Special Interview #36

石と共に生きる。

大谷資料館を訪ねて

石は、人の傍らにつねに存在している。狩りの最古の道具として。
調理、農業、牧畜を助ける用具として。祈りの対象として。
死者を安置する場として。住まいを形作るものとして。
石は日々の暮らしを支えるだけでなく、人の心身にも寄り添ってきた。
当たり前の存在すぎて、普段は取り立てて意識することもないかもしれない、石。
日本では1000種類ほど産出されるという石のうち、
代表的な「大谷石」の産地を訪ねてみた。


大谷石に囲まれた 「石の街」」を行く

栃木県宇都宮市の中心から北西の方向へ、田や畑の多い日本の地方ではお馴染みの風景の中をゆっくりと進んで行く。やがて景観は一変し、目の前に、白く切り立った岩がそびえ立つ風景が現れ始める。

「このあたりのこれはね、全部、石ですよ。あっちの大きいのもそう」

大谷資料館の館長を務める大久保恵一さんの案内で、資料館の周辺を車で走る。見えてくるのは、風雨の浸食によって生まれた「大谷の奇岩群」の巨大な岩たち。この一帯では、約1500万年前に起きた海底火山の噴火が、火山灰や軽石などから成る擬灰岩の地層を産み出した。太古の海底で生まれた石だけあって「化石もよく出るんです」と大久保さん。

通り過がりに見える民家の塀や門や壁も、奇岩とよく似た風合いをしている。薄く緑色を帯び、空気を多く含む軽やかな質感の大谷石に囲まれたこの地域は、まさに「石の街」と呼ぶにふさわしい。

人々はこの地で、火山や海、海底面の変化などの自然の大きな力によって創り出された石と共に暮らしを紡いできた。

縄文時代は岩山の洞穴を住まいとし、古墳時代は横穴を掘って死者を葬った。奈良・平安時代は、日本最古の磨崖仏である大谷観音を岩窟の壁面に彫り、信仰空間を設けた。

江戸時代頃になると、大谷石はその特徴と魅力によって本格的に採掘されるようになり、地元を中心に神社などの石材として利用されてきた。明治以降は、全国的に知名度も上がり、採掘産業が本格化した。東京や横浜へ大量に出荷され、近代都市づくりの礎となった。大久保さんのご家族も関わったという、フランク・ロイド・ライト設計による帝国ホテル旧本館「ライト館」(現在は愛知県「明治村」に一部移築)は、大谷石の持つ軟らかさを活かした美しい装飾が人々を魅了する。ライトによる日本の石の建築として知られる池袋の「自由学園明日館」にも、多くの大谷石が用いられている。



地下のラビリンス

大谷にかつて250ヶ所ほどあったという採掘場の多くは、地下にある。中には、地表下100メートルに設けられた採掘場もあるという。

大谷資料館の中心である地下へと続く採掘場跡は、深さ30メートル、広さ2万平方メートルにもおよぶ。野球場が一つ入る大きさと言えば、想像し易いかもしれない。かつては、一般の人々の目に触れる機会もなく、「未知なる空間」と呼ばれていたこの場所は、床も壁面も頭上も、すべてが大谷石で囲まれ、壁面には採掘のツルハシの跡が生々しく残る。昭和30年代に機械が導入されるまでは、採掘は人の手で行われていたのだ。この広さとなるまでに、石工たちはいったい何度、ツルハシを振るったのだろうか。

複雑で巨大な地下空間は、天井を支えるために残した柱が立ち並び、まさに地下迷宮のよう。その中を大久保さんは慣れた足取りですいすいと進んでいく。訪問日は夏日でとても暑かったため、ひんやりした涼しさが最初はとても心地よく感じられた。しかし、徐々にその涼しさは寒さへと変わっていく。それもそのはず、この日の地下空間の気温は8℃、よく見ると自分の息が白い。また、不思議なことに、日の光の入らない地下採掘場跡にもかかわらず、埃っぽさが無く、空気の淀みやカビ臭さが全く感じられない。

「大谷石が呼吸しているんです」という解説を聞くと、大谷石の塊で囲まれたこの空間が、常に体内を同じ環境で保とうとする、恒常性を備えた巨大生物の体内のようにも思えてくる。大谷石を構成する粘土鉱物の一種であるゼオライトは、多孔質のため、スポンジのようにガスや水分を吸着する。放出している強い遠赤外線には、腐敗の進行やカビの発生を抑える効果があるうえ、マイナスイオンも発生させる。

耐火性に優れ、調湿・消臭効果を備える大谷石は、味噌や酒、醤油などの食品醸造にも適している。

「地元の人たちは、今も造り酒屋が酒を貯蔵したり、レストランがワインを寝かせたりして、清浄で一定な環境を活用しています」と、大久保さん。大谷石は宇都宮の味にも貢献していたのだった。

「天井が黒くなっているでしょう。あれもカビなどではなく、暖をとるために焚かれた火の煤です。ここは外から見えないので、戦時中は軍事工場として飛行機の部品の製造に利用されました。この縦に上へと延びる穴は通気口で、薄っすらと外の光が見えます。でも雨は入ってこない。昔の人たちはどうやるべきかを本当によく知っていました」。

大谷石の特性と、先人たちの知恵がこの空間を特別なものにしているのだ。



新たなスタートとしての大谷資料館

地元で代々続く建設会社を営む大久保さんにとって、大谷石も採掘場も、常にそこにあるのが当然のものだった。しかし、この広大で神秘的な場所も、自分たちが意識して残さなければ、やがて失われてしまうのではないか。それならば、現場での豊富な経験と貴重な知識を今、ここで活用すべきだと思い至るようになったという。

採掘場跡は、戦時中は地下の秘密工場として、戦後は政府米の貯蔵庫として利用されていた。かつては採掘と見学が同時に行われていたが、大勢の人々が内部を安全に見学し、じっくりと探索できるよう、整備される運びとなった。「今の倍ほどあった」深さまで掘り下げられていた箇所は、大久保さんたちの手によって埋め整えられ、階段、通路、照明などが設置されていった。「自分たちでなければ、出来なかったでしょうね」と大久保さんは当時を振り返る。

こうして、本格的な地下見学コースを擁する「大谷資料館」として、生まれ変わりを果たした。現在は、採掘場内の探検の舞台となっているだけではなく、映画やドラマの撮影場所としても人気を呼んでいる。各種企業の展示会やアート作品の発表の場として、またコンサートやウェディングの会場としても利用されるなど、さまざまな分野から空間としての価値を見出されている。

大谷資料館に併設されたショップ、「ROCK SIDE MARKET」には、この街に新たな風をもたらしたローカルプロダクトが揃う。宇都宮の民家の軒先で見かける「無事に帰る」を願うカエルの置物をはじめ、職人の彫刻の技を活かしたフラワーベースやライトスタンド、吸湿や断熱効果を利用したコースター、室内の調湿・防臭効果が期待できるオブジェ、通気性の高い植栽用の鉢など、製品それぞれが特徴的な働きを備えている。

「これが都会では一番人気。不思議だけどね」と、製品のひとつである30cm角のシンプルなプレートを前にして、大久保さんは笑う。一見、変哲のなさそうなプレートだが、壁材や床材として使用することで断熱、保温、耐火効果だけでなく、吸着効果によるシックハウス症候群の防止や消臭作用を持つ、優れものなのだ。

ちなみに、ブッククラブ回に今年登場した新しいレジカウンター前面に貼られている石のプレートは、大谷石だ。縁あって、大谷石で作られたフラワーベースやソーサーなどの製品の取り扱いもスタートしているので、ご来店の折には、大谷石のナチュラルで温かな質感や風合いをぜひお手に取って味わっていただきたい。

乾燥し冷え込む冬に、高温多湿な夏、そして都市部の過密で人工的な環境。意外と過酷な現代日本の生活を快適に過ごすための手だてが、有史はるか以前から、日本の地層の中に大谷石という形で残されていた。石との付き合い方は時代の流れと共に変遷を遂げているが、生活に密接な関わりを持っていることは変わらない。

「石の街」大谷は、訪れる人々に、その場所にある自然とともに生きる大切さを再認識させてくれる。


プロフィール

大久保恵一(おおくぼ・けいいち)
大谷資料館 館長、株式会社大久保 代表取締役
大谷町で代々続く総合建設会社を営み、大谷石の採掘施工に長年携わる。大谷資料館オープンに着手、現在は館長も務める。

大谷資料館 
栃木県宇都宮市大谷町909



・オンラインストアでの掲載は一部になります。全ラインナップは店頭でご覧いただけます。

・ 大谷石製品は店頭購入での発送は承っておりません。予めご了承ください。