結果につながっていくことを自分は確信していると、そう答えたんですね。

B:先生はダライ・ラマと対談されていますね。

はい、対談を読んでいただければ分かると思いますが(『ダライ・ラマとの対話』講談社文庫)、あんなに魂の自由な方はちょっといませんね。頭もむちゃくちゃいいし、ユーモアのセンスもすごい。ダライ・ラマは去年、来日した時に、日本で引きこもりが非常に多いと聞いて心を痛め、こう言ったんです。「私からいいアドバイスがあります。皆さん、英語を勉強なさい。」って。皆、最初はポカーンとしてました(笑)。ダライ・ラマの日本に対するイメージって、この狭い国土で、人々が肩と肩をぶつけあうようにして生きている感じなんですって。そんな所にいたら、ちぢこまっちゃうのは当たり前じゃないですか。人の顔色ばっかり見て、周りの人のことばかり気にしている所に一生住んでいたら、そりゃ気分も沈みますよと。だったら英語ができるようになって、外に行って、何か自分がやったことが世界を幸せにすることができるんだって、どんな小さなことでもみつけたら、ものすごく自信になるよと。ああ生きていてよかったなと思うし、じゃあ次にはもうちょっと大きなことをやって世界を幸せにしようと、ちょっとずつ自分が実践していくことによって、大きな自信につながっていくんだと、そういうことを言いました。

それからある女の子が「私はもうぜんぜん自分に自信がなくて、生きていてもしょうがないと思う」と言ったら、
「でも、君は楽しい時もあるでしょ?」
「はい」
「どんな時が楽しいんですか?」
「友達と一緒にいたら、楽しいです」
ってなって、
「その友達はなんて言いますか?」
「あなたと一緒にいると楽しいね、あなたは、そういう時はちょっと気持ちがいいでしょ。生きていてよかったなって思うでしょ。そういう時間を増やしなさい。そうしたらあなたは自分が信頼に足るもので、自分には全然無いのではなくて、その友達といるときは在るんです。そういう時間を増やしていくことによって、自信というのは、ひとつずつ付いていくよ」
って言ったんですね。なかなかの正論ですよね。

B:すごくわかりやすて実践的なアドバイスですね。

でしょう? ダライ・ラマって、すごくプラクティカルな人なんです。日本の仏教者だったら、そこで静かに瞑想して、その煩悩に気づいて……とか言うわけですよね(笑)。それを、あなたは自己信頼を置いている場を持っていないわけではない。だったら、そういう所を増やしていく。あなたと一緒にいて、嬉しいわ、という友達がいるなら、別の所にいっても、そういう友達をつくってみる。何かをやってみる。少しずつ少しずつ、増えていくのであって、最初から、明日起きたら、世界が変わっているということはありません。そりゃそうだよね。だけどね、我々はわりと一発主義なんで、一気に目が覚めて、そこで覚醒して、目覚めましたというやつに弱いんですよね。この同調社会で、すべての人が悔い改めて、明日からいきいき生きましょう!ってなるのを思い浮かべるんですけれども、『覚醒のネットワーク』の時なんかは、そのイメージの方でいってますから、ほんとに、その世界をねらってってるわけですよ。こういう世界が絶対くる!って。みんながオープンになって、ハートフルで、すべての人がつながりあって、イマジン歌おうよ!みたいな(笑)。50過ぎてきて、そうそういかねえなって(笑)。そういう世界は、まったきものとしては実現しない。でもより大きな、闘志が湧いてくる。よりベターなものをつくる、よりちょっとでも良いものをつくっていって、子どもたちにバトンタッチをするということに燃えあがれるようになりますよね。20代くらいは、その高き理想が本当に実現して、それにいくんだ!とならないと燃えないんだよね(笑)。ちょっと良い世界をつくりましょうなんて、なんだよお前!って。ちょっと良い世界くらいで、僕の一生は終われません!みたいなね(笑)。

B:最初のご著書『覚醒のネットワーク』のお話が出ましたが、その中に「地球大のシャーマニズム」という言葉が出てきます。シャーマニズムというのは普通はある特定の村だとか、地域の中での先祖からの風習とか、そういう性質のものだと思いますが、そのシャーマニズムを地球規模で考えるということが、いまとても大切なことのような気がするんです。

見えないものを見えるようにするっていう感覚がシャーマニズムですよね。そういう意味からすると、まずは、地球上で見えている部分というのは非常に少ないので、普段自分に見えていない部分への感性というものを、どう磨いてゆくかっていうことがあるんじゃないかと思います。エコロジーなんていうのも見えない部分がありますよね。地球の裏側で熱帯雨林がどういう風にはがれているかってのは、非常に見えない部分があるけれども、一度、見てしまう。地球の飢饉や飢餓、あるいは、内戦なども日本にいたら見えない部分ですけど、そういうものも見ていこうとする努力がまず必要だと思います。その中で、普段そのことについて発言していない人の声を聞いたりとか、代弁者になったりとか、そういうような事が重要なんじゃないかと。つまり今の私たちの表層としての閉じられた世界というのが、いかに限定された所であって、そこの向こう側には、まさに、厚い殻で覆われてしまっているような部分の向こう側には、我々が知らない世界が確実にあるんだ、ということですよね。

今、環境問題であったりとか戦争とかネガテイブな方を言いましたけども、一方では、ものすごく我々を活性化させてくれるようなことを、我々が知らない、ということだってあるんですよね。人と人のつながりであったり、普段はまるで意識していない伝統的なものであったり、あるいは伝統的ではないけれどすごくアヴァンギャルドなものが未来を開いてくれることもある。閉じ込められたシステムから一歩踏み出していって、世界で今起こっていることに、つながっていくということが重要で、そういう意味では、世界的な意識みたいなのを持つということがすごく重要なんじゃないかと思いますね。

B:2500年前にヨーロッパではソクラテス、インドでは仏陀、中国では孔子が出てきて、それぞれの地域ではその思想がとても強い影響を与えましたが、その頃はまだ互いの交流があまり進まなかった。今後は、地球規模で人々は個を超えて互いに影響しあいながら、共通の意識をもてるような時代がくるのかもしれないですね。

やっぱり地球の中で、どこの問題に関わるっていうのはご縁の問題なので、家族とかコミュニティとか私たちの日常の関係性の中において実在する、そこからグローバルでユニバーサルなものが後から出てくるんじゃないのかなと思います。

B:話は変わりますが、お子さんが生まれて、3人のお父様になられました。世の中には親子のあいだでまったく対話が無いとか、意思の疎通ができないとか、苦しんでいる人がたくさんいます。お子さんが生まれて以降、考えが変わったこと、深まったこと、未来に向けて意識することはおありですか?

最近ますます強く思うのは、自分はただ生きているわけじゃなくて、仲間と生きている、という意識が絶対に必要だということですね。うちは共稼ぎですから保育園を利用していますが、保育園って朝から晩まで、一緒にいる時間がすごく長いんです。とにかく仲間と一緒に生きていて、コミュニティの中で僕は生きているんだっていう感覚さえ土台として身についていれば、その後、人生どんなに葛藤があって、どんなに悩んでも、「あ、仲間がいるんだな」ということで帰ってくるところがあるんだと思えれば、ずいぶん違うと思うんです。

だから小さいうちから親子の関係だけにしちゃうとか、まわりを見れば自分を蹴り落とそうと思っている競争仲間ばっかりで、みんなおまえの失敗を待ってるんだぜ、という世界観で子どもを育ててしまうと、後で人生に挫折があったりとか、悩んだ時に、本当に行く場所がなくてポッキリ折れちゃうんですね。

だから仲間だったり、あとはそこらへんで遊んでいる感覚、ここらへんが自分のホームグランドなんだなっていう、その故郷みたいなものね――この東京であってもね――そういう「帰れる場所」が形作られることは、とっても重要なんじゃないかなっていう風に思うようになりました。

B:最後に、震災から復興していくにあたって――もちろん単純な「復興」なんてないと思いますが――まず、この日本の何から手をつけていかなければいけないのでしょうか? その点についてお聞かせください。

震災の復興っていうけど復興というのは震災前の世の中に戻ることじゃないから、もう戻れない。新たなヴィジョンで、ここで一歩進むっていう所に行くということを、みんながイメージしていかなきゃいけないですね。

今、怒りについての本を用意しているのですが(『慈悲からの怒り―震災後を生きる心のマネジメント』朝日新聞出版、6月18日刊)、精神世界というものにまぁ僕も非常にどっぷり浸かっていたけれども、そこでの怒りの獲得の仕方っていうのは、やっぱり本当に難しかった。

ダライ・ラマは「慈悲からの怒り」ということを相当言っています。慈悲があればこそ怒るのであると。だけど怒りは、人に向かうのではなくて、その行為に向ってなんだ、ということですね。あるいはなんでその人がその行為をしてしまったのかという、その縁起に向って言うのであると。だから原発の問題にしろ何にしろ、もし人々の苦しみがあるなら、その苦しみを救うために今のシステムを変えなければいけないという、強い意志を持つ必要があります。そこは100%、怒りの声を上げるべきところなんです。

世界各地のメディアが避難所での日本人の規律正しい生活と忍耐の生活を見て、非常に感動していると報じられていますね。確かに日本人は自分に先立って状況が与えられていたら、その状況がどんなに苦しいものであっても、耐える。みんなで一緒に耐える。自分だけがわがままを言わないで、自分をちゃんと律して、それに耐えるという、とてつもない才能があって、それは美点でもある。一方、自分で状況を作ることができないんですね。次の新しいヴィジョンのもとで状況を次に設定するということが、みんなすごく苦手です。

僕はガンジーはやっぱり、すごく怒っていた人だったと思うんです。ただその憤りをルサンチマンに劣化させることなく、システムを変えるための健全な怒りとしてキチンと声を上げていく。今、まず日本人に必要なのは、いつまでも怒らぬ日本人を脱却すること。健全な怒りの声を勇気を持ってぶつけていく姿勢がなければ、ほんとにこの社会は腐ってしまう。そんな危機感を共有することだと思います。

B:そうですね、健全な怒りの感情も含めて、意識を共有化することが大切だと思います。ご執筆中の、「怒り」についての書籍を楽しみにしています。
本日はどうも、ありがとうございました。


上田紀行(うえだのりゆき)

1958年東京生まれ。文化人類学者。医学博士。東京工業大学副学長。
東京大学大学院文化人類学専攻博士課程修了。愛媛大学助教授を経て、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻准教授、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。国際日本文化センター助教授、東京大学助教授を併任。2005年には渡米し、スタンフォード大学仏教学研究所フェローとして「仏教は現代的問いに答え得るか」と題した講義を行う。
1986年よりスリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い文化人類学の観点から「癒し」を研究。日本での「癒し」における先駆者とも言われ仏教や癒しに関する著作や講演など精力的に活動する。著書に『覚醒のネットワーク』『スリランカの悪魔祓い』『目覚めよ仏教!』『生きる意味』など多数。

■東京工業大学 上田紀行HP
http://uedanoriyuki.com/index.html


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