ヒルデガルト・フォン・ビンゲン
ドイツ生まれの修道女。ビンゲンに修道院を建て、自然科学的知識を用いて人々の心、身体、魂を治療。神の啓示を受け口述を始め「聖女」と呼ばれる。グレゴリオ聖歌の音調に基づいた、典礼音楽の作詞作曲も行った。
そのはじめ、神の聖霊は水のあるところすべてに在らしめられた。水は陸地に溢れていた。水は揺らめくことなくとどまっていたが、聖霊の息吹きにより水は流れ出した。この水は陸地に隈無く流れ込み、地割れが起こらぬように陸地を潤したのである。
– ヒルデガルト・フォン・ビンゲン -『聖ヒルデガルトの医学と自然学』より
1970年代、一躍、脚光を浴びた中世の修道女がいる。その名を、ビンゲンの聖ヒルデガルト。幻視者であった彼女は、作曲家であると同時に自然学や医療について多くの著作を遺した。彼女が伝えた薬草の治癒力は高く評価されていたにも関わらず、その活躍は歴史に埋もれてしまっていた。それが、およそ800年の年月を経て再評価されたのだ。女性であり聖職者でありながら、政治へも関与していた中世ヨーロッパの賢女。彼女の遺した作品が、現在も重要な意味を持ち続けているのはいったい何故なのか?
1098年、神聖ローマ帝国のドイツ王国、ライン河畔のベルマースハイムの貴族の家に第10子として生まれた。幼い頃から病弱でありながら、超自然的な能力を示していたという。両親は彼女が8歳になるとベネディクト会修道院に預けることを選択した。
1115年、17歳で正式な修道女となる。その修道院には農園、薬草園、施療施設、宿泊所があり、貧者救済のための施療行為を行っていた。大きな転機は40歳になって訪れる。「汝が見聞きしたことを述べ記せ」という天啓を受けたのだ。それまで自分の特異な神秘体験については口を閉ざしていたが、この啓示が彼女を変えた。
ヒルデガルトの口述によって執筆が開始された『Scivias (スキヴィアス、道を知れ)』は宗教界に大きな波紋を呼んだ。当時の中世ヨーロッパにおけるキリスト教は、男性中心で主流派は強大な力を誇っていたものの、聖職者の堕落、異端派の台頭など数々の問題を抱えていた。そこに神の啓示を得たという修道女が現れたのだ。彼女のビジョンは多くの人々に強い感銘を与え、教皇、国王、司教を始めとする様々な社会的階級の人々と交流するようになり、教皇エウゲニウス3世から『Scivias』の執筆許可と祝福を与えられる。また、赤ひげ王と呼ばれた神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世からの庇護も受ける。26の幻視を記述と挿絵によって記した『Scivias』は10年後に完成。続いて9章からなる『Physica(フィジカ、自然学)』を口述する。約500種類の植物、動物、鉱物が網羅されたこの本はホリスティック医学の古典として名高い。
また、ヒルデガルトは音楽にもその天賦の才を発揮し、公式な礼拝曲である典礼音楽の制作にも取り掛かり、自ら作詞、作曲をした印象的な旋律に富んだ聖歌77曲を遺した。当時、聖職者で作詞をする人間は少なくなかったが、一般的に曲作りは職業的な作曲家に任せられていた。まとまった曲が遺っている最古の女性作曲家と言われるヒルデガルトは、そういった意味でも殊に際立った存在であったのである。
彼女の音楽はすべてが単旋律で書かれているが、音域が普通の聖歌より広く、旋律が変化に富んでいることから奔放で幻想的な印象を受ける。インスピレーション、感性、植物や動物についての深い知識、日々行っていた癒しの行為、女性としての生き方、神への想い……。これら全ての要素が組み合わされて、彼女の音楽は生まれたのではないだろうか。現在では、代表的な曲として『エクスタシーの歌』や、『オルド・ヴィルトゥトゥム』がよく知られている。
53歳の時、ライン河畔ビンゲン近郊に独立した女子修道院を建立した。当時としては、驚異的な81歳という長寿を全うし、その生涯を閉じるまで精力的な活動を続けた。葡萄畑に囲まれた小高い丘の上にあるアイビンゲンの修道院は、20世紀になってから聖ヒルデガルトの名前を冠して再建され、彼女の遺骨はそこに眠っており現在でも礼拝できるという。
近年においても、ヒルデガルトの音楽は複数のミュージシャンを魅了し、多くの録音が試みられ、彼女を研究する書籍も多数出版されている。ヒルデガルトが自然と対話をしながら遺した叡智は私たちに様々なメッセージを伝えてくれる。
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