イエス
ユダヤ人として生まれ、数々の奇跡を起こし、救世主として民衆の信仰を集めた。
ゴルゴダの丘で処刑。彼の死後、世界宗教としてキリスト教が発展、数々の諸派を生んだ。
2013年、聖ペトロ広場に鐘が響きわたった。第266代教皇フランシスコの誕生である。日本人にとっては他国の出来事だが、キリスト教は総人口の3割を占める世界最大の宗教。その報せは世界を駆けめぐった。キリスト教の影響は世界の政治や文化に色濃く表れている。私達が当たり前のように使っている西暦もしかり。しかしその教祖、イエスの生涯となると度重なる聖書の改ざんによって神話化され、真実を知ることは難しい。
イエスの幼年期は、学術的にはまったく不明とされている。弟子達による福音書によると、北パレスチナのナザレの建設労働者のヨセフと、その妻マリアとの子として生れたことになっている。母マリアの処女懐胎、東方の三博士の礼拝などは後年、教会によって創作された伝説だと考えられている。
イエスはユダヤ人であったので幼少期にはユダヤ教を学んでいた。しかし、人々の前に姿を現し、数々の奇跡を起こし始めるまでの約10年間、彼がどこで何をしていたのかは未だ謎となっている。
ひとつのヒントとなりうるのは、1947年にクムランの洞窟から発見された『死海写本』だ。この古写本の中には原始キリスト教と呼ばれるエッセネ派の暮らしが描かれていた。記録されているのは紀元前125~後68年、ちょうどイエスの生涯と重なっている。イエスがクムランにいたかどうかは不明だが、当時のユダヤ~キリスト教徒の信仰生活をうかがい知ることができる。
イエスがガリラヤ湖畔で布教活動をしていたヨハネの前に現れたのは、33歳から34歳の頃。ヨハネはユダヤ教の改革を掲げていた人物だった。ユダヤ教では、この世の終わりに「救世主」が現れると伝えられている。ヨハネはイエスこそ救世主だと信じ、それを人々に広めたという。
その後イエスは荒れ野に行き、修行のため40日間の断食を行ったり、各地で教えを説きながら弟子たちを率いるなど自分が主体となった宗教活動を始める。
イエスが起こしたと言われる数々の奇跡、最後の晩餐、ユダの裏切りなどのストーリーはあまりにも有名なので、ここでは省略したい。イエスは自身の著作を残していないので、これらのエピソードは新約聖書によるものである。
イエスを死刑に処したのはユダヤ人だと思われがちだが実際の裁判はローマ人の提督ピラトによって行われた。当時イスラエルはローマ帝国によって占領されていた。ピラトは当初、イエスを軽微な処罰で済まそうとしたが、それに対して強い不満を表明したのがユダヤ教徒だ。イエスを死刑にしない限り、暴動が起きそうな気配にピラトは、政治的判断によりイエスに死刑判決を下したと聖書には記されている。
イエスが何を語ったかを知る上では20世紀にエジプトで発見された、もうひとつの写本、『ナグ・ハマディ文書』が参考になるかもしれない。これは3~4世紀頃のキリスト教の教えを記録している文書で、弟子のひとり「トマスによる福音書」が含まれている。正統のキリスト教からは外典として位置づけられているが、ここで語られる114のイエスの言葉は、より生々しいリアリティを持っている。後に改ざんが加えられたと言われている他の福音書と比較して読んでみると、興味深い。ちなみに正典となっている、マルコとマタイの福音書は54年頃、ルカの福音書は60年頃に書かれたと言われている。
キリスト教に限らず、宗教が組織化された後で人間としての教祖の生涯を知ることは難しい。しかし、キリスト信徒の共通概念を知らない限り、現代に続く欧米文化の理解は得られない。そういう意味では、日本人も一度は聖書を手に取って読んでみることをお薦めする。
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