『Interview Archive』は、過去の『NewsLetter』に掲載されたインタビューです。

2023年4月5日に「ムツゴロウさん」こと、畑正憲さんが他界されました。畑さんと言えば、危険な野生動物と平気で戯れたり、どんなものも口にしてしまったりという行動で、人々を驚かせてきました。そんなテレビでおなじみの畑さんの訃報にショックを受けた人も多かったのではないでしょうか。
今回の『Interview Archive』は、追悼の意を込めて、畑正憲さんの2007年のインタビューを再掲いたします。


Interview Archive #38

動物とのコミュニケーション

畑正憲

誰かと何かが通じたと感じる瞬間、
そこには言葉を超えたコミュニケーションが起こっている。
目の前の相手をリアルに感じ、自分の五感を研ぎ澄ます。
動物とのコミュニケーションにおいては、
先入観に縛られない素直な感性が、もっとも重要だ。
今回は、どんな時も体当たりで動物と関わり合ってきた、
畑正憲氏にお話を伺った。


そのバリアが解け合ってポンと弾けることがある。その嬉しさに生き物とつきあっているようなところありますよ。

人が見落としている疑問とか自分の感性に引っかかってきたものに対して、どれだけ自分を偽らずに熱心に、機会あるごとに追求し続けるかということでしょうね。

インタビューより

畑さんは動物と関わる時、どんなことに気をつけていますか?

私は、できるだけ自分の素のまま、全部胸を開いて構えずにつきあいたいと思っています。それが一番通用するみたいですね。前もってその動物の様子を見ておいたり、エサをやっておいたり、そういうことはしないんです。何の先入観も無しに、とにかくぶっつけ本番でつきあってみてどうなるか、という驚きから入るということをやってきました。

一般の人が持っている動物に対する先入観や固定観念を、畑さんが外して見せたことに、みんなが 「おおっ!」と目を開いたのかもしれません。

それはありますね。やっぱり生のものというのは常に新鮮さがあります。また現実に生きていることへの反省を与えてくれますからね。私は人間と動物をあまり区別したことないんです。地球上の同じ仲間だと思っていますから。まったく言語が通じない場面では、もうボディコンタクトと笑顔。そうじゃないと人間と人間とのコミュニケーションも成り立ちませんし、動物も同じなんですね。自分を素直に出さないと相手の拒絶反応を呼びます。受け入れてもらえれば嬉しいし、拒絶されたら、あ、やっぱりちょっと違うんだなっていうことがわかりますから、それはそれでまた嬉しいんですね。

動物と何かが通じた、と思う瞬間、どんなことをお感じになるのですか。

まず、生き物はいろいろな感覚によって守られているんです。あなたが道を歩いている時も、漫然とは歩いていないはずです。向こうからおっかない人が来たらちょっと避けたり、よちよち歩きの子供が来たら通してあげたり、車が来たら危険性を計算に入れて身を処したりということを自然にしていますね。
知らない生き物と私が出会った場合、私自身も自分を守る感覚が働くし、向こうも守る感覚が働いている。それぞれにバリアがあるんです。そのバリアが解け合ってポンと弾けることがある。その嬉しさに生き物とつきあっているようなところありますよ。
たとえば象のそばに裸で近づいていきますね。そういう時には皮膚がざわざわざわっとするんですよ。毛が逆立つ思いがするし、心がすっとぶんですよね。最初はそういう感じで始まって、そのうち相手が心を許すようになると、何かがふっと柔らかくなる。鼻先をちょっとつけただけでバリアがある時と、完全に解けた時とでは、まるで違う感覚なんです。化学反応みたいなもので、透明な水の中に赤いインクをぽとんと一滴垂らすと、ふわっと散っていくような。相手の心の中に入ったと、それを感じる心が自分にはあるんです。これは完全に相互作用だと思います。たぶんお互い同じ様なことを感じているんじゃないでしょうか。そうやって触っている時というのは何かが違うんですね。やっぱりそこには愛があるんですよ。歯の浮くような言葉ですけれど。だから愛を感じる時というのは、彼らとたくさん話ができるきっかけになると、私はそう信じています。

畑さんの視点から人類という動物は、どのように見えますか?

愛とか、希望とか、理想とか、夢とか、そういう概念を持って、獲得するために努力するのは人間だけです。そういう概念を脳の中で作り出すわけですよ。そういう意味では人間と動物は非常に違います。たとえば犬に「お前の夢はなんだ?」と聞くのは、まったく無益なことです。だから男女の関係なんかでも、私は好きになったら一瞬抱き合えばそれでいいじゃないかと思うんですけれども、やれ家が欲しい、姑と一緒に住みたくないとか、いろいろな条件が出てくるわけでしょ。そういうのは人間の可愛いところでもあり、切ないところなんですね。
小さいことで自分の違いを際立たせたり誇りに思っていたりする。たとえばブランド物の洋服を買っただけで、偉くなったり美人になったような感じを覚えたり。そういうのを私は全然否定しないんですよ。ああ、すごく可愛いなと思うんです。だから、たとえばひじ鉄を食らっても「可愛い」と思っちゃうので喧嘩にならない(笑)。それは不思議な人類だけがもつ属性ですよね。
ただ非常に難しいところもありましてね、特に脳が複雑に発達しているから、長い時間をかけて社会に適応していくわけです。どんなに変わっていようと、悪癖を持っていようと、人と会話ができるのなら適応しているということになります。でも育つ過程において何らかの障害が生じてしまうと、もう人間同士のコミュニケーションに対して反応しにくくなってしまうことがあるんですね。そういう人は、私などにとりましても非常に難しいです。どうしたらお互いに解け合えるだろうと真剣に考えますけれど、やっぱり難しいですね。

畑さんが先ほどおっしゃっていた相手の前で「素になる」という状態は、ものすごく胆力が必要な気がします。

人間は自分の恥ずかしいところを、なかなか示せないかもしれませんね。でも未開の村に行った時、それまで外国人に会ったこともないような人が笑ってくれたり、親しみを感じてくれるようになるのは、こちらが人間的な弱点をさらした時なんです。ですから自分の弱点をさらせるというのは人間とつきあう時の武器と言ってもいいかもしれません。
こうやってお客さんをお迎えしますでしょ。こんなに散らかっていますけれど(笑)、言ってみればこれは全部、私の創作の秘密の部分です。そういうものをすべてさらけだせるようになりました。やっぱり長いこと生きて経験を積むと、そうなるのかもしれませんね。それと、やはり自信もあるかもしれません。俺は俺だという。人の悪口とか批判とかをあまり気にしないようになりました。言いたいように言え、書きたいように書いてくれと、そういう心境に近づいてきておりますね。

お若い頃からそうだったのでしょうか。

いえ、若い頃は本当に鼻持ちならない人間だっただろうと思います。自分に何ができるかもわかっておりませんでしたから、とにかく自分を大切にしながら一生懸命に勉強して、何かを突き破るように生きていた時代があるんです。それが生き物とたくさんつきあうようになって学んだんですね。騙されたり、馬鹿にされたり窮地に落とし込まれたり、いろんなことを経て人間も丸くなったんじゃないでしょうか。

畑さんについて、野生の大自然とか原始的な暮らしの中にも平気で入って行くというイメージを持っている人が多いと思いますが、実は都会的なものの中にも、どんどん入って行かれますよね。

はい!テレビではナメクジ食ったり、ヘビ食ったりするところばかりがクローズアップされますが、本当はディレクターやプロデューサーよりも遥かに多い回数、最高のレストランで食べています。文化に対して両生なんですね。区別しませんから。
以前、私は素材の味を追求して生きていた時代というのがあるんですよ。たとえばサーモンがどうしてもわからない時代があったんですね。そういう時には「よし、世界中のサーモンを自分の手で釣ってやろう。そして、その場で解剖してやろう。その場で自分の方法で食べてやろう。」と思うんです。全部やりましたよ。キングにしろ、シルバーにしろ、レッドにしろ、世界中を回って、最後は潜って一緒に並んで泳いで、やっとサーモンと一体になれた気がするんです。それをやり尽くした時に、人間が料理として持っている質は自然の恵みとは別のところにあると気がついたんです。
たとえばフォアグラでも、かつてはフレッシュ・フォアグラしか食べなかった。ところが自分でもテリーヌを作ってみて、いかに難しいかが身にしみてわかったんですよ。あの薄桃色の一片を取って口に入れた時の味の広がり。人間が開拓した新しい味の広さみたいなものに感激するようになってからは、もう今度は逆にテリーヌばっかり食べています。私は好きになると高いレストランでも、何回も何回も通いましてね、もうそれこそ浴びるんですね。そうすると過剰に取ることによって向こう側が見えてくるんです。

その極端さというか、ほどほどを知らない、という性質があったからこそ、きっと今の畑さんがいらっしゃるんでしょうね。

はい。本当によくおっしゃいました。ほどほどを知らないんです。アホなんです。たとえば、韓国行ってサムゲタンが好きになったら、なんとかしてサムゲタンを自分の手で作れないか。サムゲタンはどういうものなんだろうと一生懸命やりますでしょ。今度はコチジャンという調味料に惚れたら、十日も二十日もコチジャンばかり食べる(笑)。とにかく好奇心と自分を納得させるということに楽しみを持っています。
スーパーマーケットにも毎日のように行きますけれど、売り場で材料を見ていると、どうやって食ってやろう、これかな、あれかなと空想しますでしょ。それで今度はそれに合わせる野菜とか調味料とかと睨み合いながら考える。こんなに楽しいことないですね。嬉しいですよ、生きていて。私の人生のモットーは、自分が普通に楽しむことより、もうあと何段階かグレードアップしたところで生きていることを楽しみたい。こういう飽くなき情熱があるみたいです。

自分の持っているバリアさえ超えてしまいたいぐらいの……。

超えちゃいたい(笑)。はい。もうこれは学問にしろ、歴史にしろ、全部そうです。どうもそういうアホなところが私にはありますね。競馬の小説を書く時に、騎手に取材しても彼らは抽象的な感覚を人に伝える才能なんて持っていない。だから、自分で馬を買って草競馬に出たりして、やっているうちに今度は騎手としての本能が目覚めましてね(笑)。二十年ぐらい一生懸命馬に乗るんですよ。そうすると見ていただけでは獲得できない、喜びとか悲しみとか馬との一体感とかそういうのがわかってくるんですね。
こういう話は普段あまり聞いてもらえないんだけれど、私は絵が好きなんです。サマーセット・モームが『お菓子と麦酒』という作品の中で画家を書いていましてね、私も若い頃、アンリ・ルソーをテーマにした小説を書きたくなった。それでフランスに行くようになってルソーのアトリエに一日座っていたりとか、そんなこともやったんですよ。で、ルソーが葉を描く時にあの緑色を出す時にどうやったかと考え出したら、自分で絵の具を買って塗り始めて、そしたら形が出て来て面白くなっちゃって、今は絵描きですよ。もう銀座で個展を始めて今年で二十四回ですよ。

小説は置き去りにされたまま……(笑)。

一行も書いていないんですよ(笑)。私の悪い癖で一番好きなことは後回しにするんです。今でも書きたいという気持ちはありますよ。当時はあっちの美術館、こっちの美術館と、もう足が棒になるくらい歩いて画家のこともたくさん調べました。そうやって調べていると今度はヒエロニムス・ボスにぶつかって、彼の「天国と地獄」という絵を見るためだけにマドリードの美術館に見に行ったり、マリー・ローランサンの人生に興味を持ちだしたら、それを調べるのに夢中になったりね。

いろいろなお話を伺っていると、時間や分野を越えて、普通では触れることのできない究極のエッセンスみたいなものを追及されているような感じがしますね。

人間は、この限られた人生の中で100年は生きません。エネルギーを持って生きられる期間というと最盛期で40年でしょうね。その40年を自分らしく夢中になって、「えーっ、生きているってこんなにすごいの!?」と、毎日思える生き方をしたいんです。それは人が見落としている疑問とか、自分の感性に引っかかってきたものに対して、どれだけ自分を偽らずに熱心に、機会あるごとに追求し続けるかということでしょうね。それが、本物のエネルギーになるのでしょう。

畑さん=動物という風にメディアでは紹介されることが多いですし、読者や視聴者もそれを期待しているところもあるのだと思いますが、本当はギラッとした、ちょっと狂気に近い部分もお持ちなのではないかと感じておりました。

やっぱり狂っていますね。自分でそう思います。おかしいですよ。で、それを誇りに思っているところもあるんです。私、後悔していませんから。
デビューしてすぐ、編集者に「ムツゴロウ」というニックネームをつけられちゃったんですね。それからはムツゴロウがひとり歩きし始めて、私も仕事をする上でその方が楽な部分もあるから、それはそれでいいんですよ。もう、そろそろこの世とおさらばしますから、どっちでも全然構わないことです。

現代人は、あまりギラッとしたもの、生々しいパワーとかそういうものに触れないで育ってきているので、たとえば料理でも野生のものとか、未知の味に対しては、強すぎて美味しさを感じられないということがあるようです。

私が若い人に何か忠告できるとしたら、そういうところかもしれませんね。何事も一回で評価しないことです。評判になった店があったら100回通いなさい。私はトゥールダルジャンに最初行った時、あそこの名物料理である「鴨の皇帝風」を美味しく感じなかったんです。どうしてだろう、と思いましてね。じゃあ美味しく感じるまで食べてみようって、30回くらい通いましたかね。毎回、同じものを食べるんです。そしたら、7回目か8回目くらいから、もう朝から嬉しくてたまらないの。揉み手するような気持ちで「今日あれが食べられる、食べられる」ってニコニコしてくる。それでフランス料理がわかるようになりました。
異文化の料理を1回食べただけでおいしくないと言うのは間違いなんです。性急に結論を出すと、すごく損しますね。100回食べてみて、200回食べてみて、自分で作ってみて、それで評価しなさいと言いたい。自分の体に「浴びた」ら初めて味覚も反応し始める。それは自分にとってもすごいことですよ。だからイタリア料理でもイタリア中を食べ歩いて、食べて、食べて、食べて。そういう経験を積んでいくと、最高のシェフがお客として尊敬を持って遇してくれるようになるんです。彼らは表情でわかるみたいです。僕が入っていって座って注文して食べて素晴らしかったよって言うと喜んでくれる。仲良くなって台所に入れてもらって、作るところを見せてくれるようになります。

きっと、その価値がわかる、ということがお互いダイレクトに通じ合うのでしょうね。さて、話は変わりますが、畑さんは、これからの未来がどんなふうになっていくと思われますか?

人間の未来は、もう先が見えていると思います。あと100万年は無理だし、10万年単位で駄目になるでしょうね。人間が過剰に築き上げてきたものが地球とバッティングするようになって、大災害をもたらすでしょう。人類が創りあげてきた文明は、だいだい今の人口の5分の1ぐらいで共有するのがちょうどいい、と私は理解しているんです。こうまでグローバル化して、中国から東南アジアにかけての人たちが、ひとりひとり文明的な生活を要求し始めますと、とんでもないことが起こります。本当に恐ろしい変化が起こると思います。あと15年で地球は激変するでしょう。温暖化と大量消費と汚染とで地球を狂わせています。南極の氷が溶けるのも、もうそこにきているんですよ。
そのことを考えていると薄いガラスの上に、私たちの命や文明や文化が築かれているというのが感じられて、とても怖いですね。テロひとつをとっても、今はまだ貿易センタービルをぶっ壊すくらいで済んでいますけれども、ちょっと頭のいいテロリストが考えたら、東京を全滅させるのなんてわけことないです。私なんかがテロリストになったら簡単です(笑)。

戦後に生まれた日本人は特に「次の瞬間、何が起こってもおかしくない」というような危機意識が薄いようです。これから未来を生きて行く子どもたちに対して、どんなことをお感じになっていますか?

私はしょうがないと思っています。もう、お前らはお前らで、いつか危険を感じなさい。そのかわりしっかり勉強しなさい。それしかないですよね。沈みかけた太陽を呼び戻すことは神に反する行為なんです。私はそういう諦めも持っているんです。落ちてゆく夕日は夕日として直視していなきゃいかんという思いがしますね。決して明るいものじゃないです。だって、そうじゃないですか。あれだけ白亜紀に隆盛を極めた恐竜も、他から来た天体と地球との衝突で、全部死に絶えるんですから。それは歴史の摂理ですよね。

それでは落ちてゆく夕日の中で生きて行く時の心構えとして、何かアドバイスはありますか?

死と生は裏表です。自分はいつ死んでもいいという思いで常に生きてきましたから、いたずらに恐怖することはないですね。ただ、ひとつだけ遺言をしていいと言われたら延命処置はしないでほしい。折れたら折れた時が、自分の人生の終末だというふうに思っています。
私はどんな地域に入る時にも予防注射や薬を拒否して、生身のまま入って行くことを望んでやってきました。たとえば熱帯病にかかるとか、破傷風になるとか、そんなことをまったく恐怖せずに「いいよ、その時はくたばればいいんだろう」というふうにやってきました。そういう意味では、死とか健康でありたいことへの感覚が他の人とはちょっと違うと思います。
アマゾンに行った時、ああ、この真ん中で腐って死んで行きたいと思ったことがあります。あそこには私の愛するものがいっぱいあるんです。あの空気だとか、あの暑さだとか、あの汚染されざるものの輝きとか、そういうものがいっぱいあるんですね。
最後はここで腐って死んでいって誰にも注意されずに、ことんといって蟻が肉を全部持っていって、なんて想像したら楽しくなりますね。蟻が「今日は毒食った」って中毒したりして……(笑)。

そのお気持ちは、とてもよくわかるような気がします。本日は、どうもありがとうございました。

畑正憲 / はた まさのり

プロフィール

1935―2023、福岡県生まれ。作家。

東京大学理学部動物学科大学院を経て、学研映像部門のディレクターとして教育映画やCMでさまざまな賞を得た後、文筆家としてフリーに。68年「われら動物みな兄弟」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。71年より北海道厚岸郡の無人島に移住。翌年、浜中町に移って「動物王国」を建国する。以後、独自の視点で動物たちとの交流を書き続ける。81年に始まったテレビのドキュメンタリー番組 「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」では21年にわたって活躍。著書多数。


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