Special Interview #45

見える人と見えない人のあいだをつなぐ

ブラインドコミュニケーター 石井健介さん

ある日突然、目が見えなくなったら…?
石井健介さんは、まさにそうした経験をした人だ。
そんな彼が、しばしの期間を経て、自ら「ブラインドコミュニケーター」と名乗り、多岐にわたる活動を行なうまでの
ライフストーリーに耳を傾けてみたい。
意外なほど軽やかであたたかな笑いに満ちていることが伝わるはずだから。


目が見えた頃の石井さんがブッククラブ回によく足を運んでいた縁もあり、今回のインタビューが実現した。約束の日時は猛暑が続いていた9月初旬の午後2時。白杖をついた石井さんが、地階にある店舗に続く階段を下りてきた。
「僕の見え方の説明をすると、右の目は明るいか暗いかがわかる程度。左目のほうは、目の前の人のシルエットがうっすらとわかるぐらい。最近、サングラスをして出かけることが多いんですけど、なんか今日はすごく見えにくいなと思ったら、サングラスのせいじゃん! じゃあかけるなよ、って話ですけど(笑)」
場が一気になごむ。挨拶を交わし、いざインタビューに臨むときに漂う少しの緊張感。そんな場で石井さんは軽快なトークで笑わせてくれた。視線が合う。笑顔だ。しかし石井さんの目はほぼ見えない状況だということも伝わってくる。
「なんか信じられないことが起きたときに、目を疑う、っていうじゃないですか。まさにそんな状況になったのは、2016年の4月17日の朝。いきなり目が見えなくなっていました。前日、ちょっと目の調子がおかしいなと思い眼科に行ったんですけど、検査しても特に問題がなかったのでそのまま帰りました。でも朝起きたら見えない。かたわらにまだ寝ていた娘を見ても顔が見えないので叫び声をあげたんです。先に起きていた妻がびっくりしてやって来て、どうしたのと。妻の名前はトモミといって、彼女はけっこう目がぱっちりした人なんですけど、『トモちゃんの目が見えないよ!』とまた大きな声をあげて」

人を外見で
判断することから
解放された

見えないことから気づくようになったこと

病院でいくつかの検査を経て診断されたのは、「多発性硬化症」という聞き慣れない病名だった。
「眼球の水晶体とか網膜や角膜はまったく問題ありませんでした。要するに眼球のレンズでとらえている映像を脳に送るための視神経が炎症を起こし、神経を覆っている軸索というものが剥がれてしまったんです。そのため眼球で受け取った映像を正しく脳に伝えられない状態です。現代の医学では神経の再生はかなり難しいと言われました」
昨日まで見えていた人が、今日はいきなり見えなくなる。しかも再び見えるようになる可能性は限りなく低い。そんな状況に置かれた石井さんはさらなる検査と治療のため1か月以上の入院生活を余儀なくされた。
「僕、いわゆる『おじさん』って言われる人種が大嫌いだったんですが、ずーっと下ネタやダジャレを言うおじさんばかりの病室に入れられて(笑)。その中に北山さんという人がいたんです。その人がいきなり距離を詰めてきて、やたらに世話を焼きたがるんですよ。いつも『なんか欲しいものある?』『食器片付けてあげようか』と言ってくれる人で。その北山さんが毎朝、インスタントコーヒーを飲んでいたんです。僕、じつはコーヒーが大好きで、そのにおいに反応してはいたんですが、やっぱりコーヒーは豆をちゃんと挽いてドリップして飲むものと思っていたので、「飲む?」と言われても、『インスタントは飲まないんです』と断ったりして。嫌な奴ですよね(笑)。さらに北山さんは『缶コーヒーのうまいやつ買ってきたからさ』と渡してきた。でも僕は『缶コーヒーも飲まないんで』と断っちゃった。あるとき、なんで自分はこんなにかっこつけているんだろう、実はすごくダサいことなんじゃないかと。北山さんを始め、みんな暑苦しいおじさんだけど、それぞれ事情があって入院しているわけで、自分の病気はさておき、気に懸けてくれる人のやさしさに気づけない僕がいたんです」
石井さんは次の日の朝、恥を忍んで北山さんにインスタントコーヒーを飲みたいと話したという。
「もうすごく喜んで入れてくれたんですよ。そしたらそのコーヒーめっちゃ苦くて。『これ苦いですね』って言ったら、『ああ、ごめん、調子に乗って粉入れすぎちゃった』って(笑)。でもなんだかその苦さって、コーヒーを入れすぎた苦さだけじゃない気がして。それで同じ日に缶コーヒーを買ってきてとお願いしたら5本も買ってきて、そのうち4本も僕に渡してくれた。もちろんお金は受け取ってくれなくて。『いいよいいよ』と言われながら飲んだんですけど…あ、すみません、なんかいつもこの話をすると泣けてきちゃって…そのコーヒーはアイスでしたけど、なんだかすごくあったかくて…」

人を外見で判断することから解放された

目が見えなくなるまでの石井さんの職業は、アパレルやインテリア業界の営業やPR職。まさに「見た目」の良さが絶対的価値を持つ世界に生きてきた。そんな石井さんは、もともと子供の頃からお洒落なものやセンスのあるものに惹かれる少年だったという。
「僕は千葉の館山の生まれですが、5つ上の従姉妹が東京で暮らしていたんですね。その従姉妹が田舎にはない東京のエッセンスを持って遊びに来るんです。持っているものがいちいちかっこよくて、それを真似して同じものを買ってきてもらったりしました。そんな少年時代だったので、思い切り見た目で人を判断していましたね。こいつかっこいいとかそうじゃないとか、自分の美的センスと合うとか合わないとか、そんな基準で生きていました。ほんとに嫌な奴ですよね(笑)。ただ大人になって東京に出たら、自分よりお洒落な人やセンスのある人はたくさんいて、つまり井の中の蛙だということに気がつくんですが、ルッキズムの呪いはずっと自分の中に残っていたと思います」
そんな石井さんだったが、奇しくも目が見えなくなったことで、「見た目」で人を判断することから解放されたという。
「目が見えているとどうしても見た目から入るじゃないですか。そうした情報を入れなくても済むようになりました。かつて『可愛いだけじゃダメかしら?』というドラマがありましたけど、はい。通用しません(笑)。あと、肌の色も僕にはまったく関係ない。そもそも見えていないので、黄色だろうが白色だろうが問題ない。やっぱりその人の中身の問題だというのはすごく実感しています」
入院を経て人の優しさに気づき、見た目で判断することもなくなった石井さんは、自分でできることを次第に増やしていく。
「退院してからは、もうなるようにしかならないだろうと。妻もそんな感じでした。見えなくなったのは仕方ない。彼女は看護師なのでいくらでも仕事はあるからと言ってくれました。それでできることを増やそうと、それこそ洗濯物をたたむところから始めました。もともとアパレル業界で働いていたので、手元を見なくてもたためます。そうこうしているうちに家に来てくれる友人が何人かいて。まあ心配もあるけど好奇心半分で、見えなくなって実際どうなの? とか、夢ってどんな風に見えるの? みたいなことを聞かれて、僕も冗談半分で答えていたら、一人で聞くのは勿体ないから、今度東京でイベントやるから話をしてよ、とか、視覚障害者が参加するワークショップがあるから手伝ってとか。自分で率先して動いたというより、まわりの人が面白がってくれていろんなご縁ができました」

見えなくなったのは仕方ない。
それでできることを増やそう。

見えなくなって悪くなったことはほとんどない

たとえば、見える人たちに講演をするとき、石井さんはどんな話をするのだろう。よく話すネタとして、コンビニのおにぎりの話をしてくれた。
「コンビニにずらっとおにぎりが並んでいるじゃないですか。僕は見えないけど、だいたい左から梅とか昆布とか、定番のおにぎりが並んでいます。右に行くほど変わり種があるので、右から1個、そして左の方から1個取ったらなんと同じ味。なんで!? と思ったんですけど、あとで聞いたら、1個目が「シャケ」で、2個目が「紅ジャケ」! なんだよその違いって(笑)。そんな『闇おにぎり』の話をしたりしますよ」
石井さんの肩書きは「ブラインドコミュニケーター」。つまり、見える人と見えない人のあいだをつなぐ役割を担うということだと話す。
「たとえば視覚障害者の人たちの福祉や権利について活動するのは、そうした役割の方々がいるので、僕としては、敷居を下げて間口を広げるというスタンスです。たとえば講演をしてそれを聞いた人がどんなことを学んでくれるのか。特に学ぶことがなくても、なんか楽しかったね。そんなのでも全然OKです」
友人が企画したトークイベントの出演や、ソーシャルエンタテインメントを掲げるNPOのワークショップイベントの企画立案。さらには視覚障害者のための映画の音声ガイドの監修やラジオ番組のパーソナリティ。そしてこれまでの半生を綴った書籍も刊行した石井さん。その活動は多岐にわたり、さらに広がっていく予感に満ちている。
「見えないことで悪くなった、という気持ちは、今ではほとんどありません。ちょっと不便だなというのはありますけど。まあ、『あの娘、可愛いね』と言われたとき、『ちぇっ、見えないよ』と思ったりしますけど(笑)。ああ、まだルッキズムの気持ちが残ってるみたいです」
そう笑う石井さんの言葉を聞きながら、見えない人がどのように世界を「見て」いるのか。少しだけ感じられた気がする。見える人と見えない人のあいだをつないでくれる人の言葉にしっかり耳を傾けること。その人が石井さんであれば、きっと笑いと温かみにあふれた思いを共有することができるはずだ。


プロフィール

石井健介(いしい けんすけ)

1979年生まれ。千葉県館山市出身。アパレルやインテリア業界でPRや営業の仕事をしていた36歳のとき、多発性硬化症により視力をほぼ失う。2021年より「ブラインドコミュニケーター」として、ワークショップや講演などを行う。25年に初の著書『見えない世界で見えてきたこと』(光文社)を刊行。TBSポッドキャスト「見えないわたしの、聞けば見えてくるラジオ」でパーソナリティを務めている。


関連書籍紹介


見えない世界で見えてきたこと

石井健介 / 光文社 / 1870円(税込)

石井さんの自伝エッセイ。テキストを打ち、iPhoneの読み上げ機能で確認しながら執筆、半年間で7万字を書き上げた。表紙にはプリズムの箔押し加工がほどこされていて、角度を変えると光を拡散する。


元気じゃないけど、悪くない

青山ゆみこ / ミシマ社 / 2090円(税込)

50歳の急カーブ、愛猫との別れ、不安障害、めまい、酒や家族との関係…
わけのわからない不調のどん底から、リハビリが始まった――。
「わたしの心と身体」の変化をめぐる、物語のようなノンフィクションであり、ケアの実践書。
ー出版社紹介


急に具合が悪くなる

宮野真生子、磯野真穂 / 晶文社 / 1760円(税込)

病に直面し、「急に具合が悪くなる」ことを視野に入れながら生きる哲学者と、その様子を見据え、寄り添うことになった人類学者との往復書簡。病い、死、生、そして出会いから生まれる「始まり」について、それぞれの学術キャリアを背景に、がっぷり四つに組んで交わされる対話は、力強く、熱に満ちている。
今年6月には、本作を原作とした濱口竜介監督による映画が公開予定。