Creators Column

旅のスケッチ 道行く人の語らい #6

建築家 / 村山雄一

この柱一本、どの位(費用は)かかってるのだろう!?
石を削るッたって、図面は無いし
(当時、図面などあったとは考えられない)
手元狂ったらもう終わりジャン。
柱に限らず、壁の仏像も皆んな一つの岩から
彫り出されているんだ!! ……。

ヤーヴェの神がダヴィデに要求した「私の名前の為の家」、それを〈神殿〉という。
以来、古今東西をとわず、いつの時代にも、人は生活空間のどこかに、この〈神殿〉を見出してきた。
ギリシャのパルテノン神殿は町の中央に位置し、どこからもその姿が眺められる小高い丘の上に建っている。
列柱に囲まれた〈神殿〉の内部には、聖職者のみ入ることを許された聖室が在る。
一方、インドのアジャンタ石窟寺院は岩をくりぬいた空間である。
外からの見た目には、岸壁に入口の穴とその付け柱だけが望める〈神殿〉である。
聖室はなく神はどこに住まうのだろうか。偶像崇拝だから聖室は必要ないのだろうか。
そして〈私の名前〉とは、一体何を意味するのだろうか……。
紀元を前後して、インドとギリシャの〈神殿〉のあり様の違いには、
〈神殿〉を創った人間の意識の違いが感じられる。
そして〈神殿〉で有る限り、そこには〈私の名前〉の居場所があるはずである。
ギリシャ的思考は知性的である。形態をはっきり知的に把らえ、
それに素材をつけ加えるようにして、外から形を創る。
現代でも受け継がれている建築設計の手法であり、現代の銀行の建物にギリシャ風の柱が、
突然出現したりする由縁である。足し算、引き算の世界であり、凸思考とでも言えるだろう。
インド的思考は感覚的である。
形態は素材の内から生まれてくる。石を穿つことで、素材のもつ作用力(願望)が空間に形姿となってあらわれてくる。
現代の私達にはちょっと真似のできないことであり、削りだすことによる凹思考と言えないだろうか……。
凸思考であれば、「私の名前」の居場所は列柱の奥の大理石に囲まれた聖室である。
ところが、凹思考となると、聖室はなく、壁に顕現した仏像と仏塔のみがある。
ただ、浮彫りの彫刻や文様の形象の内奥から響いてくる何かがある。私には穿ち出された仏像の向こうに、
まだ眠っている聖室を見る思いがした。そこが「私の名前」の居場所である。畢竟 私なのだ。
そして、私は、ギリシャ的でなく、インド的な思考をもって、建築の道を歩んで行こうと思った。
私は知的であるより、物自体の内からの思考、そういう世界の一員でありたいと思ったのである。


建築家 村山雄一(むらやま たけかず)

1945年北京生まれ、佐賀県出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、76年に一級建築士免許を取得。その後、旧西ドイツに渡り、ルドルフ・シュタイナーの人智学思想の研究。その間、ヨーロッパ各国をスケッチ旅行、ギリシャ、トルコ、エジプト、インド、ヒマラヤにも及ぶ。西ドイツ、オーストリアの建築事務所勤務を経て84年に帰国、横浜に村山建築設計事務所を設立。
http://www.murayama-arch.com

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