『Interview Archive』は、
過去の『NewsLetter』に掲載されたインタビューです。
今回のインタビューは、2015年に行われたものです。
予めご理解のうえお楽しみください。

Interview Archive #35

生かせる命、活かせる人生

国際医療ボランティア団体ジャパンハート代表、小児外科医 / 吉岡秀人

世界の人口の3人に1人は適切な医療を受けることができない。
そして、毎年、600万人の子供たちが5歳の誕生日を迎えられずに亡くなっているという。

こんな現状の中、小児外科医、吉岡秀人氏は乳幼児死亡率が極めて高い
ミャンマーを中心に子供たちの治療を16年間続けている。

目の前の命とひたむきに向き合いつづけるその眼は
次の命を受け継ぐ若者を取り巻く社会にも注がれる。

国際医療ボランティア団体・ジャパンハートを率い、
前代未聞の活動を次々と実現させる吉岡秀人氏に、
自分の人生を活かす秘訣についてお話を伺った。

1000mの山を登らなければならない時、
それを嫌々登るのか、自らの意志で進んで登るのかによって、
見える景色も登っている最中の気持ちもすべてが違ってきます。
10時間かけて登ったら、その意識の違いで10時間の生きている密度や質がまったく変わるんです。
これは自分の人生のクオリティに直結することだと思っています。

『BOOKCLUBKAI NEWS LETTER interview 』より


B:1995年、単身で軍事政権下のミャンマーに飛び込み無償、無給で医療支援活動を開始され、2004年に国際医療NGOジャパンハートを立ち上げられて、現在ではミャンマー、カンボジア、タイ、ラオス、国内外の被災地、日本の僻地離島などに多くの日本人医療者を派遣されています。政治や文化も違う海外での活動は私たちの想像もつかない困難があるのではないかと思います。

 確かに大変なことはあります。活動しはじめた頃は、ミャンマー人の5人に1人は政府への密通者と言われ、国民間の相互不信の中で、非常に警戒しながら医療活動をやっていました。そしてミャンマーは上座部仏教の文化ですし、国も違えばいろいろ違います。しかし、困難や違いというのは、僕らが乗り越えていかないといけないものです。日本で生活していても、人それぞれに大変なことがあって、それに対してどう向かい合っていくかだけの話です。ですから自分だけが大変だとは少しも思わないんですよ。それは自分が引き受けたことだから、唯々諾々と耐え忍んでやっていくということです。

 ただ、大切なことがひとつあります。僕はいつも「山登り」に例えるのですが、1000mの山を登らなければならない時、それを嫌々登るのか、自らの意志で進んで登るのかによって、見える景色も登っている最中の気持ちもすべてが違ってきます。10時間かけて登ったら、その意識の違いで10時間の生きている密度や質がまったく変わるんです。これは自分の人生のクオリティに直結することだと思っています。だから、常に自分がやりたいと思ってやっていることであり続けなければならないし、同じやり方を踏襲することも普通はあり得ないと思ってるんです。絶対的な武道の型がないように、やっていくうちに変化し深くなる。時には今までやってきたことを全部チャラにして、組み立て直した方が良いこともあるわけです。

 人間がどんなに苦労しても我慢し長く続けられることは自分のためだけです。我が子や仲の良い友達のためであっても一年間我慢できれば良い方で、それはかつて僕が越えてきた道です。「途上国の可哀想な人のためにやっている」では続きません。病気の人たちを治してあげたい自分の気持ちが最初であって、そこに彼らが存在してくれているという順番。「治してあげたいと思うのはなぜか」を哲学的につきつめていくと、結局それをしている自分の価値を自己認識したいんです。患者は、そのチャンスをくれている人たちです。だから感謝こそすれ威張ったりする対象ではありません。ジャパンハートに来る人たちには、「自分のためにやれ、威張るな、驕るな、苦労はしても引き受けろ」と口を酸っぱくして言いますね。

B:完治した患者の笑顔に神様を見たとご著書にありましたが、山登りのお話のように心のあり方で世界から受け取るものは変わるような気がします。

 そうですね。神様が横にいてこっちの方向が正しいよとは教えてくれません。自分に訊き、自分で感じるしかないんです。そういう時の道しるべが、他人の表情や言葉、本の中の一節や、治療をやり切った後の気持ち良い風なのかもしれませんし、それを神様のご褒美だと感じるのかもしれない。

 同じように自分の才能というのも他人にはわからないんです。神様じゃないですからね。僕がいくら人間的に超越した人間になろうとも、才能の在処くらいはわかっても、才能がいかほどのものかというのは絶対に測れません。いったい何が好きで、何が得意かというのは全部自分で確かめていくんです。患者の喜ぶ顔を見てすごく幸せな気持ちになったとか、それは内部感覚です。社会から受け取るレスポンスを、自分の中でどういうふうに位置づけて感じるかという作業だと思いますね。

B:理屈や理性を通さずに直観を大事に判断をされるそうですが、直観の役割をどのように捉えているのでしょう。

 まず、僕にとって直観というのは第六感ではないんです。直観はすべての脳の領域から集まってくる「全脳の声」、人生のすべての経験をもとに一瞬で出した答えだと思っています。そして理性というのは、今までの知識を中心としたものがベースになった「左脳の声」。僕は、直観が最新の、最高の能力だと思っています。現状に照らし合わせて正しいかどうかわかりません。失敗することもありますが、少なくとも今の僕のベストの答えだという確信ですね。そして理性の声に従い続けて生きるよりも、はるかに僕にとっては結果を連れてきています。そして自分も幸せになっている。直観に従う時、ひとつの宣言が自分に対して行われるんです。何かと言うと、今の自分を信じているかどうかという宣言です。そうやって自分を信じ、行動し続けた人間にだけ人生は微笑んでくれるというのが僕の感覚なんです。自分の能力や才能、経験を疑っている人間が、良い結果なんて連れてくるわけがない。だから直観の声を信じ続けるというのは、実はすごく大切なことです。

 若い人たちで「何が得意かわかりません」「何がやりたいかわかりません」と言う人が多いんですね。それはなぜかというと、小さい時から本当の思いをかき消してばかりきたから。心が鈍くなって応えてくれなくなっている。だから最初は失敗しても、とにかくやってみることだと思う。そうしたら段々、理性の声と直観の声との違いが認識できてくる。これはもう内部感覚だから。恋愛と一緒です。本当に好きな異性ができたら放っといても何回も思い出すでしょ? 考えるだけで良い気持ちになったりするでしょ? 僕はもう汚れているからないですけどね(笑)。自分の才能や好きなことは、その感覚に近いです。繰り返し湧き上がり、何となくそっちに引っ張られていく。ただ、これを言うといつも誤解されるんですが、理性の声は否定していません。やっぱりいきなり直観の声を発動するわけではなく、悩み苦しんだ後にポンと出てきたりする。最初からネジがカーン!と合ったような感覚の時もありますが、多くは苦しみながら、そのうちカツンと音がして、少し抜け出たような、空中に放り出されたような感覚で「これだ!」とわかる時が多いです。苦しまないといけないから逆説的な意味でも理性は大切なんです。理性でいったらGOなんだけど、なにか違和感があれば少し時間を持ってみるとかした方が良いかなとは思いますね。

B:ご著書やブログの中で、先人たちの言葉や人生を数多く紹介されています。なかでも影響を受けたものがあれば教えてください。

 僕が十代のときに一番影響を受けた言葉があります。それは、「あなたの隣の人がお釈迦様でもあなたにはわからない」という言葉です。人間というのは、なかなか本質、本物を見抜くことができないということです。じゃあ、どうしたら隣の人がお釈迦様だとわかるのか? 例えば、空手や武道の型を本当に演じられる人、型の意味が分かる人というのは、その型を生み出した以上の達人です。型にはそのレベルの人しかわからない真理があるわけです。ですから、お釈迦様に近い位置の人、それ以上の人しかお釈迦様を見抜けないんです。時々、浄土真宗や浄土宗の方から頼まれて文章を書きますが、何回か書いたのは「もっと修行してください」という話ですね(笑)。僧侶のピークは70、80、90代です。でも、そこまで努力し続けた人しかピークを迎えられませんから、粗食で長生きしなければならないし、そういう職業だから仕方ないんですよね。

 そして開祖を崇め奉って、教えを守る人が多いですが、開祖を超える覚悟がない人に、開祖の気持ちがわかるわけがないと思います。浄土真宗の親鸞や高野山の空海だって、修行の時期があり、苦しみの中で悟っていくわけだから、なれるかどうかは別ですが、超えることを目指さなければならないと思うんです。どんな世界であっても、師匠を超えようとすることが弟子の役目です。師匠が見られなかった次の世界を見られる可能性があるわけじゃないですか。日本の仏教の弱さというのが、まさにここにあります。疫病が流行り、戦闘ばかり起こるひどい時代に今の宗教が開いていく。それは苦しみの中から紡ぎだされたものです。どんな才能がある人でも、環境がなければ起こりえなかった。今の人たちは目覚めていないだけで、そういう才能が誰かにあるかもしれない。守破離だから、最初は守って、そのうち師匠を破ることができたら、新しいものができるかもしれない。だけど、守のところまでいってないですから。それで本当に良いのかと僕は思います。

B:ジャパンハートでは先生を超えようとする若い人たちはいますか?

 いやいや、僕なんか目標にならないですから(笑)。別に自分の才能を特別なものだと思っていません。僕の技術を超えるとかなら、やれば僕を超えると思いますよ。やっぱり環境が大切だと思います。数を重ねていくことが必要です。僕がやった手術の件数ぐらいはやらないと同じにもなれない。でも、やれば誰でもなれるし、僕が30の時にやったことを、彼らが26、27でやれば超えていきますよ。彼らがそういう環境に自分を置けるかどうかだと思いますね。

B:「人生の体力」をつけるために、日常の中で自分に負荷をかけることが必要だと言われていますが、過剰なストレスに耐えられず、時には心身を病んだり、自ら命を絶ってしまう人もいます。

 なんと言うか……死んでいく人たちに足りないことがあると思います。それは感謝の心です。この世に、0から1を生みだしてもらったことに対する感謝がありますか? 人間というのは自分がやったことばかり覚えているんです。例えば、病院のスタッフが6ヶ月ごとにスタッフが入れ替わる事に迷惑していると言い出したわけです。なんでそういう風に言うのかがわからない。その人が看護師になりたての若い頃、上の人が教えてくれたわけです。本来は自分が社会から受けた恩は一生懸けて返すものです。僕だって外科医として教えてもらって、今度は人が来るたびに毎年教えるわけです。何回も、何倍にもして世の中に返すのは当たり前で、それを自分だけ受け取っておいて、一回返せばいいと思っているところが僕はおかしいと思うんです。

 自分が本当にしんどい時、良い時、悪い時、いろんな人が関わってくれて今の自分がある。自分が死んだら、その人たちがそれまでやってくれた一つ一つの積み重ねが無駄になる。感謝の心があれば、支えてくれた人たちのために生きようと思うんです。だから子供の頃から、いかに人間は世の中の人たちにお世話になりながら一人前になっていくかを社会は教えなければなりません。お互いに影響を及ぼしながら、人間って生きているわけですよね。だからもっと自分と世の中の関係を見つめなおして、生きる視点を開かせないとだめだと思いますね。

B:最近、子供の教育についてもご発言されています。

 高校生からの質問をきっかけに今の教育についてブログに書きました。「学校教育は、社会に出て本当に役に立ちますか?」と聞かれ、「いや、直接的には役に立ちません」と回答したんです。机を引きずって「この摩擦係数は?」とか「この机はいびつな形をしているけど体積は?」とか普通は考えないじゃないですか(一同笑)。だけどこれは社会のルールだから、つべこべ言わずにやらないといけない。本人が役に立たないと思うのなら尚更、最短で抜ける方法を考えなきゃいけないわけです。その数年間、集中して自分がもてるところを全部出して、あとはスッパリやめても良いと思うんですね。

 しかし、これを書いたら1500件くらい批判的なコメントが入ったんです。「自分は役に立った」とか「人間の教養はいろいろ積み重ねて形づくられている」と言うんですが、僕が言いたいのは、もっといろんな能力を開花させ、それを社会が評価するような仕組みがあった方が日本のためには良いですよという提案なんです。この教育制度のために多くの子供たちが、学びたくもない授業のために10年近くも机の前に座らされています。この時間をもっと有効に使えたら、圧倒的に子供たちや世の中のためになる。僕は勉強しないで良いとは言っていません。やはり教養というのは人間にとって大切です。吉田松陰は萩の牢獄につかまった時、一生出られない囚人を相手に「あなたたちは、人として学ばなければならないんだ」と言って、牢屋の中で孟子について話しはじめるんです。その時の本が『講孟箚記』です。この本の中で、営利栄達や官職を求めて侍たちが勉強するのを邪道だと言って彼は切り捨てています。今も何のために勉強してきたのかと言ったら、多くの人は良い大学に入るためです。親も同じです。その目的は、安定した良い就職をするため。吉田松陰が切り捨てたものと同じです。では、教育の大切な役目は何か? 今ダイバシティーという言葉が社会でよく取り上げられます。多様性です。多様性というのは実はものすごく大切な概念なんです。動物の世界は弱肉強食だと僕らは教えられていますが、実は違うんですね。本当は多様性のある動物ほど生き残り、多様性がないものは滅んでいきます。例えば、隕石がふって恐竜が滅び、生き残ったのは1.5m以下の動物だと言われているんですね。そして人間には染色体異常のような遺伝病がありますが、これは人間の持つダイバシティーだと言われています。そういうダイバシティーをもつ生物こそが生き残っていくんです。

B:可能性ですね。

 可能性です。画一的な教育方法はひとつの尺度ではありますが、ダイバシティーを失うんです。こんな時代に明治の富国強兵目的に先進国がつくったような仕組みを踏襲してて良いんですか? 子供たちは100年以上も才能を壊されて、そのまま才能が目覚めないで死んでいく人たちが沢山いる。本当は彼らが得意なものを見つけてあげれば水を得た魚のように頑張るのに、下を向いて寝ていたり、無気力になっていくような状態が続いています。悲しいことに、途上国に対しても同じ教育の仕方をもっていこうとしている。人にどんな才能があって、何が得意で、何が好きかを見つけてあげるのが教育の最も大切な意味じゃないですか。個性があるというからには絶対に多様性が必要です。そして、世の中自体にダイバシティーがあって、職業選択の自由があるということ。ミャンマーでは沢山の職業はなく、普通の子供たちがつける職業は、農家、軍人、役人、警察官と決まっています。せっかく才能が目覚めても、才能を生かすものが世の中にありません。本当に良い世の中というのは、皆が目覚めた才能をより具体的に実現できる職業が存在している世の中です。今はとにかく暗記ができて勉強ができるやつばかりが重宝されている。こんなもので本当に良いのかというのが僕の提案だったんですけど……1500人も一気に反対の意見がきましたからね(一同笑)。今は企業や国にとって使い勝手が良い人間をつくっているとしか思えません。大学教育も歪んでると思っているんです。僕に大学教育をやらせてもらったらまったく違う仕組みにしますけどね。

B:例えばどんな仕組みでしょうか?

 今、就職ってどこの企業も出身大学の名前で選んでいます。そうしたら別に4年間いらないと思いませんか? 入学したときの大学の名前だけで良い。だから子供たちは、18歳から企業に就職して働けるんです。例えば大学に平成26年度入学だけ決まっていて、卒業は何年でも良いんです。就職してまた勉強したくなったら大学に行く。そして合計で必要な単位数をとったら卒業。それは企業も認めている。3年でも働いていると、もう少し経済のことも勉強したいとか目覚めてくるじゃないですか。そうしたら夜学でも、一年間休職して昼間に大学へ通うこともできるという仕組み。だから卒業式には、じいちゃん、ばあちゃんから子供まで皆混ざっている。

B:素晴らしい仕組みだと思います!まさに多様性ですね。

 そうなんです。何十年かけて卒業してもいいんです。その方が良いですよね?

B:はい。大学で勉強をしなかった人も、社会に出てから学習意欲が湧いてくるという話はよく聞きます。

 皆、そうですよ。無理やりやらされているからそういう状況になるんです。僕らは使わないものは覚えないようにできています。こういう新しい教育の仕組みをつくっていったら、本当に勉強をする人が出てくるし、社会人になってもう一度勉強して社会に帰っていくわけだから、すごい社会の力になる。だから皆が今の世の中の仕組みに合わせてやる必要はなくて、本当に学びたいものを学びにいく場所が大学であるべきだと思いますね。そして僕の今までの経験上、若ければ若いほど、技術を習得するスピードが全然違うし、18歳から働くことができれば能力は育ちます。僕は暗殺されるかもしれないけど(一同笑)。

B:先生にとって理想的な医療とはどんなものでしょう。そして「和の心」を意味するジャパンハートは、今後、日本のどんな質を世界に広げていこうとお考えですか。

 今、ジャパンハートには医療者が年間で500人以上も来ています。なんで来るのかなと思い、いろいろ話を聞いていたのですが、ようやく最近わかったんです。この人たちは日本の医療に疲れているんだ、と。死ぬのがわかってるのに延々と治療をし、薬が効いてないのにガンの子供に投与を続ける。患者はわがままを言い、医療者と患者の不信感でいつも裁判のことを考えている。人間というのはやがてこういうのに疲れてしまうんです。誰のためにもなってないですね。この逆を行こうと思っています。

 例えば、死ぬとわかっている子に抗がん剤なんか使わない。遺された数カ月をこの子と家族のために、どういう風にサポートしていってあげるかを寄り添って考える。薬を使ってベッドに寝かして、最後までガンの薬で苦しませることは、家族にとっても医療者や看護師にとっても幸せなことではありません。そこは宗教の役目だと思います。ミャンマー人は生まれ変わるという考え方だから、お坊さんが「今から生まれ変わる準備に入ります」とお経を唱えてくれたら、彼らだって安心して治療を中断できる。日本と違い、ミャンマーはじめ東南アジアでは、医療費はほとんど全額自己負担です。治療が長くなればなるほど、家族は破産していきます。各国の現地の生活や文化を尊重した医療というのがあります。ミャンマーでは村の外で死ぬと村へ帰れません。不幸を持ち込むという風習があるからです。だから僕は死にそうだと思ったら治療をやめて救急車に乗せて、村へ一気に運び込むんです。死ぬ直前にでも、生きたふりしてでも運び込んで、村の中で死なせます。そうしたら後は家族が悲しんでくれて、皆でお葬式をし、村に埋めることもできる。僕が理想とする、これから僕ら日本人が皆でやっていかないといけない医療というのは、この日本の中でおかしいと思うことを行わない医療だと思います。それを一つ一つ作り、現地の文化と摩擦しない範囲で、現地に落としていくことです。

 今の医療の進歩は、機器の進歩なんです。だから機器さえ揃えば技術は移転できる。これが西洋医学の良い所です。そして西洋医学では、僕にできることが、皆さんにもできるという再現性が大切です。例えば僕しかできない手術があれば、ある機器を発明して誰もができるようにする。僕が死んだら終わりでは、進歩なんかありえません。医者というのは技術職なので機器さえ進歩すれば移転しやすい。ところが患者を大切にするというやさしさやホスピタリティは、カルチャーに裏打ちされた行動なので、時間をかけないと伝わらないものです。もっと言うと教育がものをいうわけです。いきなり大人になって「やれ」と言っても、普通は難しい。例えば患者がしんどそうにしてたら、勤務時間が終わりでも残って見てくれているとか、優しい言葉をかけてくれるとか、日本の看護師さんたちは損得無くやってくれます。外国では、患者は怒られてばっかりですよ。そういうカルチャーは日本の母性の文化の部分だから、特に女の人が役割を担うんです。それを時間かけて、アジアの国に広めていくことは大いに意味があると思います。病気の人は助かる人ばかりじゃないですから。死んでいく人も沢山います。そういう人たちに、最後はやっぱり「生きてて良かった」「ああ、私は大切にされたな」と思ってもらいたいわけです。そこが大切ですよね。良い治療をして生きられればもちろん良いですけど、命だけ助かっても幸せじゃない人なんて山のようにいます。そうではなく、たとえ死んだとしても、ちゃんと心や人生が救われているということが僕の目指す医療です。それは機械じゃない部分にかかっていて、人が人に対してやることです。

B:最後に、感謝の心を育てていくために必要なことは何だと感じられますか。

 そんなに難しいことじゃないと思います。ある外国の実験がありまして、部屋に飴のボックスを置いておき、子供に「1人ずつ部屋に入って、好きな飴を1個ずつ持って行っていいよ」と言うんです。そこにひとつ鏡を置いておきます。結果どうなるかというと、鏡を置かない場合は、半分以上の子が飴を2個以上持っていき、鏡を置いたら8%ぐらいしか持って行かないんです。単なる心理学の実験ですけど、これを僕はどう理解したかというと、鏡というのは親の姿です。親が正しい行動をとっていたら、道を逸脱する子は著しく減るということ。それが教育だと思うんです。だから親が正しく生きれるかどうかにかかっていると思いますね。今は教育というのは子供だけのものだと思われていますけど、親と子が一緒にやっていく教育がすごく大切ですね。それはね、良い映画を一緒に観に行くだけでもいいと思うんです。リラックスして映画を観て、そして感動して、親も心洗われて、「いいね、こういう風に生きたいね」と話しをする。親も子供も一緒に学んでいけば良いんです。ただし、親が不正をすれば子供の中では不正が許容されていくようになる。だからそういう意識を常に大人たちが持つことだと思いますね。先ほどの「教育は役に立ちますか?」と言った高校生は、今の教育が大人たちの役に立ってないことが目に見えてわかっているから聞いたんです。本当に役に立つのだったら役立たせているところを多くの大人たちが見せないと。鏡だから。そうしたら彼らだって「世の中でこんなに使うんだ!」と勉強します。そうやって見本になる大人たちが世の中に増えていくことがすごく大切だと思います。それは一人一人の役割ですよね。

B:本日はどうもありがとうございました。


吉岡秀人  (Hideto Yoshioka)
ジャパンハート最高顧問、東北大学特任教授
1965年大阪府生まれ。
大分大学医学部を卒業後、大阪、神奈川の救急病院に勤務。1995年からミャンマーでの医療活動を開始。1997年帰国し、国立岡山病院小児外科医師、2001年から川崎医科大学小児外科講師として勤務。その後、2003年に再びミャンマーでの医療活動を行う。2004年国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」設立。2013年からは日本の小学生を対象とした「いのちの授業」と題した講演活動を行う。2021年菊池寛賞受賞。著作に『救う力』『命を燃やせ』など。

■吉岡秀人氏のページ
https://note.com/japanheart

特定非営利活動法人ジャパンハート
代表、吉岡秀人氏が、自身の経験をもとに、医療支援活動のさらなる質の向上を目指し、2004年に国際医療ボランティア団体として設立。日本発祥のNGOで、医療に重心を置き、「医療の届かないところに医療を届ける」を理念に、海外ではミャンマーから始まり、カンボジア、ラオス、フィリピン、インドネシア、タイ、日本国内では、各地の僻地離島、東日本大震災被災地などで活動。年間約3万件の治療を行う。現在では年間500人以上の医師・看護師がジャパンハートを通して医療支援を行う。また、医療支援のみならず、医療人材育成、子供たちに健康的な生活と教育支援を、そして若者には自立支援を行うなど活動は多岐に渡っている。2019年地球倫理推進賞、文部科学大臣賞受賞。2020年国際連合UNIATF Award 2020受賞。

■ジャパンハート
http://www.japanheart.org/


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