Meeting With Remarkable People #78

埴谷雄高

1909 -1997

── 薔薇、屈辱、自同律 ──

つづめて云えば俺はこれだけ。

私はしばしば想いなやむのであるが、不快の裡に棲むものは論理と詩学のみであろうか。

翅よ、翅よ、誰がここから飛びたつであろう。  

『不合理ゆえに吾信ず』より


 人間の観念という装置では、けっして認識しえないものを、言葉で表現する……。
この絶対的不可能に、生涯を賭けて挑み続けた孤高の人がいます。
文学史上未曾有の形而上小説『死霊』を世に残した、作家、埴谷雄高の魂は、いかにして形成されたのでしょうか。


1909年、当時、日本の植民地であった台湾の新竹で彼は生まれた。本名は般若豊(はんにゃゆたか)。父は財務官史を勤めた後、台湾精糖に入社。家族と共に台湾各地を移り住むという日々は、彼に「支配、被支配」への嫌悪と非定着的思考を植えつける。学業は優秀だったが腺病質で早熟だった彼は幼い頃から存在に対する不安定さを感じていた。13歳の時、日本に帰国。その直後に関東大震災に遭遇した。その体験も多感な少年の心に深く刻まれた。

1925年15歳の時、結核に感染し北里研究所に通院。この頃から、あらゆる文学を乱読しニヒリズムとアナキズムの影響を受けるようになる。特にヘーゲル左派の思想家シュティルナーが提示した「創造的虚無」という命題は、彼の魂を震撼させるものだった。シュティルナーの主著『唯一者とその所有』には「私の事柄を、無の上に、私はすえた。」と記されている。虚無の中に浮く自我を、国家も宗教も人類も理想も支配できないという考え方である。以後さまざまな思想の洗礼を受けた彼だが「存在と虚無」という命題が彼の意識から去ることはなかった。

1928年18歳の時、日本大学に編入。彼の思想はアナキズムを経てマルクス主義に接近する。左翼の読書会を組織する一方で、演劇活動に従事した。この時出会った女優の伊藤敏子は後に彼の妻となった。大学を退学し日本共産党に入党、農民闘争のための活動家として地下生活に入る。

1932年22歳の時、不敬罪および治安維持法違反という罪で逮捕、豊多摩刑務所に送監される。独房に入れられた彼は外界から断絶されたこの機会を思索の深化につなげることにする。西欧の哲学や思想書を原文で読破し、カント、ドストエフスキーなどに大きな影響を受けた。しかし、彼は人間の観念が到達できる境界を超え、さらにその先を求めずにはいられなかった。カントが哲学で触れてはならない領域として警告した「自我の誤謬推理」「宇宙論の二律背反」「神の存在証明の不可能性」などの仮象の論理学を哲学では不可能でも、文学なら封じ込められると思いつく。こうして、「妄想実験」と執筆の日々が始まる。

刑務所を出ると、同人誌に『不合理ゆえに吾信ず』を発表。詩と論理の融合によるアフォリズムに満ちたこの作品は多くの文化人に衝撃を与えた。敗戦を迎えるまで経済雑誌の編集に携わっていたが、1946年、36歳の時、『近代文学』創刊。前代未聞の形而上小説、『死霊』の連載を開始した。『死霊』の執筆は、生涯を賭けたライフワークとなり、1章から9章まで50年間に渡って続けられることになる。

日本の文学界、思想界で彼は特異な地位を築いていく。また、あらゆる権力を否定する彼の姿勢は学生運動家たちの支持を集め、ある種のヒーローとして憧憬される存在ともなった。1970年60歳の時『闇の中の黒い馬』で谷崎賞受賞。執筆の合間に、さまざまな評論や対談などを行い若き才能と交流する意欲も旺盛だった。彼は、これを「精神のリレー」と呼び、人類が誕生して以来つながり続ける、境界を超えようとする者の意気を愛した。

1997年87歳の時、脳梗塞のため自宅で死去。『死霊』は謎を残したまま未完に終わる。彼が全存在を賭けた宇宙問答は次の世代に手渡された。その問いかけは、人類の精神の前に今もなお屹立している。

関連書籍



死霊I ※函入り

埴谷雄高 / 講談社

2776円(税込)

心の広大無辺性の上を3段飛びし得るのが近代における世界文学の内実であって、それをさらに超出するのが、現代文学の運命である……。本来なら描くことが不可能な「無」を、小説によって描くという前代未聞の試みを行ってきた著者。われわれは、そこに描かれた「無」を果たして理解することができるのか?


不合理ゆえに吾信ず

埴谷雄高 / 現代思潮新社

2200円(税込)

存在の深みに燐光を放つ著者の思想的原核たる不朽の詩。附・谷川雁との往復書簡。


死霊1〜3 ※文庫

埴谷雄高 / 講談社

各1870円(税込)

彼の存在をかけた著作を、どのように表現すればよいのか、私達は途方にくれてしまう。本来なら描くことが不可能な「無」を、小説によって描くという前代未聞の試みを行ってきた著者。われわれは、そこに描かれた「無」を果たして理解することができるのか?


オン! 埴谷雄高との形而上対話

池田晶子 / 講談社 / 1980円(税込)
神秘主義的なポジションにいると、哲学的な論考が、妙にまわりくどく感じるようだ。例えば<私>というこの<私>は正確には何を定義するのか、とか・・・。しかし、直観的にわかってしまった< >を、言葉で表現するナンセンスに、最もうんざりしているのがこの著者であることに読者は早く気付くべきだ。直接表現不可能な< >を語るには何らかのトリックを使うほかない。禅の公案と同じである。さて、ここに埴谷雄高という、人類まれにみる奇妙な人間が存在している。哲学では決して< >を表せないと知った氏は、何十年もの間一つの小説を書き続け、多くの人を撹乱し、何かすごいと想わせている。この二人の間にどんな対話が起こるのか。言葉の背後で行き交う< >をあなたはつかまえられるか。


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