この日本にも、実は「王国」があるのをご存知だろうか。
王国だからむろんそこには王様がいるが、風変わりなのは、臣民が一人もいないことだ。
その代わり、王国外から誰でも自由に出入りできる。王様は権力を行使することも、
他国と交戦することも一切なく、やってきた人にはただひたすら与えるばかり。
いったいなにを与えるのか。いまの世界に最も欠けている大切なもの、
そう、「ハッピー」である。
この空間をいったいなんと表現したらよいだろうか。棚から壁、床、天井、あらゆる場所に膨大な制作物たちがあふれている。
名刺には「駄雑貨屋」とあり、人によっては「おもちゃ」、また別の人は「アート」と言い、インタビュー中の王様自身は「おやじグッズ」と呼んだりするそれらの愛くるしくもオリジナルの、ストレンジなモノ、その姿を、動きを言葉だけで表現することのなんという難しさ。書き手としての無力さをいきなり突きつけられてしまう場所なのだ。
「今日は取材してくださるというので、ほら、新たに『しあわせのおやじ鳥』を作りました」
目の前にあるのは、あきらかに中高年以上の「おやじ」の顔をした手作りの鳥で、これが絶妙な動きをしながら「メリーさんの羊」のメロディを奏でている。な、なんだこれはいったい。驚きと困惑と楽しさがブレンドされた気持ちから、思わず笑い声が自分の口から漏れる。それは断じて爆笑(爆笑って案外、噓くさい)ではなく、なんとも不思議な感情の揺さぶりから来る笑いだ。
王様は言う。
「私は自分の活動を『ハッピー3本の矢』と呼んでいます。まずは、ここにあるおやじグッズで皆さんに楽しんでいただく活動。これは毎日、アイデアを考え、手を動かしてここで作るもので、デジタル全盛の世の中にアナログの味わいを世に届けようというものです。2つめが紙芝居。昨年もハロウィンの頃なんかは、7カ所くらいの幼稚園に呼んでいただき、園児の前で披露しました。そして3つめが三味線。新内喜多川派名取でもありまして、『豆千代』姐さんの名(芸者姿)でハッピーお座敷ライブを展開したりしています」
これらをひとりの人物がすべてこなしているということになかなか理解が追いつかないが、本ページの写真を見ていただきたい。あまりに多様で蛍光色もバリバリ、超絶カラフルなおやじグッズの色彩に加えて王様のこのいでたち! アタマの固い人ならちょっとした狂気すら感じるこの世界へ、自ら扉を開けて入っていくにはなかなかの勇気が必要だ。
「よくあるんです。カランカラン、と扉を開ける音がして、あ、人が来た、と思って裏の作業場から出て行こうとすると、来た人が急いでまた扉を閉めて去って行く光景(笑)。やっぱりこういう秘密基地に入るのは勇気が要るんですね。子どもたちは、やってくると、目を輝かせてこちらの世界で遊んでくれますが、いかんせん、多くのお母さん方から『行ってはいけない場所』に指定されていますからね(笑)」
面白き事も無き世に 面白く
自らの活動を「ハッピー3本の矢」と呼んでいることからもわかるように、王様の活動の基本にあるのは「ハッピー」であり、それを多くの人に届ける使命感に燃えている人である。
おやじグッズの販売に際しても、ここでは通貨は「円」ではなく「ハッピー」だ。もっとも、
1ハッピー=1円でレートは常に安定しているから混乱はない。そしてハッピーと関連して工房の中に貼ってあるのが、「面白き事も無き世に面白く」「ハッピー世直し」といった言葉だ。
「『面白き事も無き世に面白く』、これは明治維新の立役者、奇兵隊の高杉晋作が詠んだ歌で、下の句は「すみなすものは 心なりけり」です。『世の中をつまらないと感じるかどうかは自分の気持ち次第だ』という意味。『ハッピー世直し』のほうの師匠は吉田松陰ですが、このところ『世直し』という言葉が重くなってしまって、『ハッピー』のほうを前面に出しています。というのも、このトム・ソーヤー工房を始めた30年ほど前は、まだ世の中に余裕があり、“なにが世直しだよ”と鼻で笑われるようなところがあって、だからこちらも対抗して言えたのですが、世の中がだんだん暗くなってきて、いま、『世直し』というとリアル過ぎて、まったく洒落が通じないようになってしまいました」
高杉晋作に吉田松陰、この固有名は、王様が長州、山口県萩市出身であることと関係がある。そのいっぽうで、マーク・トウェイン原作の誰もが知るやんちゃな冒険少年、トム・ソーヤーの名を冠していることからは、ユーモアとフットワークの軽やかさを感じさせる。
「山口から上京し、表現活動をしたいと思っていたので、東京芸大をめざして2浪するも受験失敗。美術ばかりでなく、ギターとハモニカ持って路上で一人で歌っていたりした時期もありました」
王様の20代はいわゆるバブル時代で、世の中の浮かれ具合に違和感があったという。何でも金で買い落とす風潮から遠く離れ、アナログ全開の手作り品を手がけるようになり、やがて王様は各地のイベントに積極的に参加することで知名度を上げていった。
数々のイベントに参加
トム・ソーヤー工房があるのは東京都福生市。目の前は米軍横田基地だ。
「最近ではだいぶ減ってきましたが、米軍ハウスに憧れて、住みたいなと思っていました。まるで映画のセットみたいな住居でかっこいいじゃないですか。だからもともと福生には関心があったのですが、福生のカフェ・アルルカンで展覧会を見た帰り、ここを通りかかったら『空き物件』と書いてあり、これはご縁だとピンと来て、翌日にはもう契約することに決めました」
工房を始めて30年。福生にアトリエ=ショップを構えたのが2001年で今年24年目。このけっして短くない生産&お披露目の活動には、この定点以外にも多くのイベント参加があり、それがトム・ソーヤー工房ファンの広がりを生むことになった。
「今はあちこちでいろいろなマルシェなど、ありすぎるくらいありますが、私はごく一部の人しか知らない頃からデザインフェスタなどに出展してもう25年くらいになります。また自分でも意外でしたが、野外フェスやクラブなどでもよくオファーをいただきます。一時期、クラブが音楽と踊りの他に、飲食やマッサージ、占いなど総合エンタメ的な時代があったんですが、オーガナイザーさんから『王様のこのおやじグッズ、これ、新しい風だよ』と言われていました」
こうして外部に作品を披露する様々な機会の中で、思わず「ええっ!」と声を出してしまった舞台がある。なんと、お正月の帝国ホテル。おやじグッズはいまや、新年を迎える帝国ホテルの「蘭の間」に無くてはならない逸品なのだ。
「最初にお声がけをいただいた時は、“ちょっと濃いけど、まあこういうのも入れておくか”くらいの考えだったと思います。実際、私以外は江戸切子や伝統芸能等、匠な世界。こちらは異端中の異端。どうなることかと思いましたが、お客様のアンケートによると、おやじグッズの評判がすこぶる良いらしいんですね。そこで毎年呼んでいただくようになり、最初は引きつるような顔をされていたホテルマンさんたちの表情も、さすがに15年も呼んでいただいているとずいぶん柔和になりました」
これからの願い、 そして子どもたちへ
王様の暮らしと制作現場にはテレビがない。あるのはラジオのみ。
「テレビを観ると手が止まってしまいますから。それにこのところ明るいニュースがまったくないですね」
ウクライナとロシアの戦争がいまだに終わらず、ガザでは子どもたちも含めあまりに多くの命が失われている。そんな世界において、今回、ひときわこちらの胸に刺さった王様の活動があった。
「イスラエルがガザの病院を爆撃したとき、幼稚園で紙芝居をやったんです。いつものように『ハッピー』と言うだけだと脳天気な気がして、紙芝居の後のハッピーソングを歌う時に、少し話をしました。『いまこうしているあいだも、地球の裏側で悲しい思いをしているお友だちがいる。国と国がどうしたら仲良くできるのか、考えられるといいね』。そして急遽、ハッピーソングの前にハモニカで『Amazing grace』を吹きました。目の前にいるのは幼稚園生だし、わけがわからなかったかもしれませんが、大きくなった時に曲を聴いて『あの紙芝居のおじさん、この曲やってた気がする』と思い出してくれたらいいな、と。そして『たしかあの時はイスラエルが爆撃で……』と記憶がつながってくれたら……。そんなことを考えていました」
今後の願いとしては、カフェとの共存があるという。
「ここでコーヒーやお茶が出せたらいいのですが、スペース的にも時間的にも、とてもそんな余裕はありません。ですからどちらかのカフェとコラボするカタチで、私の作るおやじグッズを手にしながら皆さんが談笑したり、そこから友情が芽生えたりしたらどんなにいいかと思っています」
王様には、常に手を動かしている人ならではの、身体的・具体的な温かさがある。目の前の個人をどうにか動かしたいと願うほんとうの気持ちがあふれている。
「大きなハッピーはそうそう見つかりません。些細な、小さなハッピーを見つけていくしかない。そういう小さいハッピーを日々の中で見つけるクセを付け、なんでも面白がることが大切だと思います。私が作り続けているのは、手にした瞬間、なんだこれ‘!? とあっけに取られ、思わず重い肩の荷を下に落としてしまう、でももう一度背負う際には少し軽く感じられるような、そういうおやじグッズです」
なにしろここは、「福が生まれる」と書く福生市にある秘密基地である。人によっては触れないようにしているという怪しいこの場所に、家族で、子どもと一緒に、あるいはあえてひとりきりで、ぜひ訪れてみてほしい。
“小さいハッピーを日々の中で見つける”
プロフィール
駄雑貨屋 トム・ソーヤー工房
アトリエ&ショップ 東京都福生市熊川1070
TEL:042-553-7279
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