クロード・レヴィ=ストロース
フランスの文化人類学者、思想家。
ブラジル奥地でのフィールドワークを基に人類学における「構造主義」を提唱。
現代思想に多大な影響を与えた。
文化人類学に、「フィールドワーク」という革命をもたらしたレヴィ=ストロース。未開社会に自ら分け入り、原始的な知覚の世界を、西洋的な思考に紹介した功績は大きい。
1908年、ベルギーの首都ブリュッセルで生まれる。父レーモンは肖像画家で、両親共にフランス国籍のユダヤ教徒だった。
6歳の時、父が第一次世界大戦に招集されると、母と彼はパリ近郊のベルサイユにあった祖父の家に移った。祖父はベルサイユのユダヤ教会の長であった。野山を歩き化石や岩石、動植物に熱烈な興味を示す生活。浮世絵愛好家だった父の影響で、幼いころから日本の美術工芸に親しんだ。
1927年、19歳の時、パリ大学法学部に入学。同時に文学部にも籍を置き、法学と哲学の学士号取得。その後、哲学の教授資格試験に一度で合格。メルロ=ポンティ、ボーヴォワール、サルトルなどと親交を結ぶ。1932年、24歳の時、ディナ・ドレイフェスと結婚。2年の兵役を終えてから、地方の高校で哲学の教職についた。この頃、アメリカの人類学者ローウィの『未開社会』を読んで啓示を受けたという。
1934年、26歳の時、ブラジルのサン・パウロ大学社会学教授に。授業の合間に、ブラジル奥地の村を訪れるようになる。28歳の時、初めての人類学の論文を発表。いったんはフランスに帰国したものの、政府の給費をうけ、本格的なブラジル奥地の調査を開始した。6ヶ月かけて、ナムビクワラ族などと接触。
しかし、第二次世界大戦が勃発。動員令を受けた彼は、帰国し、兵役を解除されるまでフランス南西部で電報検閲などを担当した。1941年、33歳の時、ユダヤ人排斥運動に会った彼は、ロックフェラー財団によるヨーロッパの学者救済計画により、社会研究学院の職を得て、アメリカへ。ニューヨークでは、ナチスに追われたフランス語圏の学者が中心となり自由高等研究所を創設した。多くの知識人たちと交流を続けながら、講義を行い、論文を執筆。1945年、37歳の時、ディナと離婚、ローズ=マリー・ユルモと結婚し、後に長男ローランが誕生。翌年には、駐米フランス大使館の文化顧問に就任した。
1948年、40歳の時、博士号を取得し、パリの人間博物館副館長に就任。1954年、46歳の時、二度目の離婚、モニク・ローマンと結婚した。この年から翌年にかけ、一気に『悲しき熱帯』を書き上げる。結婚直後の夫人が清書にあたった。この本が刊行されると、世界中に大きな反響が起こった。神話学者エリアーデも賛辞をおしまなかったという。1958年、50歳の時、『構造人類学』をパリで刊行。翌年、念願だったコレージュ・ド・フランスの初代社会人類学教授に就任。1962年、54歳の時、『野生の思考』を刊行。
晩年になっても、旺盛な執筆活動を続けていた彼は、積極的に世界各地へ旅行に出かけている。念願だった日本探訪は、69歳の時に実現。6週間にわたり各地を旅行し、日本の職人、手仕事などを意欲的に観察した。75歳まで勤めたコレージュ・ド・フランスを退職。世阿弥の思想に強くひかれ、論集『離見』を刊行した。その後も数回来日を重ね、沖縄、九州などに神話世界を求めた。2000年、92歳の時には、「猿田彦神についての若干の考察」を日本のサルタヒコ・フォーラムに寄稿している。
レヴィ=ストロースは、日本にとってもゆかりの深い人だった。彼は、世界を制覇しつつあった西洋的思考に逆行するが如く、原始的思考と神話世界の豊かさを持ち込んだ。未来には彼のような知性が必要になってくるのではないだろうか。
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