Creators Column

旅のスケッチ 道行く人の語らい #7

建築家 / 村山雄一

アジャンタ石窟寺院
紀元前1世紀~6世紀半

「ワーッ デカ!
カンノン山のみんな、連れてくれば良かった……」

釈迦入滅の像は私に一枚の写真を思い出させてくれる。
ひじ枕をして横たわる出口王仁三郎の『霊界物語』口述風景である。すわり机を前にして、三人の和服姿の書記らしき者が畏まってすわっている。
そして、三人の向こうに出口王仁三郎が横になっている。
寝たままの状態で彼の夢みる啓示が彼の口を伝って物語として言葉に記される。
このように夢の中から「言葉」が生まれる。
古来 頭で考えるのでなく、夢の中からイメージとして生まれてくる物、それが「言葉」であった。
魂で見、霊で聴く、それは秘儀の「言葉」であった。

「涅槃の教え」とは、
葬儀に参列した人々を前にして、この司祭は何を説いているのだろうか。
「現世の苦しみ、煩悩、欲望も釈迦の教えに従って生きるなら、あの世でこのお釈迦様のように、悟りの平安なやすらぎの境地(涅槃)に至るであろう」と説くのであろうか。

涅槃は死んだあの世ではない。
死んで解脱するのではなく、また解脱して死ぬのでもない。
デカい釈迦の太平な境地こそ、「死して成れ」と言っているのである。
そして死とは霊化ということであろう。物を霊に変えよ、と言っているように思えてくる……。
このことは、出口王仁三郎の「上からの啓示」とは逆の「下からの啓示」、つまり日常の物質世界に埋もれていないで霊と供にあれと説いているのである。
夢みる世界からではなく、感覚的物質の世界に生きながら、私という個性化された、
物としての「言葉」を再び甦させること、そのことを指して霊に生きる、というのだろう……。
R.シュタイナーはその著書『神智学』の中で人間の生命には3つあると言っている。
1.肉体の生命 2.魂の生命 3.霊の生命の三つである。
1.肉体は成長し、又衰えていく。2.あれが食べたい、これはイヤ、と私達は確かに1、2の生命を生きている。けれども3つ目となると「うーん?」となる。

昔、大工の棟梁に私が設計した建物の軸組模型を前にして「ここのところはどんな仕口(※)になる?」と質問したことがある。そしたら「材木ミネート解ンネー」と笑い返された。
経験豊かな大工ならこういう場合にはこういう仕口を使うということぐらい解るはずなのに、と私は思った。
しかし、このことは物をあつかう職人の生きざまなんだ。

大工の仕事は学んだ知識通りに材木に墨付けをしたら、きざみ加工してそれを現場で架構するだけのものではない。
木材をまず見ることから始まって、その材木の声に耳を傾ける。そして材の素質を見抜き、その物と職人との間に「言葉」が生まれる。
直感という土台の上に成り立つ合一である。職人の手は、自然と何かに導かれるように動き、そしてこれまで
たくわえられた彼の技術はそのとき助人としての役目を果たす。

これを霊に生きると言わずして何と言おう。
私にとってのこれが「涅槃」である。
人間の生活の隅々に私はこの「涅槃」を見出していきたい。

※柱、梁などを釘などの金物を使わずに組み合わせるその技法。そのために木材を削り加工する細工。相撲だと右四つ、左四つ、もろざしなどを意味する、と考える。


建築家 村山雄一(むらやま たけかず)

1945年北京生まれ、佐賀県出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、76年に一級建築士免許を取得。その後、旧西ドイツに渡り、ルドルフ・シュタイナーの人智学思想の研究。その間、ヨーロッパ各国をスケッチ旅行、ギリシャ、トルコ、エジプト、インド、ヒマラヤにも及ぶ。西ドイツ、オーストリアの建築事務所勤務を経て84年に帰国、横浜に村山建築設計事務所を設立。
http://www.murayama-arch.com

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