Creators Column

旅のスケッチ 道行く人の語らい #9

建築家 / 村山雄一

白い大理石で出来たタージ・マハル宮殿にはまるで高貴な方がお住まいになっているようで、2階のテラスに出て、静かに美しい庭園を望む姿が今にも浮かんできそうだ。

ところで、これは愛妃への思いを込めてつくられた霊廟である。
愛しい人への思いの墓である。
基段に上って、霊廟の裏手にまわると、背後には大きな河が流れている。
その河をへだてた向い側に王は自らの黒い大理石の墓がくる予定であった。

河をはさんで、王と妃の墓をつくるという発想はどこか天の河をへだてた牽牛星と織女星の話を思い出させる。
河の流れとは、男と女の厳としたへだたりを意味するものなのか、それとも二人が出会って歩んだ人生そのものを意味するのだろうか……。

トルコ東部のネムルト・ダギというところには、標高二千メートルもの山の頂に石を積み上げた円錐状の王の墓がある。
そして遠くふもとには河が流れていて、その河をへだてた向かいに妃の眠る墓が望めるのだった。

ところで、タージ・マハル宮殿には、河をへだてた向こうには、インド平原が広がるだけで、王の墓らしき跡はどこにもなかった。

月明かりに誘われ、私は夢を見た。
王が黒い大理石でできた霊廟を出て、あとにしたのはヤムナー河の川面にキラキラと輝く白い絨毯を敷きつめた様な満月の夜であった。

王は、その河を渡り、タージ・マハルの庭の草木も白く輝いて見えた。
王は、宝石を散りばめた白い大理石のアーチ状の門の前に立った。
水ぬれのマントからはポタポタと銀色の雫が王の足元をぬらしていた。
門はひとりでに開かれ、まるで招かれでもするかのように、暗闇の中へ吸い込まれていった。

王は、静かに妃の棺のそばに身を横たえそのまま深い眠りについた。
王は、叡智であった。ムガール帝国のこの世の叡智であった。妃は無私の愛であった。

王は、自らがピラミッドの頂きに君臨する支配者であったことを忘れ、河を渡って、妃の元へきたのである。

王と妃は一つの霊廟に眠っている。 王と妃。
この「と」の間の眠りの中に、私は輝くものを見た。
それは外の月明かりとは違う、あわい光だった。
私はこの「と」の間に立った。
そしてその輝きが、私の心の芯に光を灯すのだった。
ただの叡智ではなく、それは愛を謳歌する叡智の光であった。

愛に貫かれた叡智こそ、王が河を渡ったことの印である。


プロフィール

建築家 村山雄一(むらやま たけかず)


1945年北京生まれ、佐賀県出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、76年に一級建築士免許を取得。その後、旧西ドイツに渡り、ルドルフ・シュタイナーの人智学思想の研究。その間、ヨーロッパ各国をスケッチ旅行、ギリシャ、トルコ、エジプト、インド、ヒマラヤにも及ぶ。西ドイツ、オーストリアの建築事務所勤務を経て84年に帰国、横浜に村山建築設計事務所を設立。
http://www.murayama-arch.com

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コラムを連載していた村山雄一さんが、23年5月9日に亡くなられました。
亡くなる直前までコラムの執筆を続けていました。

もう村山さんご本人には会えませんが、創った作品はのこり続け、触れることができます。
埼玉県飯能にある「トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園」は、ムーミン童話の精神を取り入れた公園です。

ふたつの酒とっくりの一つを逆さにして、そのふたつを抱き合わせたような姿をした「ムーミン屋敷」(現在は「きのこの家」に変更)、曲線を描く手すりや取っ手など、地元の西川材や珪藻土を使った建物が子どもはもちろん大人もワクワクする気持ちにさせてくれます。

水平と垂直の面で構成された四角い箱の中にいることに慣れている私たちですが、曲面がもたらす柔らかさと温かさが心地よいのは、自然界にあるものすべてが本当は曲線だからかもしれません。

公園は入場無料でみんなに解放されているので、ぜひ足を運び柔らかな空間を味わってみてほしいと思います。
村山雄一様のご冥福を心よりお祈りいたします。


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