Meeting with Remarkable People #15

野口三千三

1914-1998

群馬県生まれ。東京芸術大学教授。独自の人間観と実技に基づく革命的な運動方法である、「野口体操」を創り、演劇・美術・音楽など、幅広い分野で活躍した。

「生きている人間のからだ、それは皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ」
『原初生命体としての人間』より

野口三千三氏写真1
写真:佐治嘉隆

近年、日本オリジナルの身体論が再注目されている。気功やヨガなどの東洋体育、西洋のボディワークを体験した後、私たちはもう一度、初心にかえろうとしているのかもしれない。日本の身体論と言えば、二人の「野口」の名前があがる。一人は「野口整体」の創始者、野口晴哉。そしてもう一人が「野口体操」の創始者、野口三千三である。混同されやすいこの二人だが、それぞれ独自の道を歩んでいる。今回は、野口三千三に焦点を当ててみたい。

1914年、群馬の養蚕農家に三男として生まれる。三千三(みちぞう)という名は、芝居好きの祖父から「三千世界に子を持った親の心は皆一つ」という浄瑠璃「先代萩」にちなみつけられた。養蚕農家は、蚕が生活の大事な中心である。この頃から、ものいわぬ蚕や山などの自然に伺い、「きく」という感覚、美意識が育った。

20歳で群馬師範学校を卒業、二年後高崎市立尋常小学校に赴任。その後60年続くことになる教師生活の幕開けである。生徒とは8歳の差、軍国主義の広がる教育制度の中においても、先生というよりは兄のような親しみやすい人物だったようだ。彼は独学で解剖学の専門書を何冊も暗記し、その理論を自分の身体の実感で確かめていった。しかし、死体解剖を基礎とした体操理論は、実感で得た現実の身体の動きと矛盾することに気づく。

小学校の教員課程を終え、群馬高等師範学校に入学、検定試験に一番の成績で合格する。1944年30歳の時、官位の東京体育専門学校(後の東京教育大学体育学部)の助教授となる。

翌年、太平洋戦争の敗戦を迎える。戦時中の強い兵士作りを目指す体操観が、この敗戦で崩壊。
焼け野原となった東京に残ったのは、「大地=自然」。その最も身近なものである「からだ」こそが、唯一信用できるものであると彼は感じた。そして彼がまず取り組んだのが、サーカスと舞踊の研究。江口隆哉・宮操子の舞台にひどく感激し弟子入りをする。その時の兄弟子は大野一雄だった。
1949年35歳の時、舞踊研究がきっかけとなり、新制大学として発足した国立の東京芸術大学に助教授として迎えられる。

「体液のつまった皮袋に内蔵、骨、脳などが浮かんでいる、人間は液体でできた袋」だといった野口三千三。「より早く・より高く」という理念からは遠い彼の体操は異端視もされたが、共感する生徒は、単位に関係なく熱心に野口の授業を受けるようになる。このころから学生の間では「こんにゃく体操」などと呼ばれ、後に「野口さんが教えるいい体操」=「野口体操」と呼ばれるようになったらしい。野口三千三の名前は、演劇界のみならず、次第に哲学者や教育者からも注目され、広まっていった。

後に、新宿のカルチャースクールで野口体操教室を始める。「言葉にならないところに体操の本質がある」という彼は、決まって授業の始まる1時間前に来て板書を始めた。リズミカルに書いている間に徐々に生徒が集まって、身体をほぐし始める。そんな教室の風景は笑いの絶えないものだった。


写真:佐治嘉隆

1998年、肺炎で入院する2日前まで教室の指導に通った。「使命感・悲壮感のない遺言としての授業」と自ら称し、授業に命をかけていた。医師に過ぎた延命を遠慮し、自然のままにしておいて欲しいと語った2週間後の3月29日、安らかな最期を迎えた。


Related Books

原初生命体としての人間
岩波書店
1040円+税

「生きている人間のからだは、皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ」という独特の身体観を持つ著者。自らの体の動きの実感から生み出された理論を述べる本書は、従来の身体観とはまったく違う視点を持っている。彼が考え出した体操は、基本的に体が気持ちいいと感じる方に動かしてゆくものだ。筋肉に負荷を与えて無理に鍛えるのではなく、ただただ体の感覚に身をまかせという発想がおもしろい。そうしていくうちに、自然に体が育ち、人が言葉や頭で理解しようとしがちな物事を、体全体をつかって感じてみたり理解してゆくことが可能になる。体を受けとめることを始点とし、自分の中から生まれたイメージを用いて体を整えていく。体は知性や精神とも深くつながっており、体が整っていかない限り、その先にも中々進めないものだ。それまでの体操論に新しい視点をもたらした「からだの動きの実感を手がかり」に生み出された独創的な身体論。

野口体操 からだに貞く
春秋社
1800円+税

「野口体操」に行き着くまでの歩み、思想と実践の基礎を、創始者自身がやさしく説いた名著。からだという自然が教えてくれる自由な動きを敏感に感じとれる感受性を育て、生きものとしての瑞々しさを取り戻していくための一冊。

野口体操 ことばに貞く
春秋社
1600+税

再注目されている野口体操の創始者、野口三千三氏の言葉を集めた語録。斬新な身体観と人間観にもとづく野口三千三の教えの中から、特に重要なことばを選び出し、懇切丁寧な解説を加えている。野口体操のエッセンスを知るための入門書としても、適している。

DVDブック アーカイブス野口体操
春秋社
2900円+税

1978年、カルチャースクールに「野口体操」と銘打った講座が開かれた。その体操は目的や効能を追わず、身体の動きの実感を手がかりに、自分とは何か、人間とは何か、自然とは何か、そして自分自身のあり方、生き方や行動の仕方を探究する行為そのものであった。本作は解剖学者の養老孟司氏との対談と、野口氏とアシスタントの羽鳥操氏による実技をDVDに収録。文章ではなく、連続した動きを実際に見ることができる。「チカラを抜く」ことを失いかけた身体を持つ人が初めてみると、その動きには異質なものを感じるかもしれない。この体操には決まった基準や型がないために固定化した映像を残すことについて、野口氏と話し合いが幾度も行われたという。野口三千三氏の独創的な身体観に触れることができるアーカイブス。

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