カール・グスタフ・ユング
スイスの心理学者・精神医学者。
研究対象は、民俗学、宗教、神話、錬金術、占星術、文学と多岐に渡っている。
元型論や夢を活用する理論は、後世に大きな影響を残した。
われわれの知る限りにおいては、人間存在の唯一の目的は、たんなる存在の闇に光をともすことにある。
– カール・グスタフ・ユング -『ユング自伝』より
20世紀に大きな発展をとげた「ユング心理学」は、時代や国を超えて、心のありように悩む人々に希望を与え続けている。ユングの研究対象は心理学に留まらず、民俗学、宗教、神話、錬金術、占星術、 文学と多岐に渡っている。これら様々な対象は、彼にとって幾重にも交じり合った、「心の象徴」であったのだろう。その類い希な思想の源泉、ユングの生涯に迫ってみよう。
1875年、スイスに牧師の息子として生まれる。 親戚のほとんどが牧師や神学者という、キリスト教職者一家であったことが人格形成に大きな影響を与えた。母の霊的な感性、医師として有名な祖父の威厳、その両方を継いだ彼は、時に内向的で、時に大胆不敵だった。学校という集団生活の中では居場所が作れなかったが、自分が興味を示したもの、とりわけ神や信仰についてや自然との対話においては毅然とした態度を崩さなかった。彼自身によって書き綴られた『ユング自伝』には、その後の探求の核となる幼少期の内面世界が描き出され非常に興味深いものとなっている。
20歳で大学進学予備校であるギムナジウムを卒業後、バーゼル大学に進学。 理科と文科の両方が学べるという理由から医学部を専攻した。入学した翌年に父が他界。財産は皆無に等しかったためユングは母と妹の生活費や大学の費用などを稼ぐ必要があった。そんな逆境を乗り越え、精力的に研究活動は続けられた。青年時代、降霊会などにも熱中していたユングは、この時期、心霊現象や超心理学現象に強い関心を示した。医学部で専門に分かれる際、彼は選択に迷ったが、彼の背中を押したのは精神の病を「人間の病」と表現したクラフト・エビングの言葉だった。この選択はユングにとって人生の大きな分岐点だった。
25歳で大学を卒業後、チューリヒ大学の精神科で、精神分裂病研究で著名なブロイラーの助手となり、これが分裂病をベースに理論を組み立てる原点となった。また、ヒステリーの研究で有名なジャネのもとでも学んだ。実験者が刺激語と呼ばれる、ある単語を言い、被験者が反応語と呼ばれる最初に頭に浮かんだ単語を言う潜在意識を分析するための「言語連想法」の実験を成功させると彼の名声は高まった。
ユングにとってフロイトの『夢判断』との出会いは衝撃的だった。興奮が覚めやらぬまま、1907年に彼はフロイトを訪ねた。第一印象から彼らは互いを父と息子のように感じたという。両者は協調して精神分析学を広める誓いを交わすことになった。フロイトのもとで頭角を表した彼は、国際精神分析学会の会長に就任。「精神分析界のプリンス」とも呼ばれたようだ。
しかしユングは独自の路線を歩むことを選択する。37歳で『リビドーの変容と象徴』のなかで、フロイトがリビドーを性的なものとみなしたのに対し、 ユングは一般的な心的エネルギーであると主張した。これにより、両者の考えの相違が判明し論争を重ねた末に訣別。心の調和が乱れた彼は、その後の16年間、方向喪失感に襲われた。彼の机の引き出しには拳銃が用意されていたと言う。
44歳、ユングは精神病者の幻覚や妄想が、神話や伝説などと共通のパターンで成り立っていることに気づく。このことから、心の世界には「個人的無意識」と「普遍的無意識」という2つの層があり、 人類共通の「元型(アーキタイプ)」が存在するという考えを提唱した。
1920年代に入ると、キリスト教と自然科学を相対化する研究を行うようになり、 1933年に、各界の学者たちと共に「エラノス会議」を設立。 ヨーロッパ史の表面には現れなかった秘教的伝統を研究した。 彼は「タオ」の思想にも影響され、易経や禅、密教のマンダラなどの紹介にも努めた。
彼が創始した学説は「分析心理学」と呼ばれ、多方面の人文科学に多大な影響を及ぼしている。
様々な研究者が彼の理論をベースに取り入れ、それぞれに発展させていった。心と世界の関係性を柔らかい感性と鋭利な視点で光のもとに導き出した彼の業績は未来に向けて、いつまでも輝き続けるだろう。
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