Creators Column

旅のスケッチ 道行く人の語らい #8

建築家 / 村山雄一

アジャンタ石窟寺院
紀元前1世紀~6世紀半

汝はルツィフェルなのか、それともデヴァ神?あるいは応身仏か……!
人間の内に宿して、時として顕現するこれらの神々。
カンノン山のみんな、連れてくればよかった。

「アダムとエヴァ」の宗教画では、りんごをはじめて人間が手にするのは、
きまってエヴァの左手によってである。
その左手を私はなる程と思う。
そしてりんごを受け取ったのはアダムの右の手であったと思うのである。
男の右手は利き手である。
その利き手を使って田を耕し、長い歴史を経て、今日の文明社会を築きあげてきたのは、その右手だったと言える。
ところでこのスケッチの女は、豊満な肉体をくねらせて、右手に法具(注) らしきものをかざして「どうなの!?」と問いかけているようである。
そして、男は身を隠すかのように、いや小間使いよろしく、女のそばに立っている。

空海にも確かに右手に法具を持った肖像画がある。
法具はこの世の煩悩の苦しみを解脱するためのものであろう。
有難い、大切な、高貴なそしてお守りみたいなものであろう。
彼の行ずる右手には、常にその法具があったのであろう……。
それを女が右手にかざしてみせるとは。

「行ぜよ」 と言うのか、汝は私の内に居場所を見つけそれを私に「行ぜよ」 と言うのか。

私には、右手にかかげた法具がまるで赤いりんごに見えてきた。
法具を持ち合わせていない私にはこのことを認識することだけしかなかった。

私は日本から持ち歩いている大筆を取り出し、右手に持った。 咄嗟にこれでは描けないと思い、大地に投げつけ、擦りつけボサボサになった筆先でこの女に向かった。そしてこのスケッチは描きあげるまでの束の間の出来事であった。

女のそばに立つ小間使いの男こそ、私なのだ。私は夢見た。小間使いの男の右手がそっと女の方に伸びていって、女から法具を受け取ると、男はそれを大事そうに懐へ仕舞うのだった。
そしてその法具は男の心臓の鼓動と血の温かさによって外的な物としてでなく、麗しい、愛しい赤いりんごに変わった。
生命の力と成るのだった。

カンノン山をあとにして、一家そろって佐賀より東京に出てきたのは、高校の時である。
その頃の私の父は「浅草の観音様のところへ行ってくる」と言って家をあけることがよくあった。
観音様? カ・ン・ノ・ン……山…?
そうかカンノン山は、漢字で観音山と書くのか!と、自分の住所など一度も書いたことのなかった少年の頃の私の思い出である。
そして、二十代後半になって、 ヨーロッパに渡り、ドイツで霊視、霊聴という秘儀の言葉に触れた。
この時私の心では、 「そうか、観音様のことか」 と納得が行く思いだった。

私の父は識っていたのだろうか。
観音様の観はみる、そして音はきく、
よって観音様とは霊視、霊聴の人であることを。
そして、観音山という山里は子供の頃の私には自然と一体の天国の遊び場であったことを。だから言える。
浅草は私であり、私自身の内に観音様を見つけることができるということを。

(注)
仏事に用いる器具のこと。仏教のなかでも密教と呼ばれる真言宗と天台宗の儀式で使用される道具は密教法具と呼ばれる。弘法大師空海が唐から帰国する際に経典や仏画とともに持ち帰った密教法具の多くはインドやチベットに起源がある。有名な空海の肖像画で手に持っているのは、金剛杵と呼ばれる法具である。


建築家 村山雄一(むらやま たけかず)

1945年北京生まれ、佐賀県出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、76年に一級建築士免許を取得。その後、旧西ドイツに渡り、ルドルフ・シュタイナーの人智学思想の研究。その間、ヨーロッパ各国をスケッチ旅行、ギリシャ、トルコ、エジプト、インド、ヒマラヤにも及ぶ。西ドイツ、オーストリアの建築事務所勤務を経て84年に帰国、横浜に村山建築設計事務所を設立。
http://www.murayama-arch.com

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