世阿弥
室町時代の能楽師。
幽玄美あふれる能を、日本の芸術へと大成させた。
時の権力者の庇護を受けるも、名誉や利益に左右されることなく、
芸の追求に勤しみ、役者としての才能を開花させた。
一子相伝の教えとして記された『風姿花伝』は、
世阿弥が到達した日本の霊性の核心に触れることができる。
人間以外の存在を表すために被る、能面。
翁は、表情はにこやかな笑みをたたえた健康的な福相で、幸せを呼ぶと言われている。
彩色には、白式と肉式があり、白式は存在が神に近く、肉式は人間に近いと言われている。
「能」は、世界の中でも独自の光を放っている。
「静」の中に秘められた「動」。人間の情と霊性との境界。幽玄の美。
「能」を生み出した世阿弥(ぜあみ)は、いかなる人物だったのだろうか。
1363年、日本は室町時代。伊賀あるいは大和で、大和猿楽の有力な役者であった観阿弥(かんあみ)の子として、世阿弥(ぜあみ)は生まれた。幼名は鬼夜叉(おにやしゃ)、実名は元清。後に擬法名的芸名として世阿弥陀仏と称し、その略称が世阿弥である。
当時の猿楽(さるがく)は、物まねなどを中心とした滑稽な笑いの芸から発展し、次第に高度で複雑なものに変化していった。「座」が生まれ、寺社の保護を受けるようになり、武家にも好まれた。観阿弥は旋律に富んだ「曲舞(くせまい)」を編み出した革新者であった。世阿弥も幼少の頃から父の一座に出演した。若干12歳の世阿弥に目を留めたのが、室町幕府第三代将軍、足利義満である。義満がこの美少年を寵愛したため、諸大名も将軍の機嫌をとるために競って世阿弥に贈物をしたという。文学的教養を備えていた義満という理解者と、それに連なる武家社会、および貴人達との交流は、後の芸術創造の上で世阿弥に大きな影響を与えた。
1384年、21歳の時、父の観阿弥が死去。世阿弥は観世座の長の立場である、大夫(たゆう)を引き継ぐ。世阿弥は能をより洗練された芸術に高めようと試みていた。また、顧客である当時の貴族、武家は幽玄を尊ぶ傾向にあり、彼らの好みの作風も取り込むことで、幽玄美を携えた能の形である、「夢幻能」を作り上げたとされる。
31歳から36歳、世阿弥の生涯における隆盛期には、義満の春日社への参拝における一乗院での猿楽、盛大な勧進猿楽など、その活躍は凄まじく、名声が一気に広がった。世阿弥がこの時期に書き進めていた『風姿花伝』には、形成期の能の姿が進行形のように書き留められている。
1408年、45歳の時、最大の擁護者だった義満が没し、義持が将軍となる。義持も鑑賞眼が高い人物で、世阿弥も将軍の好みである「冷えたる能」に合わせ猿楽を深化させていった。無文の能への深化を進めた世阿弥だが、義持が猿楽よりも田楽を好んだせいか、幕府からの恩恵に陰りが生じ始め、さらに義持が没し義教の代になると、世阿弥に対し次第に圧力がかけられるようになった。
1422年、59歳の時、長男である観世元雅に観世大夫の座を譲り、世阿弥は出家する。将軍となった義教は、世阿弥、観世元雅親子を退け、世阿弥の甥にあたる音阿弥を重用し、恩恵を与えた。世阿弥は御所への出入りが禁止され、楽頭職も罷免となるが、公演の場や地位を奪われながら、『花鏡』、『至花道』、『三道』など、今日に残る芸能論を書き上げている。
1432年、69歳の時、長男の元雅が死亡。音阿弥への秘伝の相伝を拒んだため、世阿弥は1434年、72歳の時に、将軍義教によって佐渡へ流刑された。流刑先において73歳で記した『金島書』を最後に、世阿弥の消息は途絶えている。1436年まで在島し、義教暗殺後に帰洛したとも言い伝えられるが、事実は不明である。
観世座の大夫として、演者として、また演出家として、幽玄美を理想とした美しい能を創造し、現代にも生きつづける芸術にまで磨き上げた世阿弥。世阿弥の作品とされるものには『高砂』、『井筒』、『実盛』など50曲近くがあり、現在も能舞台で上演されている。「秘すれば花」「ただ美しく柔和なる体、これ幽玄の本体なり」「見所より見る所の風姿は我が離見也」……。世阿弥のエッセンスは、現代においても日本人の霊性を象徴する深みを持っている。
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