Special Interview #24

お寺は、良き習慣の道場。 そして、ディープタイム空間。

僧侶 / 松本紹圭

自ら「フリーのお坊さん」と名乗る。活動の拠点とするのは、インターネットのお寺「方丈庵」。
東大を卒業し、MBAの資格を持つ。お寺を持たない、在野の僧侶として生きる道を選んだ。
神谷町・光明寺での朝掃除の会「テンプルモーニング」、Podcast「Temple Morning Radio」、
お寺の住職さん向けの「未来の住職塾」と、SNSを駆使し、お寺という概念を拡張しながら一人の僧侶として歩む松本紹圭さんに話を聞いた。


「お寺世界」と「お坊さん世界」

中心的な活動は、 方向性として二つあります。一つはお坊さんに向けた「お寺世界」の活動です。
自分自身が僧侶になり、その後いろんなお坊さんたちと交流する中で課題が出てきました。その一つが「お寺のマネージメント」っていうテーマだったんですね。
お坊さんには、さまざまな研修を受けて一人前になっていくステップがあり、仏教は学ぶんですけど「お寺をどう経営していくか」というテーマが出てこない。でも、お寺が今まで通りやっていれば継続できるという時代は終わってしまった。じゃあこれからどうするか、自分たちで考えていかなきゃいけない。その力をつけるために始めたのが「未来の住職塾」です。

私がMBA(経営学修士号)を取り、そこで学んだこと、大事だなと思ったことを周りの友人にシェアをする場でもあります。この試みは今年で10年目になります。

もう一つは「お坊さん世界」の活動です。お寺の世界は完全に外音から遮断されて、閉じているのではありません。お寺は街の中にありますし、仏教というものは、元々の発祥も、お釈迦様自身が人生の苦しみに向き合い、それをどう乗り越えていくかという道として開かれたものなので、 誰の人生にも関係があるんですね。僧侶にも、今までの形じゃない、新しいあり方が求められてるんじゃないか。そこに身を置く一人として、新しい僧侶のあり方、生き方っていうものを探求していきたい。お寺の朝掃除の会「テンプルモーニング」は、その実践の一つです。


お寺は良き習慣の道場

これらの活動を続ける中で、「現代におけるお寺の役割ってなんだろう」ということを探求し、だんだん見えてきたのが「お寺は良き習慣の道場である」ということです。
お寺にはいろんな人が来ます。心身を整えたいとか、マインドフルネスに興味を持たれる方もいらっしゃいますけども、一朝一夕に整うものではない。筋トレだって、めちゃくちゃハードに一日だけやったところで、ただ筋肉痛になるぐらいで、それを続けていくことが大事。でも、やっぱり一人だと続かないんです。修行というのは一人でやるものではない。みんなでやるもの。これもお釈迦様の時代から言われていること。お寺というのは、そういう良き習慣を身につけて、一緒に続けていく道場のような場所なんです。
その一番簡単なパッケージとして始めたのが、朝掃除の会「テンプルモーニング」です。

朝の7時半から8時半まで、最初に本堂(神谷町・光明寺)でお経を読む。15分ぐらいですが、全員で声を出して読みます。その後外に出て、20分みんなで掃除をする。そして、最後にお茶を飲みながらおしゃべりをする。これが一つのパッケージになっています。
なぜ朝なのか。それにはいろいろな理由があります。参加者目線で言うと、 お寺の朝って、なんとなくよさそうな響きがありませんか? そういう時間帯にお寺に来て、その空気を味わってもらうきっかけが作れればなというのが一つ。そこで何をするかを考えたとき、「掃除」というのは手軽で親しみやすい。例えばお寺の朝のお経の会だと、人によっては宗教っぽさを感じたり、心理的抵抗もある。 お寺の朝の座禅会も、やはりハードルが高い。でも、「お掃除の会」というと、誰でもできそうで、競争にもならない。私はあの人より上手いとか、葉っぱを1枚多く取ったとか言わない。そこも「掃除」のいいところで、「ちょうどいい」活動なんです。

ちょうどいい「掃除」

お寺で朝掃除をすると、マインドフルネス、メディテーション、動く座禅みたいだねって言う人もいるし、お墓掃除をすると、ご先祖さまのことを思い出しますと言う人もいます。ここで会う仲間がいるのがうれしい、季節の変化が感じられていいという人もいる。
私は、お寺や伝統宗教には「時を告げる」という役割があると思っているんですね。オフィスの中にいたりすると、夏も冬も同じような温度で保たれて快適だけれど、お寺に来れば身体性を取り戻すことができる。そういった意味でも、掃除っていうのは「ちょうどいい」んです。

お寺側の事情で言いますと、 傍から見ていると、宗派とか何とかいろいろあるけどオール仏教で頑張ったらいいじゃないかと思われるかもしれませんけど、これがなかなか難しい。同じ仏教でも、こっちは南無阿弥陀仏でこっちは南無妙法蓮華経、こっちは座禅をしてますみたいな感じで、何か共通のプラクティスはないのか探していたところ、あ、掃除だと。掃除なら、宗派も超えられる。なんなら宗教の壁も超えられる。
いろんな宗教リーダーの方とお会いしたりするけれど、「一緒に掃除しましょう」と言うとすごく喜んでくれます。例えばお経をあげるのは難しいでしょうけど、掃除をするんだったらそんなに嫌な感じもしない。その意味でもちょうどいい。掃除の害のなさは、すさまじくパワフルです。
掃除をした結果、悪いことになるなんてない。掃除はけしからんと言う人はいません。掃除は苦手なんですって方はいますよ。でも、気にはなっている。どうでもいいと思っている人はあまりいない。どんな人にも関係があるからです。


お寺のゴールデンタイムは朝

「テンプルモーニング」は不定期の催しで、誰でも参加できます。私ができる時にTwitterでご案内しているんですけども、平均すると月に2回ぐらい、かれこれ80回以上続いています。ところが、そうこうしているうちにコロナになり「不要不急」という問題が出てきた。お寺は不要不急なのか。それは病院なんかと較べればそういう側面もあるかもしれないけれど、そもそも不要不急って誰が決めるものなのか。自分で決めるものですよね。

もちろん、感染症ですから、市民の一員として活動を控えるということはあります。でも、人間って、ご飯を食べて空気を吸えていればそれで生きられるかっていうと、魂が死んでしまう、枯れてしまうということも当然あると思うし、そこが元気でいられるためにも「テンプルモーニング」は大事だった。現在はできる範囲でやっていますが、コロナ禍になったばかりの頃は、何もかもシャットダウンという中で、「良き習慣の道場」としていつも「テンプルモーニング」でやっていたようなことを音で届けようと思って始めたのが「Temple Morning Radio」というPodcastです。2020年5月から始めて、1年ちょっと。月曜から金曜までの毎朝6時からの配信です。掃除は難しいけど、お経とおしゃべりは届けられる。60人以上のお坊さんと対談していて、いろんな方のお経が聞ける。毎回1000人以上の方が聞いてくれています。これも重要なライフワークの一つとなっています。


800年あった場所で、これからの800年を、考えてみよう。

お寺はディープタイム空間

今、イギリスに住んでいる哲学者の友人が書いた『The Good Ancestor(よき祖先)』という本の翻訳をしています。Ancestor (アンセスター)は先祖、祖先。
「祖先」といっても先祖供養の話ではありません。本のテーマは、「私たちがよき祖先になりましょう」ということ。私があえて「祖先」と訳したのもそこに理由があります。

今、地球規模の課題がたくさん出てきていて、これらに急いで取り組まなきゃいけない。テクノロジーで脱炭素、エネルギー革命、CO₂の排出量を減らす。もちろんそれは大事ですよ。大事だけど同時に、木を植えて育てて守っていくような、長い時間を掛けて取り組んでいくことも大切です。
矛盾するようですけど、急いで取り組まなきゃいけないことをやろうとしたら、テクノロジーで成長、進化していくものもある一方で、木を植えるようなロングタームでものを見る視点が必要。木を植えて、受益者は誰かというと、10年後100年後の人々で、もはや自分ではなかったりする。けれど、まだ生まれていない世代のために、私たちは何ができるのかっていうことを考えていく。自分たちがいずれ、誰かの先祖になった時、未来の世代が、先祖から受け継いだ遺産を前にして、自分たちも未来に向けてやっていこうよと、そう思ってもらえるか。
そうしたロングタイムの時間感覚を著者は「ディープタイム」と呼び、過去も未来も、日常の想像を超えた時間軸で捉えること、そして、そこから生まれる発想が必要なんだと言っています。
そう考えたとき、日本におけるディープタイム空間はお寺なんじゃないかって思ったんですね。
たとえば、ここのお寺の建物自体は昭和に入ってから建てられたものですけれども、お寺自体には800年の歴史がある。霞ヶ関寄りにあったみたいなんですけど、当時の霞ヶ関は本当に霞がかかった関だった。そうすると、これからの800年というのも俄然リアリティーが出てくる。800年あった場所で、これからの800年を考えてみようと、逆に未来を投影することもできる。
お寺に限ったことではありません。頑張ったり踏ん張ったりしなきゃいけない場面もあると思いますが、それでもなお、木を植えて森を育てるようなディープタイムな感覚を持ち続けること。そして、私たちはいかにして「よき祖先」になれるか。そうした想像力を持ち、もっとみんなが意識すべき時代なんだと思います。


松本紹圭(まつもと・しょうけい)

1979年北海道生まれ。神谷町・光明寺僧侶。東京大学文学部哲学科卒。武蔵野大学客員准教授。『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』など著書多数。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講。朝掃除の会「テンプルモーニング」の情報はツイッター(@shoukeim)で発信している。

 


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