Creators Column

旅のスケッチ 道行く人の語らい #10

建築家 / 村山雄一

人混みでムセ返る汽車の中、私の向かいの窓側の席には
歳の頃は40才代のインド人の女性が座っていた。
別にお互い言葉を交わすこともなく座っていた。
汽車は見渡す限り広々とした田園風景の中をコトコトと走っていた。
窓の外では、太陽が西の空に傾きかけていた。
真紅の大きな太陽であった。日本では見たこともない大きさに見とれていると、
その女の人は、太陽に向かって座りなおすと、
何やら静かに祈りの世界に身を呈していった。
足の踏み場もない混雑の中、大きなかごを頭にのせ、人混みをかきわけ、
行き来する物売りのかけ声とは裏腹に、
それは崇高なものと自分との結びつきの絆であった。
インドで何度か見かけた日常の生活の中の出来事であった。

このスケッチは、インド北部の町アムリスタールにある
シーク教徒の聖地を描いたものである。
木造平屋のバラックまがいの建物が隣立する町の中央に、
地面を一層分も掘ってそこを水面とし、回りに回廊をめぐらした聖地であった。
池の中央に浮かんだ黄金の輝きをはなつ本殿には、
回廊より一箇所参道が伸びていた。
回廊に取り付いた施設は全て白の大理石で統一され、
回廊ももちろん白の大理石で出来ていた。

巡礼の人々であろう、色とりどりのサリーを身につけた女性たちの
行き交う姿が水に映って水面を動いて行くのが美しい。
男性は黒い肌に白のこしまき姿と実に簡素である。
子供たちときたら髪を頭頂で丸い形に結んで白い布をかぶせている。
チョンマゲのインド版、可愛い。
多くの人々が回廊を巡っては、のんびりとした一日を過ごしている。
回廊から橋を渡り、池の中央の本殿へお参りする人の姿がある。
池の水に入り沐浴する人の姿がある。
回廊の縁に立って黙って水面を見つめている人の姿がある。
あぐらをかいて、回廊に座っている人の姿もある。

水面と回廊とが一体となって、
私にはヨーロッパの都市によく見かける広場に思えてきた。
それは周囲を建物で囲まれた広場ではあった。

しかし、車や人の行き来する生活の臭い、活気、
それに喧噪というものはなかった。  それでも「広場」であった。
個としての人が宗教のもとに集まり、ここでは人と大地、太陽の光、
それに水との絆を感じとって生きている共存の「広場」であった。

子供達が大声を出したり、走りまわったりする光景がないのは、
やはりここは聖地だからだろう。
ゆっくりとのんびりした静かな一日が終わる頃、
突然カケ声の音頭と共に皆のバケツリレーが始まり、
池の水をくみ上げては白い大理石の回廊の床を洗い流すのだった。

日本で少年の頃、一日の終わりに玄関を洗い流した日々を思い出す。
ここでは池の水で身を清め
一日の終わりには皆の共存の「広場」 を清めるのだろうか……。
日常生活の中の巡礼を私は見た。



建築家 村山雄一(むらやま たけかず)

1945年北京生まれ、佐賀県出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、76年に一級建築士免許を取得。その後、旧西ドイツに渡り、ルドルフ・シュタイナーの人智学思想の研究。その間、ヨーロッパ各国をスケッチ旅行、ギリシャ、トルコ、エジプト、インド、ヒマラヤにも及ぶ。西ドイツ、オーストリアの建築事務所勤務を経て84年に帰国、横浜に村山建築設計事務所を設立。
http://www.murayama-arch.com

インタビュー記事はこちら


コラムを連載していた村山雄一さんが、23年5月9日に亡くなられました。
亡くなる直前までコラムの執筆を続けていました。

もう村山さんご本人には会えませんが、創った作品はのこり続け、触れることができます。
埼玉県飯能にある「トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園」は、ムーミン童話の精神を取り入れた公園です。

ふたつの酒とっくりの一つを逆さにして、そのふたつを抱き合わせたような姿をした「ムーミン屋敷」(現在は「きのこの家」に変更)、曲線を描く手すりや取っ手など、地元の西川材や珪藻土を使った建物が子どもはもちろん大人もワクワクする気持ちにさせてくれます。

水平と垂直の面で構成された四角い箱の中にいることに慣れている私たちですが、曲面がもたらす柔らかさと温かさが心地よいのは、自然界にあるものすべてが本当は曲線だからかもしれません。

公園は入場無料でみんなに解放されているので、ぜひ足を運び柔らかな空間を味わってみてほしいと思います。
村山雄一様のご冥福を心よりお祈りいたします。

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