レイチェル・ルイス・カーソン
アメリカ生まれ。海洋生物学者。作家。『沈黙の春』は環境保護運動の始まりとなった。
この惑星を支配するものは、
マントのようにそれをおおう海洋だということ、さらに大陸は、
めぐる海の表面の上のほんの一時の宿を借りている土地にすぎないという真理を、人は知るのである。
– レイチェル・ルイス・カーソン -『われらをめぐる海』より
人間が築いてきたシステムが変容を迎える時、はじまりは小さな波のように静かに起こる。物質文明と自然環境との危うい関係に人々の目を向けたのはレイチェル・カーソンという、一人の女性の静かな決意だった。
1907年、アメリカのペンシルバニア州スプリングデールで農場を営む父、教師の経験を持つ母の元に彼女は、生まれた。豊かな家庭ではなかったが周りには森や野原が広がっており、彼女は幼い頃から自然界の神秘と美しさに魅せられた。どちらかというと孤独な子供だった彼女は一日の大半を森や小川のほとりで過ごした。
読書が大好きだった彼女は作家になることを夢見、10歳の時には、子供向け雑誌に物語を投稿し銀賞に輝いた。
社会的な成功への願望よりも知的な野心と自身に対する価値観を大切にするようにと教えてくれたのは、彼女の母だった。
ペンシルヴァニア女子大学に入学してからも、執筆に対する情熱は増して学生新聞の部員になった。作家になるために英文学を専攻するつもりだったが教養課程として学んだ生物学に、すっかり魅せられてしまう。作家と科学者という二つの選択肢に迷いながら、しかし最終的に彼女は専攻を動物学に変えた。そして職業作家になる夢は途絶えたと信じ込んでいた。
1928年、21歳で彼女は動物学の修士課程をとるためにジョンズ・ホプキンス大学に進学、その夏期研修中、ウッズホール海洋生物研究所で海と運命的な出会いを果たす。
やがて父親が死去し、家族を養わなくてはならなくなった彼女は、連邦漁業局の公務員として就職することにした。政府広報物に自然保護地域のレポートを書く仕事をする中で、ある時、海を題材にした放送番組の制作を命じられる。彼女は仕事に取りかかったが、できあがった原稿は漁業局のための放送としては不向きなものだった。しかし上司はアトランティック誌に投稿することを奨めてくれた。
アトランティック誌は彼女の原稿を採用。この出来事が彼女の運命を大きく変えていく。その文章の力に目を留めた編集者クインシイ・ホウから、一通の手紙が届いたのだ。それは彼女に本を書く気があるかどうかを問うものだった。一旦は作家になる道を諦めた彼女にとって、それは科学者と作家という二つの夢が出会う瞬間だった。
こうして1941年、34歳の時、『潮風の下で』が出版された。役所の仕事をこなしながら家族を養い、それでも時間をみつけて執筆する、という彼女の努力は10年の後に報われた。『われらをめぐる海』がベストセラーになったのだ。「海の作家」として才能が認められ、ようやく文筆業に専念できるようになる。
メイン州のシープスコット湾を望む地の、こじんまりした平屋。彼女は甥のロジャーと共に大好きな場所を歩きまわる。その幸せな体験は、『センス・オブ・ワンダー』という瑞々しい本を生み出した。
しかし最後に大きな転機がやってくる。自然の美しさを学び尊ぶ作家という豊かなポジションから、彼女は降りる決意をした。それは『沈黙の春』の執筆だった。化学物質がもたらす環境破壊の脅威を告発するこの書は、世界中に大きな論争を巻き起こした。それは、人々のこれまでの価値観を根底から覆すものだった。これによって彼女の平穏な日々は砕け散る。
その後の彼女の晩年は厳しいものだったが、病魔と戦い自らの起こした論争を、静かに、しかし毅然と受け止めた。
1964年、カーソンは56歳の生涯を終えた。静けさと勇気は同時に存在することができる。そんな生き方を、彼女は私達に教えてくれた。
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