植芝盛平
和歌山県生まれ。幼少の頃から、武術各流を遍歴して、大東流柔術の免許を得る。大正の終わりになって、合気武道の道場を開設する。海軍大学などでも指導に当たる。
私は人間を相手にしていないのです。では誰れを相手にしているのか、強いていえば神さまを相手にしているのです。人間を相手にしてつまらぬことをしたり言ったりするから、この世はうまく行かないのです。いい者も悪い者も世界和合の家族です。すべての執着をたち、善悪という相対的なものを問題にせず、宇宙建国完成へのご奉公に皆はぐくみ育ててゆく生成化育の道を守ってくのが合気道なのであります。
– 植芝盛平 -『武産合気』より
日本の武道は、世界でも注目度の高い、「Artist Way」だ。その中でも、気・心・体を一つとして捉えた合気道は、独自の輝きを放っていると言えるだろう。合気道の開祖、植芝盛平とは、どんな人物だったのか? 彼の一生を追ってみたい。
1883年、和歌山県田辺市に生まれる。父である与六は、漁業および材木商にたずさわる名士であった。小柄で、体も気も弱かった盛平は、英雄伝説や数学、物理の本を好む読書好きの子どもだった。7歳頃から近くの私塾で四書五経の手ほどきを受け、真言密教の鎮魂法や弘法大師の奇跡説話に関心を抱く。また、父の勧めもあって、相撲や水泳で身体を鍛えた。
1901年、18才で田辺税務署に就職。しかし漁民の生活苦を見聞きし、生っ粋の義侠心から漁業法改正の反対運動に参加、税務署を辞した。この「磯事件」による退職から心機一転、商人になるべく単身東京へ上京。「植芝商会」という文房具店で独立するが、その頃から、古流武術や剣術を習い歩くようになる。
20才で徴兵検査を受けるが、背丈で不合格。強さに憧れを抱く盛平は、本格的に身体を鍛え始める。その年の年末には入隊、日露戦争に従軍する。この間、銃剣術は連隊一となったそうだ。その後、農業を助けるために田辺にもどった盛平は、博物学者、南方熊楠と出会い、その思想に多大な影響を受けた。
1912年、開拓移民として北海道へ。8年間の辛苦の末、開拓を軌道に乗せ、村会議員にまでなった。しかし、父危篤の報を受け、北海道を後にする。その帰路、出口王仁三郎という鎮魂帰神の大人物がいると聞き、父の病気平癒祈願のために京都綾部に立ち寄る。王仁三郎は、盛平の来訪を予言したという。数日で王仁三郎から「鎮魂帰神法」や言霊の講議を受けた盛平。この出会いは彼の何かを大きく揺さぶった。そして父の死後、一家で綾部の大本教団へ移住を決めた。「神人合一の武道を作りなさい」という王仁三郎の命により、教団内に植芝塾を開設。1922年、39歳の時、気・心・体がひとつになった「合気武術」を誕生させた。
41歳の時、王仁三郎に従い満州に渡る。再三にわたる死線の体験を通じて、何度も直感を得た盛平。帰国してからの彼は、五感が澄みわたり、その武術も神を得たようだったという。
ある日のこと、剣道教士の海軍士官を相手にした時、相手の太刀筋がいち早く見極められ、戦わずして勝つ理を得た。その直後、井戸端で行水中、突然全心身が澄み切り、同時に天地より降り注ぐ黄金の気につつまれた。そして、自分自身もまた黄金体と化したかのような感応を覚える。この宇宙と一体となる神秘体験が、「真の武とは万有愛護の道なり」の理念となり、「気の妙用」の機微をつかむ、独自の道につながった。
植芝盛平という武道家の噂は、日本中に広まった。多くの軍人や武道家が、その門を叩き、彼に教えを請うた。やがて、王仁三郎の奨めもあって、大本教から離れ、武道家として独立。支援者によって東京に道場を開く。1942年には正式に「合気道」と命名。その後も武農一如の理想に基づき、茨城県岩間町に修練場と合気神社を合わせもつ合気苑を建設し、合気道の神髄を究めた。やがて合気道の教えは、彼の信念のもと、国内だけでなく、世界中に広まっていった。
1969年、鏡開きでの演舞を最後に、肝臓ガンのため入院、86歳の生涯を終えた。
生前に記録された映像には、小柄な盛平が、幾人もの相手を「気」だけで、ふわりふわりと倒していく様子が映っている。相対する者を、「敵」として対抗するのではなく、気を合わせて、「和」へと変容する独自の武道は、世界にも類がない。彼の残した「武産合気」の叡智は、先行きが見えない混迷の時代である今こそ、未来への指針を指し示しているのではないだろうか?
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