Meeting With Remarkable People #37

アン・モロー・リンドバーグ

1906 - 2001

アメリカ生まれ。
飛行家リンドバーグと出会い恋愛後、結婚、出産。
調査飛行等の半生を過ごす。
北太平洋横断飛行では副操縦士、航海士、通信士の役割を果たした。

photo by Paul Beinek on Unsplash


 『海からの贈物』の著者であり、女性飛行家の草分け的存在として知られるアン・モロー・リンドバーグ。その静かで洞察に満ちた言葉から勇気をもらった人も多いだろう。しかし彼女は残酷な運命に翻弄された人でもあった。

 1906年、アメリカのニュージャージー州でアンは生まれた。父は銀行家であり、また政治家でもあるという名家だった。13歳の時、J.Pモルガン社の役員になった父と共に、ニューヨークの5番街近くで暮らすようになる。

 18歳の時、スミス大学に入学。しかし1927年に、父はメキシコ大使に就任、一家でメキシコシティーに移り住む。この年、郵便飛行士だったチャールズ・リンドバーグは、スピリット・オブ・セントルイス号でニューヨーク・パリ間の無着陸飛行に成功。一躍、国民的英雄となる。各地を表敬訪問ししていた彼は、メキシコでアンに出会った。リンドバーグが操縦する飛行機に初めて乗った彼女は、目下に広がる景色に感動した。

 1929年、23歳の時、チャールズと結婚。アン自身もグライダーの操縦と無線技術を身につけて、女性飛行家の草分け的存在になった。
 1930年、24歳の時、長男チャールズが生まれる。翌年には、夫婦で北太平洋を探査飛行。カナダ、アラスカ経由で、日本、中国を訪問した。

 しかし、翌年、夫妻に残酷な運命が訪れる。長男チャールズが誘拐され、身代金を払ったものの、遺体で発見されたのだ。この有名人夫婦の誘拐事件はセンセーショナルに報道され、夫妻のもとには超能力者を名乗る人々や、ひやかしの手紙などが多数届いた。2年後に犯人は逮捕、その後処刑されたが、冤罪の疑いがあるとして、未だに謎が残っている。この事件をきっかけに、アメリカでは複数の州にまたがる誘拐を連邦犯罪として取り締まるリンドバーグ法が制定された。

 1935年、29歳の時、アンは、『翼よ、北に』で作家デビュー。この年から4年間、一家はヨーロッパに居を移す。その体験を元にアンは本の執筆を続けた。夫婦による航空調査は続けられ、大西洋やインドを飛行。アメリカに帰国後、チャールズは第二次世界大戦に対して不干渉運動の先頭に立ったため、親ナチスとして非難される。
 1945年、39歳の時、コネチカット州に転居。子宝にも恵まれ、男の子3人、女の子2人の母として、多忙な日々を送った。

 1953年、チャールズが、『翼よ、あれがパリの灯だ』を出版、翌年、ピューリッツァー賞を受賞した。
 1955年、49歳の時、アンは家族から離れ、海辺で休暇を過ごす。その時の思索を書き留めた『海からの贈り物』がアメリカでベストセラーになる。
晩年のチャールズは、孤独に過ごすことを好むようになり、ハワイのマウイ島の別宅で過ごすことが多くなった。
 1974年、68歳の時、チャールズがハワイで死去。子ども達が独立した後、アンは小さな家でひとり暮らした。
 1989年、83歳の時、脳卒中で倒れる。しばらくはヘルパーを雇い、ひとりで暮らしていたが、やがて、末っ子のリーヴが、自分の暮らすバーモント州に母を引き取る。リーヴは自分の農場の敷地内に、母のための小さな家を建て、フルタイムのヘルパーをつけて、晩年の日々を介護した。アンには脳卒中の影響が言動に出ていたが、年を経るにつれて、徐々に沈黙の中で過ごすようになったという。
 2001年、94歳の時、アンは自宅で静かに息を引きとった。

 20世紀という時代を、彼女は駆け抜けた。知性と勇気、家族への愛情、創造的な生き方、ほぼ一世紀を生き抜いた彼女は、やはり強い人だったのだろう。晩年、沈黙の中で、彼女は何を考えていたのだろうか。


Related Books

海からの贈物
アン・モロウ・リンドバーグ
新潮社
473円(税込)

あくせくした日常に生きる現代人がその生活をみつめ直すというコンセプトの書籍は多数出版されているが、本書はその草分け的存在とも言える。著名な飛行家リンドバーグの妻であり、自らも女流飛行家であったリンドバーグ夫人が、海で過ごした休暇の日々の中から生活を見つめ直す。自然の中の造形、普段気づかずに見過ごしていたふとした世界の表情などに目を向けているうちに、結果的に自らの内面を見つめ直すという作業に繋がってゆく。その文章は詩的な美しさと洞察の鋭さを両方持ち、読むものに夫人と同じく海辺で過ごしたかのような豊かな時間を与えてくれる。リンドバーグ夫人という人の知性と、女流飛行家という当時はまだ珍しい存在であったであろう生き方がもたらした、勇気のエッセンスが輝いている。

関連記事