旅のスケッチ 道行く人の語らい #2
福岡から筑紫山地を越え、佐賀に入ると筑紫平野が有明海に向かって広がっている。
その山地のふもとの小さな村に母の姉が嫁いでいた。家は農家であった。
農家には珍しく、赤レンガ造りの納屋が遠くからの目印であった。
背にした山地の山並みには、標高の一番高い天山が訪ね行く私といつも対座していた。
── ウイグル地方に同じ名前の天山山脈と言うのもある が、何の印であろうか……。
空の雲は雨となり、山々の雨を集めて渓流となる。道と家の敷地の境には小川が流れていた。
人々はその水を引いて村の生活にあてる。たんぼへの引水はもちろんのこと家庭で使った食器の洗い、洗濯、そして農作業で泥のついた物の洗い等……。
清く流れの速い水であった。禊でもあった。洗いものをする人の手の何と美しかったことか。
赤いレンガ造りの納屋には牛がいた。ワラと牛のフンでムッとする窓のない暗い空間に黒い大きな動物が身動きもせずじっとしていた。時おり尾をはね上げたりして……。
この黒いものに飛びかうハエの群。
まるで考えごとでもしているかのような、今にも話しかけてきそうな大きな瞳。
小学校に上がる前の私には一人でそっと覗く、怖いそれでいてうるんだ大きな納屋の瞳であった。
仏領から「ルルドの泉」のあるピレネー山脈を越え、スペイン領に入り少し下ったところの、とある村のスケッチである。
小川が流れていた。川を渡り、ブドウの木がからまった白い漆喰壁の横を左にまがって、道は村の中心へと続いていた。
両脇の石造りの建物に挟まれた石だたみの道には広場らしきものは見当たらず、丘の斜面に沿って上の方へと続いていた。
石だたみを登りつめると、そこに古い教会があった。
その先は草地だった。
夏草に覆われた行く先を古い教会は今も静かに見つめているのだろうか……。古城は塔と外壁の一部を残して廃墟となり、夏草や、と芭蕉の夢の跡と化していた。
日本から持ってきた紙巻き鉛筆は芯が太く、ある程度の柔らかさがある大変便利な鉛筆である。
それは暑い太陽の光に溶け、ヌルリと画面の上をすべり、
自由な手の動きを跡づけてくれる黒なのだ。
白い画面の上を黒が踊り出す。
私はスペインの旅で、夏の日照りの中、草原にじっとして動かない黒い牛の姿を見た。
それは暑さに耐えている黒なのか、否、日の光を黒く体内に吸い込んでいる闘牛の黒なのだ。
私は描いた。
夏の日の暑さを。太陽の輝きを。
黒い意志となって、画面の上を踊った。私は鉛筆の走りなのだ。今、私は黒なのだ。あるいは、川を渡り、
すぐそばにあった納屋の大きな黒い瞳なのだろうか……。
一人の農夫がロバを引いて水を求めて小川に近づいてきた。
そしてまた、ロバを連れて小さな石橋を渡り、村の方へと消えて行った。
建築家 村山雄一(むらやま たけかず)
1945年北京生まれ、佐賀県出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、76年に一級建築士免許を取得。その後、旧西ドイツに渡り、ルドルフ・シュタイナーの人智学思想の研究。その間、ヨーロッパ各国をスケッチ旅行、ギリシャ、トルコ、エジプト、インド、ヒマラヤにも及ぶ。西ドイツ、オーストリアの建築事務所勤務を経て84年に帰国、横浜に村山建築設計事務所を設立。
http://www.murayama-arch.com
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