Creators Column

旅のスケッチ 道行く人の語らい #4

建築家 / 村山雄一

コツコツコツ……、私はコツコツと描いた。
辛抱強くコツコツと。省略しないでコツコツと。
少しのくるいも許さず、私はコツコツと描いた。

風景と私の間には、このコツコツだけがあった。
私の手の動きが風景であった。山々、木々、畑、そして家並。
みんな私の手の動きだった。私はコツコツと描き続けた。

「誰ですか、私の家の戸口をコツコツたたく人は?!」と家の中から女の声がした。
「日本人の旅の者です!」と私は手を休め声をあげた。すると、
「知りません、そんな人」と返事が返ってきた。

私は昼の食事のことも忘れ、コツコツと描き続けた。
コツコツコツ……。すると
「誰ですか、私の家の戸口をコツコツたたく人は?!」と家の中からまた女の声がした。
私は咄嗟に「私です!」と叫んでいた。
通された部屋には高いところに窓が一つあるだけで、
薄暗い絨毯を敷きつめた床の上に、一人の老婆が座していた。
私は自分の描き掛けの絵を老婆に差し出した。老婆はその差し出された絵を見やりながら言った。
「この地には観光で多くの人がおいでなさるが……
お前さんのコツコツときたら、聴いていて心地よくって、
心が開かれ、自然にお前さんの手の動きに招かれ、ついつい踊り出したくなるんだ。
山々の木々も町の家々も皆んな踊り出すんじゃ……。」
そう言って老婆は絵から目を離し、私の方をじっと見つめて言った。
「ところで、お前さん、何を見なさったのかい?」
私は黙っていた。
すると老婆はコップに水を注ぎ、それを私に差し出すのだった。
私はコップを受け取るなり、その水を一気に飲み干した。
すると暑い日照りの中、何時間も絵を描き続けていた
自分に気付き、私は我に返った。
〈 あれは確かサグラダファミリア教会の
誕生の門の上だったな……
聖マリアが幼子を両手に抱えて前に押し出し……
普通、聖マリアは幼子を…胸に…抱い…て…い…る。〉
そうだ、マリアだ。私はマリアを見たのだ。すると、
今まで私の絵に目をやっていた老婆の姿がみるみるマリアの姿に変わっていくのだった。

私はこの丘の絵が幼子だとは言わない。
ただ私がコツコツと対坐していた
カサレスの丘が私のマリアだと悟られたのである。

コツコツを通して私は私のマリアを見た。
コツコツと、それは聖域の扉をノックする音であった。


建築家 村山雄一(むらやま たけかず)

1945年北京生まれ、佐賀県出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、76年に一級建築士免許を取得。その後、旧西ドイツに渡り、ルドルフ・シュタイナーの人智学思想の研究。その間、ヨーロッパ各国をスケッチ旅行、ギリシャ、トルコ、エジプト、インド、ヒマラヤにも及ぶ。西ドイツ、オーストリアの建築事務所勤務を経て84年に帰国、横浜に村山建築設計事務所を設立。
http://www.murayama-arch.com

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